読書座談会記事文



 国語科の学習指導の話をひとつ。

 物語文の読解の指導でも、ただ読んで話し合いをするだけでなく、感想や意見を書かせることが多い。昔は「表現と理解の関連指導」などという呼び方をしていた。「読んだことを書く」「書くために読む」という活動によって、読解をより深めようという取り組みである。

 それを意識的に行わなくても、教材文を一読後に、「初発の感想」なるものを書かせ、それをもとに学習課題を設定し、その学習課題にそって物語の場面ごとの読みとりを行い、最後に「まとめの感想」を書かせるという方法は、読解学習の基本形として広く行われている。

 この方法でも、ひととおりの学習はできるが、かなり形骸化した方法で、つまらない。

 読解に書く活動を大胆に取り入れ、しかも子供は楽しく意欲的に活動し、その効果も大きいという方法がある。それが以下に紹介する「読書座談会記事文」という手法である。

 この方法は、Y町立A小学校校長で退職されたN川先生が、H市立T小学校に勤務していた時(私も同じ国語部員として同職させていただいた)に、明治図書刊「国語科関連的指導法」にある「インタビュー法」等をもとに開発された手法で、その後、私も試行させていただき、ある程度整理したやり方である。
 ちなみにN川先生は、私が直接お目にかかった範囲では、最も優れた国語科教育の実践家で、卓越した指導技術だけでなく、発想の独自性・先進性など、「秋田県の『大村はま』」とも呼ばれるほどの素晴らしい先生である。


 以下、その手法の実際を述べる。


「読書座談会記事文」とは
 物語の読後の感想等を三人の座談会参加者が話し合うことを想定し、それを記録した記事風に書いたもの。実際には一人の人間(児童生徒)が三人分の発言を考えて書く。


「読書座談会記事文」の効果
○一通りでなく、何通りもの意見を書かなければならないので、多角的な見方の読みが必要になる。
○話題の進め方を考えて書かなければならないので、自然に構成を考えるようになる。
○文章表現をすることにより、理解が確実になり、自分の考え方を分析的につかめるようになる。
○話すことが得意でない子供も、紙の上で長時間の話し合いをしたのと同じ体験をすることができる。
○なによりも、楽しい!。


 と言っても、具体的なものを提示しないことには理解していただけないだろうから、私が当時、受け持っていた学級で実際に子供が書いた文章を以下に掲載する。(かなり長くなるが‥‥)

 実践をしたのは、6年生の国語科の教材「石うすの歌」(作:壺井栄)である。書いたのは「静香さん」という児童である。比較的よく書けている文章ではあるが、この子の文章だけが優れていたということではなく、これに近い内容の文章を学級のほとんどの児童が書くことができた。

 なお、文章中の(読書座談会参加者の)名前が、書いた本人の「静香」の他の二人が「わる子」「よい子」になっているのは、当時人気があった萩本欽一さんの番組の影響があると思われる。

以下、原文のままである。






六年松組では先日、「石うすの歌」を読み終えました。今日は、よい子さん、わる子さんに集まってもらい、
私もあわせて三人でそれぞれの考えをのべてもらいました。

静 香 
「石うすの歌」を読み終えたわけですが、今日はみなさんの感想や思ったことを聞いたり、話し合ったりした

くて集まってもらいました。よろしくお願いします。
わる子 
よろしく。
よい子 
どうぞよろしくお願いします。

(礼をしながら)
静 香 
私は、初めにみんなの感想が聞きたいわ。わる子さん。あなたは、「石うすの歌」を読み終えてどう思ってい

ますか。
わる子 
私は、初めは「石うすの歌」を楽しみにしていたんだけど、石うすの歌を聞いていると、はじめの千枝子のよ

うに、私までねむくなるから、私はおもしろくないと思う。よい子さんはどう思っているの?
よい子 
私はおもしろいと思うわ。だって、石うすが、そのときそのときの人間の気持ちを歌い出すなんて不思議なこ

とだと思うわ。
静 香 
私もよい子さんと同じで、石うすが歌うなんて、とっても不思議なことだと思う。話は変わるけど、じゃあ

「石うすの歌」で、一番強く心に残った場面はどんな場面?わる子さんだったらどう?
わる子
私は広島にげんばくが落ちて、瑞枝のお父さんもお母さんもどこに行ったかわからなくなって、おばあさんも

石うすを回す力がなくなった場面が強く心に残った。
よい子
私も、わる子さんと同じ意見だけど、一つだけ思ったことがあるの。それは千枝子の気持ちがだんだんよくな

っているの。
静 香
そうね。初めは石うすを回すとねむくなるとか言って、おばあさんを困らせてばかりいたけど、後になると、

しっかりした人みたいに、いい人になっているみたいね。
わる子
じゃあ、どうしてそんなふうに、しっかりしたいい人になっているの。
よい子
それは、瑞枝が来てから、千枝子が自分でお姉さんだということをみとめたからじゃないの。
静 香
そうかもしれない。
わる子
とすれば、瑞枝が来なければ、千枝子はこのまま、わがままな千枝子でいなければいけないってことね。
よい子
そうね。もし戦争のない平和な時代だったら、瑞枝は来ないものね。
静 香
それに、おばさんは瑞枝をそかいさせに来て、墓参りに行ったとき、「私たちも行く行くは、ここに入ること

になるのね。」と言ったとき、もうすぐここに入るということをおばさんは知っていたのよ。それを千枝子も

知っていたのかもしれない。それと、自分一人だけ広島に帰って行ったってことは、おばさんが瑞枝の命を救

ったいい人になるもの。それを千枝子がみならったように、瑞枝と二人で助け合って生きていこうって思った

のかもしれない。
わる子
千枝子がいい人になったのは、おばさんと関係があるかもしれない。
よい子
そうすると、これはいったい何からつながってきているのかしら?

(みんな困った顔をして考えている。)
静 香
みんな、考えがまとまった?
わる子
私は石うすだと思う。
よい子
私はちがうと思うわ。石うすは気持ちを表すものだから、私は戦争だと思うわ。
静 香
戦争が広島でおきて、おばさんは広島の人で、瑞枝をそかいさせた。千枝子は瑞枝が来たからお姉さんになっ

た‥‥‥。たぶん、戦争かもしれないわね。
わる子
よい子さんや静香さんのいうとおりかもしれない。



≪ 中 略 ≫


静 香
私もみんなのいうとおりだと思うわ。初めはおばあさんを困らせていたけど、瑞枝が来てから、お姉さんにな

ったようなうれしい気持ちになって、広島にげんばくが落ちて、瑞枝のお父さんもお母さんも死んでしまって

おばあさんの石うすの手伝いをして、千枝子の気持ちが変わっていったのだと思う。
わる子
じゃあ、この「石うすの歌」の主題は、「千枝子の気持ちの変わり方」ってことになるの?
よい子
そうよ。あたっているかはわからないけど、私はそう思うわ。
静 香
たぶんそうね。
わる子
私、初めはねむくなるから、「石うすの歌」なんておもしろくないって言ったけど、まちがっていたみたいね
よい子
わる子さん、あなたも千枝子と同じように、気持ちが変わっていっているわね。
静 香
私は、石うすの歌って、なんとなく暗い感じがしていたけど、読んでみたらおもしろかった。悲しいこともあ

ったけど。
よい子
私は、初めから、おもしろそうだと思っていたし、読み終わってからは、本当に感動したわ。
わる子
壺井栄さんの書いている物語は、小豆島を舞台にして書いているみたいね。私が壺井栄さんの書いた本で一番

感動したのは「二十四の瞳」だった。二十四の瞳も戦争のことを書いていて、だいたい石うすの歌と内容が似

ていた。でも、石うすの歌も、本当に楽しくて感動的な話だったわ。また、こんなふうな話し合いがしたいわ
静 香
そうね。またみんなで集まって話し合いましょう。では、今日はこれで。来てくれてありがとう。
わる子
ありがとうございます。
よい子
どうもありがとうございました。



≪ 家を出る ≫






 十年近く前の実践であるが、今、あらためて当時の児童の文章を読み返してみると、我ながら、「なかなかよくできたなぁ」(^^;)という感がある。単なる「まとめの感想」ではなく、学習活動で行ったほとんどの部分が網羅された文章であるし、この文章を書くという活動の中で、さらに読解が深まっていることが感じられる。

 私の指導技術が優れていたわけではない。この「読書座談会記事文」という手法の効果が大きかったのだと思う。国語科の読解の指導で、一度は試みても損はない!。



 長いし、あまり面白くもない内容なので、最後まで読んでくださった方は少ないと思いますが、きちんと読んでくださった方には、深く御礼申し上げます。(とは言っても、実際にこの物語を指導した方でないと、ほとんど分からない内容かと思いますが‥‥‥)





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