伝え合う力を育てる一方法
新しい小学校学習指導要領の国語科の目標には、これまでなかった「伝え合う力」という言葉が新しく登場した。これまでの国語科の学習指導要領の内容が「A表現、B理解、[言語事項]」という分け方だったのが、「A話すこと・聞くこと、B書くこと、C読むこと、[言語事項]」というかたちになったのも大きな変化だが、「伝え合う力」が目標に掲げられたことが最も大きな特徴なのではないかと私は感じている。
これは、これからの高度情報化社会、国際社会においてその力が必要であるという意味と、現在の子供たちにその力が不足しているという意味があると思う。
「伝え合う力」といえば、広義には文字表現による情報交流も含まれるが、教室での学習指導では、音声言語を通した、いわゆる「話す・聞く」という活動が主になる。
子供たちの実態を見ると、「聞く力」も不足しているかもしれないが、これは表面的にはわかりにくい。どちらかというと「話す力」が低下しているという認識なのだろう。
実際、学校でも、子供たちの発表力が低下しているということがよく話題になる。発表力の向上を学習指導の研究テーマにしている学校も多いようだ。
そこで、この問題についての私なりのとらえ方を、2つの視点で述べてみたい。
まず、1つ目は、本当に子供たちの話す力が低下しているかどうかということだ。
これについては、私は「そうでもないのではないか」と考える。
たしかに、教室の学習などで、きちんとした発表をする力は落ちているようにも思える。主述のはっきりした話し方をする子供が少なくなり、単語の羅列のような話し方になってきてはいる。
しかし、子供たちが無口になったのかというとそうでもない。携帯電話でしゃべりまくっている青少年の姿はよく見かけるし、友達どうしでの会話では実に饒舌である。(話し方はかなり崩れてはいるが‥‥)
海外で日本語を勉強してきた外国人が、日本に来てみて、自分が身につけてきた日本語と、実際に使われている日本語が全く違うことに驚いたという話を、前に聞いたことがある。
この人が身につけてきたのは、いわゆる文語型の日本語だったのである。
教室での発表などで求められているのは、この文語型日本語に近い。テレビのニュースや政治家の演説などもそうだ。しかし、実際には私たちは「私はこのことについてこれこれこのように考えるのであります」というような話し方はしない。「オレさあ、こんなふうに思うんだよね」というような話し方をするのが普通である。
教室型というか文語型というか「私は○○です」という話し方は、たしかに身につけておかなければならないものだとは思うが、これが実際の生活で使われている話し方とあまりにも遊離してしまうと、古典文の学習のようになってしまう。
場合によっては、口語型の話し方に留意した学習指導を行うことも、ある意味ではきちんとした教室型の話し方の力を育てていくことにもつながるのはないだろうか。現在の子供たちが友達などとはいっぱいしゃべっているという実態と誰かとしゃべりたいという意欲を有効に生かしていくには、こういったアプローチのしかたもあるのではないかと思う。
2つ目は、学校で行っている発表のしかたの指導が、少し的はずれなのではないかということである。
私もよく行ってきた方法なのだが、発表のしかたの指導をするときに重要視するのが、「大きな声で話させる」ということと、「基本話型を身につけさせる」という2つである。
多くの教室には、「隣の人と相談するときの声・教室で発表するときの声・体育館で友達を呼ぶときの声」などと書かれた「声の大きさの表」と、「私は○○だと思います。それは○○だからです」などと書かれた「発表の基本話型の表」が掲示されているのではないだろうか。
これもある程度は、子供たちが発表するときの手助けにはなるのだが、これ自体を指導の重点とするのでは効果が少ない。
「大きな声で発表しなければダメですよ!」とか、「この話型で発表するようにしなさい!」という指導をすれば、かたちの上ではきちんとした話し方ができるようにはなるだろうが、それが「伝え合う力」の育成になるかというとそうでもないようだ。
話し方の基礎能力として大事なことではあるのだが、この指導が日常の話し方に波及するかというと、あまり関係がないようだし、話型を強調しすぎると自由な発想での発言ができにくくなるという逆効果も考えられる。
そこで、これまで書いたようなことに配慮した上で、次のような学習活動をやってみたらというのが、私の提言である。
それは、自分の意見ではなく他人の意見を発表するという方法だ。
具体的には、教師が「○○について、○○さんはどう考えるのかを聞いて、それを発表しなさい」という指示を与えるのである。
そこで子供は指定された人(例えば隣の席の子供)に取材をする。取材する内容を子供に任せてもよいが、最初のうちは「○○と○○のことについて考えを聞きなさい」というように指示しておくのがよいだろう。
そして取材を終えた子供は「○○さんは、○○について○○のように考えているそうです。私も同じように考えました(あるいは、私は○○についてはちょっと違って○○のように考えました)」というように発表する。
この方法で工夫しているのは、次の3点である。
まず、最初の取材活動(他者との話し合い)で行われるのが、口語型での話し合いであるという点である。
これは子供の日常生活の話し方と近い。これならあまり型にとらわれない話し合いが行われるので、子供も自然に話せるし、型ではなく内容を重視した話し合いになる。話す型から入るのではなく、話すことが必要になる場を設定するのが最も大事なことだし、その際には子供にとって自然な話し方でできるようなやり方がよいと思う。
次に、この活動には「聞く」という行動が不可欠であるということである。これも「あとで先生が質問するので、聞き落としがないようにしっかり聞きなさいよ!」というような外からの動機づけでなく、「自分が相手の考えを理解して発表するには、これこれのことを聞かなくてはいけない」という自発的な動機づけがなされるので、効果的な「聞く」活動になる。
この文章の最初のほうでも書いたように、伝え合う力を育てるには「聞く・話す」という活動が行われなければならないのだが、この方法なら、それが自然なかたちで行われるだろう。
最後は、他者の考えを話すということのほうが、日常生活では多いということだ。
自分のことや自分の考えを話すというのは、実はかなり苦しいことだ。自分の思考というものに真摯に向き合わなければならないし、それを表明するというのは恥ずかしかったり辛かったりする。
ところが日常よく行われている井戸端会議(?)などの軽いおしゃべりでは、話題になるのはほとんど他人のことである。あるいはテレビのニュースなどでもアナウンサーが話すのは社会一般でのできごとについてであって、自分のことではない。
話し合うことによって考えを深めていこうという目的ならば、徹底的に自分の考えにこだわることが必要な場合もあるが、「伝え合う力を高める」という目的の活動なら、むしろ話しやすいかたちのほうがよい。自分の意見を発表しなさいという場面ではなかなか発表しようとしない子供も、他人の意見を紹介するというかたちなら抵抗なく話せるようになる。
私も、この方法を実際の授業で何度か試みてみたが、かなり効果があった。
やり方を工夫さえすれば、子供の年齢に関係なく、ほとんどの学年で使える方法である。
国語科の学習の目標も新しくなったことであるし、その趣旨を生かすためにも、これまでの「大きな声で」「基本話型で」というありきたりの方法での指導だけでなく、新しい発想の指導法も工夫していかなくてはならないだろう。
ここで紹介した方法が全てということではなく、こういった着眼で、いろんな方法が生み出されたらいいなと思い。一つのヒントとして、この文章を書いてみた次第である。
<00.06.06>
ホームページに戻る
うんちく目次へ