マル秘国語成績向上法



 私はフランス語はまったくわからないのだが、フランスでは幼児でもフランス語をしゃべるそうだ。

 うけない落語のようなことを書いてしまったが、ギャグではない。フランスの幼児がフランス語をしゃべるのは、それが日常的に使われているからだということを言いたかったのである。



 私たちは日本人だから、ひととおり日本語を話すことはできるが、それはあくまでも日常的な会話程度のレベルである。

「おなかがすいた」「お弁当をください」「そうですね」「いやです」程度の内容なら、英語で話せるという人も多いだろう。しかし、それで英語ができるとは言えない。

 日本語の場合も、日本語を使用して、ある程度複雑な思考等を表現したり理解したりできなくては、本当に日本語ができるとは言えないのである。そのような力を育てるには、子供の発達段階に応じて、系統的な指導を行っていかなくてはならない。




 その役目を担っているのが国語科の授業なのだが、果たして効果のほどはどうだろう?



 私自身、自分が学級担任として国語の授業をやっていた頃のことを考えると、どうもこの系統性ということの意識が弱かったような気がする。

 例えば5年生の指導をしているとき、1年生からこれまでどのような系統での指導がされてきたのか、またこのあと6年生になったら今の指導の上にどんな学習活動をしていくのかという認識が足りなかったように思う。

 そうなると当然のことだが、現時点で何を指導すべきなのかも明確に認識できなくなる。



 そのせいか、指導で扱っている文学作品(例えば「ごんぎつね」とか「大造じいさんとがん」だとか)の作品解釈やら、宮沢賢治の生き方やらという、方向違いのことにはまってしまったりする。

 まあ、それも基本的な指導をきちんとできる上でプラスアルファとして指導できるのならよいのだが、そうでなくて、それ(文学の解釈やうんちく)が指導すべき第一のものだと思いこんでしまうと、教師が力を入れたわりには子供の力がつかないという、悪い指導になってしまう。

 私も悪い指導に力をいれたくちなので大きなことは言えないのだが、現在でもそういう感覚で指導している教師は少なくないのではないかと思う。また当然のことかもしれないが、経験年数の少ない教師は学校生活の全体を通した系統性に目が向かない傾向があるだろう。



 これだと子供の日本語の力を育てることはできない。下手をすると日常生活で話す程度の言語能力しかない人間を育ててしまう危険性がある。(現実にそういう日本人が増えてきているように思う)



 そうならないようにするにはどうしたらよいか。

 答は意外に簡単なところにある。教科書を研究すればよいのだ。




 その地区によって使用している教科書の会社は異なるが、きちんと採択されている教科書であるから、どの教科書も十分に吟味されて作られた質の高いものであることは確かである。

 その編集にあたっては、国語教育の専門家たちが膨大な時間と努力を費やしている。我々一介の教師が一生かかってもできないほどの研究を重ねて作り上げられるのが教科書である。



 そこでどんな文学作品や説明文がとりあげられているかは大きな問題ではない。例えば宮沢賢治の作品で「注文の多い料理店」が使われようと「やまなし」が使われようと、あまり差はないのである。

 横道にそれるが、これを勘違いしている国語教師も多いように思う。「『やまなし』の指導では○段落の○行目の表現に触れなければ指導として成り立たない」というようなことを言う教師もいるが、そんなことでは、子供の国語能力の全体が見えてはこない。「やまなし」などの自分が使い慣れてきた作品が全く入っていない教科書を与えられても、きちんとした指導ができなくては、国語教師として失格である。



 本当に注目しなければならないのは、月に1度くらい出てくる言語事項を扱った2ページ前後のミニ教材なのだ。

 文学教材などは、たしかに教科書会社(編集者)が、どんな作品を扱うか必死になって考えるわけだが、やはり既存の作品である。指導のねらいに少しだけそぐわない文があるからといって、教科書に載せるときに勝手に書き換えることは許されない。また、その作者にしても、教科書に載せるためにその作品を書いたわけではない。

 ところが、言語事項のミニ教材は、教科書会社(編集者)によって意図的に作られて(書かれて)いる。



 このミニ教材こそが、子供の言語能力育成の系統性の根幹をなしているものなのだ。

 教師の方は、教科書会社で作っている教科書の単元一覧表(6年間を通した)をお持ちだろうから見ていただきたい。

 実にきれいに、かつ見事に、系統性を考えて教材が配置されていることがわかる。これが小学校での日本語教育の骨にあたるものである。



 この指導を充実させなくてはならない。

 このミニ教材はページ数にして2ページ前後、指導時間数もやはり2時間前後なので、ともすると軽く扱われてしまう。指導時数の多い物語文の感想を話し合わせる時間が長くなってしまったので、ミニ教材は1時間でさっさと終わってしまおうというような考えに陥ることもあるが、とんでもないことである。

 物語教材の指導の時間を削ってでも、このミニ教材の指導の時間は確保すべきなのだ。(そうでないと、肉ばかりが増えて骨が弱い国語力になる)



 実は、文学教材や説明文教材なども、このミニ教材との関連を考えて配置されてることが多い。

 メインディッシュにあたる文学教材等を扱う際には、最初に一緒に配置されているミニ教材をよく見て、関連付けた学習活動を行うのが効果的である。そうした上で、ミニ教材にかける時間数を減らしていくのなら全く問題はない。

 問題なのは、このミニ教材を、大きな教材とは全く関係のない、どうでもよい教材のように扱うことなのである。



 更に大切なのは、このミニ教材で扱った活動を、日常で継続的に行うことである。

 例えば、5年生では「漢和辞典を使おう」とか「漢字の由来に関心を持とう」というミニ教材がある。

 これを学習したら、5年生のうちは、他の時間の学習活動や家庭学習で、徹底してこの活動を行わせるのがよい。その教材を扱ったときだけの単なる知識の伝達にとどめては、日本語の力は育たない。宿題や家庭学習でばんばん漢和辞典を使う活動をさせて、5年生のうちに漢和辞典を完全に使いこなせるようにするのである。(同じように4年生では国語辞典を使いこなすようになっている)

 下にも紹介している中川先生は、自分の学級に「学級通信」ではなく、「国語通信」というのを配布していた。その中で、今、学校ではどんな国語の学習をしているかを紹介するとともに、「家庭学習ではこんなやり方をしてみましょう」という例を書くのである。

 そうなると、その学級の子供たちは、家庭での「ひとり勉強」といっても、何も指示がない場合に漫然と漢字練習をしたりするのではなく、例えば漢和辞典をひいて漢字の由来についてまとめるなどという活動をするようになるわけである。



 国語科の成績向上は、なかなか難しいと言われるし、決め手がないという話もよく聞く。「とにかく本を多く読ませるしかない」などという乱暴な意見もあるが(外れてはいないのだが)、そういう根性論のようなものでは科学的ではない。

 決め手があるとすれば、これまで述べたような方法がベストに近いだろう。

 冒頭で述べたように、フランス人の子供がフランス語をしゃべれるようになるのは、毎日使っているからである。

 日本語の力をきちんとつけていくには、「この学年では何の力をつけていくのか」ということを、ミニ教材の配置を見ることによってしっかり把握し、それをふまえた日常活動をさせていくしかないだろう。

 お試しいただきたい。効果は大きいはずである。



 この方法も、1つ前の「うんちく講座」No.220「マル秘算数成績向上法」と同様に、No.109「読書座談会記事文」で紹介したN川先生の講話にヒントを得て、私なりにまとめたものである。

<99.07.21>



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