串刺し学校運営
うんちく講座のNo.109「読書座談会記事文」、No.220「マル秘算数成績向上法」、No.221「マル秘国語成績向上法」でも紹介しているN川先生の講話を聞く機会に恵まれた。いつも聞くたびに新しい発見があるが、今回も大いに触発される内容であった。そのことについて触れてみたい。
私の現任校では、学習指導についての研究の重点を「伝え合う力の育成」においている。
※「伝え合う力」については、No.286「伝え合う力を育てる一方法」やNo.311「ケータイ利用で伝え合う力アップ」をご参照いただきたい。
授業研究などを主に教職員がみんなで取り組んでおり、少しずつは力が育っているようではあるのだが、今ひとつ決め手に欠ける感じがしていた。
そこで国語教育実践の大家であるN川先生にアドバイスをお願いしたいということで企画したのが、N川先生の講話を聞く校内研修会だった。
「目からウロコ」というのは、こういうものかもしれない。
N川先生は、「伝え合う力を育てる5つの方法」というかたちで具体的なやり方を示してくださった。詳しい内容については、この文章の主旨とあまり関係ないので省略するが、そこであげられた5つの方法を見て驚いた。
その方法に特別目新しいものはなかった。というのは、そのいずれもが、現在我が校で取り組んでいる「あいさつ運動」とか「読書指導」などの、既存の方法だったからである。
例えば「あいさつ運動」だが、これは「どうも我が校の子供たちはあいさつが良くない」ということで数年前から力を入れている活動である。
これを進めるにあたっては、校長先生や私(教頭)、さらには教務主任や児童会担当教諭などが相談をして、取り組み方を検討したのだったが、これが「伝え合う力」を育てることと結びつくというところまでは考えが及ばなかった。
単に「ここの学校の子供たちは○○が悪いから、改善するように頑張ろう」という発想から生まれたものだった。
N川先生に言われてみれば、たしかに「あいさつ」こそ「伝え合う言語能力」の基礎・基本であった。
自分から声を発すること、さらには相手に応じて声のトーンや言葉に変化をつけること、またあいさつされた側がその返事に「おはよう。風邪の具合は良くなった?」などの言葉を付け加えることなどをきちんと行えば、それだけでも「伝え合う力」は育つはずなのだ。
学校での教育活動を運営していく責任者は基本的には校長なのだが、教頭である私も校長と相談しながら進めていく立場なので大きな責任がある。
ところが、その私に、「学校生活の全ての活動を、学習指導研究の重点と関連させて位置づける」という視点がなかったことを、N川先生のお話を聞いて反省させられた。
これまで、学校の教育活動を行う場合、前述のように「○○が悪いという実態があるので、それに対応した手だてを」という発想が多かった。
「あいさつがきちんとできないから、あいさつ運動を」、「県の教育重点になっているので、ふるさと学習を」、「地区の校長会の重点施策になっているので、学力向上対策を」‥‥という具合である。
これだと、学級担任の教師側から見れば、「これまでも忙しかったのに、また管理職が新しいことをやれと言い出した‥‥」という印象を持つかもしれない。
さらに、「授業研究会では『伝え合う力』を育てる指導法を提示しなければならないというし、全く体がいくつあっても足りない‥‥」という多忙感を生んでいることだろう。
それが、N川先生の説明のような見方をすることによって、これまでバラバラに行われていた感のあるたくさんの教育活動が、全て「伝え合う力を育てる」という目標のもとに一貫性を持つことになる。
まるで、肉やピーマン、キノコに玉ねぎといったたくさんの具を、バーベキューの串で突き刺して1本にしたような感じがした(^^;)
学校運営のコツはこれだな!と(今頃になって)痛感した次第である。
学校には、学校教育目標(例えば現任校だと「たくましく心豊かな子どもの育成」)や、学習指導の研究主題、生徒指導目標など、たくさんの目標がある。
その中で、授業を担当している教師にとって一番大事なのが「学習指導の研究主題」である。これももともとは学校教育目標をもとにして作られてはいるのだが、「自分の考えをきちんと他者に伝えられる児童を育成するにはどうしたらよいか」というように、具体的なかたちで出されることが多い。
その実現のために様々な工夫をして取り組んでいるときに、「あいさつもしっかり頑張らせてほしい」とか、「計算能力や漢字の読み書きなどの基礎技能を向上させる手だてを工夫してほしい」、「読書に親しむ習慣を身につけさせたい」などの要求が管理職から出されると、「この忙しいのに、また管理職が思いつきで無理難題を言い出した‥‥」と感じる教師が出てくるのは無理もないことである。
そうではなく、「今年の本校の目標は、『自分の考えをきちんと伝え合える子供を育てること』です。その具体的方法として『あいさつ運動を行い、他者と積極的に関わろうとする態度を育成すること』、『語彙を増やし正しい言語表現ができるように漢字の力を伸ばすこと』、『読書によって自分の考えを深めることができるようにすること』を重点に取り組みましょう」という提案を管理職が行えば、それぞれの活動の位置づけが明確で、しかもそれぞれの活動の効果が相互に関連してより大きな効果を生み出す実践ができるのである。
バーベキューの串に例えたのが「学習指導の研究主題」なのだが、これは「学校教育目標」であってもよいかもしれない。しかしそうなると、日常授業の指導法研究がまた別のもののように受け取られるので、やはり毎日の教育実践の中心となる「授業を通して育てたい子供の姿」がバーベキューの串になるのが最良であろう。
学校の教育活動の重要な部分を貫く1本の棒のようなものが必要なわけだが、これが「校長等管理職の意志」であったり、「他校と比べて劣る自校の子供の実態」であったりすれば、バーベキューの具に無理矢理下から串を突き刺すような感じになって、教職員の共感を得にくい。
「今年は全教職員で、子供のこんな力を伸ばしていきたい」という、バーベキューの串の先にある目標を明確にすることで、串はすっと全ての具を貫いていくのではないだろうか。
このようなことを、N川先生の講話を聞きながら考えたのだったが、これに関係して、もう1つ考えついたことがあった。
それは、職員会議での管理職の話のあり方だった。
職員会議の議事要項を作るのは、教頭である私の担当である。
他の都道府県ではどうなのかわからないが、私の地域では、会議の最初の次第は「校長指示・伝達」になっている。
私が勤務した学校では全てそうだったし、他校に聞いてみてもみな同じだった。
ここで、校長先生が、これから1ヶ月の学校運営の目標について話し、県教委からの指示事項などを職員に伝えるというのが一般的な形式である。県教委からの指示事項は、地区の校長会などで伝えられたものである。場合によっては私も地区の教頭会などで県教委から伝えられた内容を職員に伝達することもある。
この「校長指示・伝達」という呼び方を、「校長先生のお話」というかたちに変えたらどうかと考えたのだ。
県教委から指示されたことを、そのまま教職員に伝えるというのも1つの方法であり、確実ではあるのだが、県教委としては「そのまま教職員に伝えなさいよ」という意図で指示したのではないかもしれない。
「これからの学校経営では管理職としてこのようなことを頑張りなさいよ」という意味で校長や教頭に指示しているわけである。
そうなると、そのままのかたちで教職員に伝えなくてもよいこともあるだろう。校長や教頭が腹の中に収めて十分に消化して、別のかたちで学校運営に生かせばよいという内容もあるはずだ。
あるいは、言われた通りに全職員に伝えなくても、教務主任や研究主任など関係する校務分掌を持つ職員にお願いして、それぞれの校務として全職員に浸透させる方法もあるだろう。
せっかくの職員会議の場なのだから、管理職があれこれと細かい指示を出すよりも、本当に必要な内容の1つか2つにしぼって、聞く人の心に響くような話をするほうが、学校運営上は効果が大きいかもしれない。
全職員に学校が進む方向性を明示したり、みんなで取り組もうとしていることへの士気を高めるような、味のある話をするのも良い方法ではないだろうか。
教師が子供たちに指導をする場合、まさか学習指導要領の文章をそのまま話すということはないだろう。子供たちの実態はどうで、目標を達成するにはどのような手だてをとったら効果的かを十分に考え、子供に応じた話し方ややり方を工夫するはずである。
一般の先生たちを子供扱いするのではないが、私を含めて管理職は、職員に話をする場合には、十分に工夫をする必要があると感じた。
「管理職は暇でいいなぁ」という見方もある(^^;) もちろんそんなこともないのだが、教科の指導をしている教職員よりは、たしかに時間的に余裕がある。
その余裕に甘えるのではなく、全校の教職員の日々の活動をきちんと方向づけ・意義づけし、誰もが明るく意欲的に仕事に取り組めるようにするには、どのようにしたらよいかを必死に考えるのが、管理職の役目かもしれない。
現在の私の仕事もそうだし、いつか(いつになるかわからないし、なることがないかもしれないが)学校をあずかる立場になったときにも、このことを心がけていかなければ‥‥と感じさせられた今回のN川先生の講話であった。
<00.11.04>
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