朝の読書運動の自己評価を
朝の読書運動が全国の学校で広がっている。
平成13年12月28日時点での実施校は全国で7,731校にもなる(小学校5,194校、中学校2,080校、高等学校457校)全国の学校数が小学校で約24,000校、中学校が約11,000校、高等学校が約5,500校だから、実施率は小中が約20%、高が5%程度ということになる。
この運動の始まりは昭和63年(1988)だが、広く知られるようになったのはここ3・4年のことであり、しかも特に上から強制されたものではない自主的な運動だから、この実施率はたいしたものだと思う。
朝の読書運動(朝の10分間読書ともいう)については、それに触れたサイトも多いので(「朝の読書運動」をキーワードに検索すればかなりヒットするはずである)ここではあまり詳しく触れないが、その基本になっているのは次の4点である。
1 みんなでやる (学校全体または学年全体で。先生も一緒にやる。一斉にやる)
2 毎日やる (習慣づけることがポイント)
3 好きな本でよい (課題図書など押し付けない。自分のレベルで選ばせる)
4 ただ読むだけ (習慣が完全に根づくまで読書感想文など書かせない)
中央教育審議会の教育制度分科会でもこの12月17日に「本を読む子どもを育てるべき」とする答申案をまとめ、その中で小中学校での「朝の10分間読書」を推奨している。
この答申案の基本的考え方は「教養の基礎として、読み、書き、考えるという国語の力を育てることが大切」ということで、「子供の頭をよくするには、とにかく物語をたくさん読ませること」という私の考え方とは若干ニュアンスが違う気もするが、いずれにせよ、子供を読書に親しませ、読書量を増やすにはとてもよい取り組みであると思うし、朝の読書運動が広がることは大歓迎である。
※私の読書に対する考え方については、次のコンテンツをご参照いただきたい。
うんちくNo.173「おきかえる力」
うんちくNo.241「少年少女世界の名作文学」
うんちくNo.324「学校図書館には文学を」
ただ、へそまがりな私は(^^;)この取り組みが本当にうまくいっているのかということになると、ちょっと疑問を投げかけたい気もする。
このぐらい実施率が高くなると、朝の読書運動を始めた頃の目的等をきちんと理解しないまま、「隣の学校でもやっているから、うちの学校でもやってみよう」ということで取り組むようになった学校もかなりあるだろう。
実際、この運動を実践している団体の中には「最近はニセモノが増えていますが、本来の創始者が認める団体はうちだけです」というようなことをホームページ上で公言しているところもある。
素晴らしい運動を推進しているのに、ちょっと考え方が狭量に思えて残念なのだが、まあ最初の段階から努力してきた人たちから見ると「これは本質を理解していない」と感じられる実践も増えてきているのかもしれない(私自身も創始者の方の著書をちゃんと読んだわけではないので大きなことも言えないのだが‥‥)
創始者の方々から見てホンモノと言われようとニセモノと言われようと、読書活動がちゃんと行われていれば、それはそれでよいような気もするが、せっかく貴重な時間を使って行う活動なのだから、その成果や今後の見通しについては、実践状態の評価を適宜行うべきだろう。
その評価の視点について述べてみたい。
私が知る範囲では、朝の読書運動を「生活を整える」という目的を第一義にして取り組んだ学校が多いように思える。
ざわついた雰囲気のまま一日の学校生活を始めると学習中の態度もよくないという実態を改善するために、静かな全校黙読の時間で一日をスタートさせるというのが朝の読書である。「昼食後の全校読書」とか「帰宅、就寝前の10分間読書」ではないのはそのためである。
この「静かな時間から一日をスタートさせる」というのに適しているということで採り上げられたのが読書という活動であり、「読書好きの子供が増える」というのはその副産物であると考えたほうがよいだろう。
実際、朝の読書運動を始めた学校からは、「子供たちに落ち着きが出た」とか「学習に集中して取り組むようになった」という成果が発表されている。
まずは、朝の読書運動によって、子供たちの生活が整ったかということをチェックしないといけない。
もし成果が上がっていないとすれば、やり方を再点検し、改善しなければならない。どう改善しても成果が上がらないということになれば、学校経営そのものに問題があるとも考えられるし、朝の読書運動そのものがその学校に合っていないのかもしれない。そんなときは思い切って取り組みをやめることも必要だろう。
朝の読書運動をやったということだけで安心しないで、第一義の目的である「生活を整える」という視点で取り組みを見きわめていくことを忘れてはいけないだろう。
本当に読書好きが育っているかという点もチェックが必要である。
「本好きな子供が育つ」というのは副産物的な結果であるというのは前述した通りだが、一定期間、朝の読書運動を行えば、結果として「読書に親しむ子・読書好きになる子」が増えるはずである。
ただ、「前よりは読書をするようになった」といっても、その子供の読書時間が「朝の読書」の時間だけというのでは、本当にこの運動の成果が上がったとは言えないだろう。(何も読まないよりはずっとましだが‥‥)
この運動によって読書の世界への目を開かされた子供が、自分の自由時間でも積極的に読書に取り組むようになることこそが本当の成果である。言いかえれば「日常読書人・生涯読書人」が育たなければならないのである。
このチェックは比較的簡単である。
1日の読書時間についてなどのアンケートでも知ることができるし、学校図書館の貸し出し冊数の統計でも変化がわかるだろう。個人の読書記録を調べてもよい。(この運動のポイントの一つに「ただ読むだけ」で何も書かせないというのがあるが、感想文などは書かせなくても、○月○日に何の本を読んだという簡単な記録程度は書かせたほうがよいと私は考える)
これで朝の読書の時間を除く「日常生活での読書時間」に変化が見られないとすれば、朝の読書運動の成果は上がっていないと判断すべきであろう。
朝の読書運動は素晴らしい取り組みであり、その成果を否定する気は毛頭ないのだが、この運動にかけるくらいの気合いで取り組めば、どんな運動でも大きな成果を上げることができるのでは‥‥と私は思う。
朝の10分間、全校で読書をするというのは簡単なことのようだが、実はそうでもない。まして教職員もいっしょに読書をするということになるとなおさらである。
他に何もしないで始業時の10分間を確保するためには、学校の一日の生活時間を大きく変えないといけない。学校によってはそれまで行っていた職員の朝の打ち合わせを午後に持っていったり、朝の清掃や朝自習をやめたりしている。極端な例だと教科の授業の開始時刻を10分繰り下げたりしている例もある。
朝の読書の時間を生み出すために、職員会議等でいろいろな方法を考え、討議しているのである。
そのぐらい全校で工夫して苦労すれば、これが朝の読書でなくて別の取り組みであっても、だいたいはうまくいくはずである。
ただ、朝の読書運動が子供たちにすんなり受け入れられたのは、読書という活動自体の素晴らしさもあるだろうが、掃除をしたり計算・漢字ドリルをやったりするよりは楽だということも大きな要因だろう。
生活を整え、かつ○○の力を育てるということであれば、読書でなくても、「朝の全校縄跳び」とか「朝の全校スケッチ」「朝の全校合唱」など、様々な活動が考えられるだろう。そのどれであっても、朝の読書運動のように、全校体制で取り組めれば、朝の読書と同じような(あるいはそれ以上の)成果を上げることができるはずである。
朝の読書運動も、よく考えてみれば子供たちが自ら求めたものとは言えない。まあ、その成果を見ればそれでもよいのだが、できるならば子供が発想し求めるような「朝の○○運動」をつくりあげることができるならば理想的である。
くどいようだが、漫然と行わないで常にチェックをするということを怠ってはいけないと思う。
朝の読書運動は素晴らしいものであり、今後いっそう全国に広がっていくことを願うのだが、実施した際にはきちんと自己評価を行ってほしい。
目標が達成されていないのであれば、やり方を改善する必要があるし、改善しても効果がなければ思い切ってやめたほうがよい。
当初の目標が達成されているならば、次の目標を設定し、取り組みを変えていくべきである。朝の読書運動の場合、子供たちの生活が整い、読書する姿勢もできたという段階に進んだら、読書の面でもう一歩高い目標を設定し、そのために新しいやり方を工夫するとか、朝の読書をやめても子供たちの生活がくずれないようであれば、別の活動に取り組むとかすることもあってもよいだろう。
いずれにせよ、あまり深い論議もせぬまま、なんとなく取り組みを始めて、それに何の評価も工夫もしないで「前年の通り」ということで何年間も同じことを続けるということに陥らないよう気をつけなくてはならないと思う。
よいと思われることは、どのように始めるかも大事だが、どのように(理想的なかたちで)やめるかということももっと大事なように思う。
<01.12.31>
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