あるシンポジウムの担当をして、その記録の文章化を頼んでいた速記業者から原稿が上がってきたので目を通してみた。
余談になるが、講演や会議の記録を文章にしなければいけないときは、この方法が便利である。録音したテープを渡すとそれを文章にしてくれる。1時間分で2〜3万円程度なので予算に余裕がないとできないが、文章にしたものはワープロのファイルにしてフロッピーで渡してくれるので、用語の一斉変換などの作業もできて都合がよい。
出来上がった原稿は話し言葉をそのまま記録しているので、文章として見ると主述がつながらなかったり、おかしな言い回しがあったりで、わかりにくい表現もあるが、その場の雰囲気などはよく伝わってくる。
その原稿に目を通していると、どうも気になる言い回しが多いことに気がついた。
それは「ですけれども」という言葉である。
今回のシンポジウムでは、その言い方を使っている人がかなり多かった。この言葉を全く使わない人もいたのだが参会者(シンポジスト)の半分ぐらいの人は使っている。口癖になっているのか「ですけれども」を連発している人もいた。
私の身の回りでも「ですけれども」を多用する人も多いし、この頃ではテレビやラジオでもよく耳にする。ちょっと耳障りな感じがして気になっているのだが、気がつくと私も使っていることがある。
それでも耳で聞いているときにはそれほど気にならない感じもあるが、文章で見るとかなり気になる。
辞書で調べると、次のようになっている。
けれども
1.接続助詞
(1)
活用語の終止形につき、前に述べた事柄と後に述べる事柄とが矛盾する関係にあることを表す。例「あなたを恨む気持ちはないけれども、仇を討たなければならない」
(2)
後の句を略し、言いさしにして、ためらったり相手の反応を待ったりする柔らかな表現。例「いいと思いますけれども」
2.接続詞(助詞の転用)
後文が前文と矛盾する関係にあることを示す。しかしながら。だが。例「天気予報では今日は晴だった。けれども朝から雨が降っている」
いずれの場合でも、前後の事柄を逆接するのが「けれども」の基本的な役割である。
ところが、私が日頃、耳障りだと感じている「けれども」は、そういう使われ方をされていない。
具体的には次のようである。
- あなたのお考えですけれども、少々問題があると思います。
- 今日の日程ですけれども、最初に全体会を行い、引き続き分科会を行うことになっています。
これだけでも「まわりくどい」感じがするのに、私がうんちく講座No.28「ダッタンデス語」で非難している(^^;)ようなおかしな撥音便のような表現を加えて、次のような言い回しをしている例もある。
- 全体会なんですけれども、講堂で行います。
柔らかい表現だと言えなくもないが、これを連発されると聞いていてうんざりする。女性がよく使うようだが、男性にもたまにみられる。私の感覚では男性には似合わない言葉だと思う。
上の例を見ればすぐにわかることだが、この「ですけれども」「なんですけれども」は、本来の逆接の使い方ではなく、係助詞の「は」の代わりに使われているだけである。
「は」を使って書き直すと次のようになる。
- あなたのお考えは、少々問題があると思います。
- 今日の日程は、最初に全体会を行い、引き続き分科会を行うことになっています。
- 全体会は、講堂で行います。
このほうがずっとすっきりしているし、日本語としても正しく美しいと思う。まわりくどい「なんですけれども」は8文字で、「は」はたったの1文字である(^^;)
「ですけれども」が使われるようになった経緯は定かではないが、私なりに推理してみると次のようになった。(それぞれの言葉の文法的な役割なども調べてみたのだが、細かく書くとくどくなるので省略する)
- 基本のかたち
- 開会式は、講堂で行います。
↓
- 「は」の代わりに「ですが」を転用するかたち
- 開会式ですが、講堂で行います。 (撥音便風変形)開会式なんですが、講堂で行います。
↓
- 「ですが」の代わりに「ですけれども」を転用するかたち
- 開会式ですけれども、講堂で行います。 (撥音便風変形)開会式なんですけれども、講堂で行います。
以下の小さい文字の部分は、ちょっとくどいので、読み飛ばしてけっこうです(^^;)
上の例の「ですが」の「が」は、接続助詞として使われている。
「が」には「私が社長です」のような主格を表す格助詞としての使い方もある。また接続助詞として使う場合には、「努力をしたが、報われなかった」のような逆接の他に、「昨日お見舞いに行ったが、とても元気そうだった」というような順接の使い方があるので(本来はこれが第一義)、これらが背景となって「ですが」を「は」の代わりに使うという言い回しが生まれたのかもしれない。
まあ、口語としては一般的になっている感じもするが、「開会式ですが」という場合、助詞の「が」を取ると「開会式です」というわけのわからない言葉になるので日本語としては拙い表現だろう。
この「ですが」の「が」が、逆接の接続助詞ともとれるので、それと同じような「けれども」に変えたのが「ですけれども」なのだろうが、「けれども」自体には順接の機能はないので、「ですけれども」を「は」の代わりに使うのは明らかに間違った日本語だと思う。
「ですけれども」がその人のおかしな口癖だと思って聞き流さない限り、話を聞く側としては「けれども」の後にはそれと相反する事柄が続くだろうと予測してしまう。「努力したのですけれども」(あるいは「努力したのですが」)と言われれば、その後には当然「成功しませんでした」というような言葉が続くだろうと予想するのだが、そこで「成功しました」と言われればガックリしてしまう(^^;)
「ですが」あたりまでは話し言葉としてなんとか許容するとしても、「ですけれども」を「は」の代わりに使うというのは、私としてはどうもいただけない。
これまで「うんちく講座」にたびたびとりあげているように、「ですけれども」だけでなく私がおかしな日本語だと感じる表現が一般に使われるようになってきている。
言葉は変化するものなので、私がそれにいちいち目くじらを立てることもないのだが(^^;) ちゃんと考えれば不合理だとわかるような言い回しは、なるべく使わないようにしたいものである。
子供や若い人は普段耳にする言葉に影響される。公共の放送や学校の教師などが使う言葉は子供にとってのスタンダードになる。
担任が「この問題なんですけれども」というように「ですけれども」を連発すれば、子供は「これがていねいで美しい言い回しなのだ」と受け取って真似をするようになるだろう。上司が「ですけれども」ばかり使うと若い部下も同じ言い方をするに違いない。人前で話すことが多く、それが他の人に影響を与えることが多い立場の人間(教師や放送出演者など)は、変な口癖を使わないように意識して話さないといけない。
「句点(。)がきちんとつく」「接続詞や助詞は明確に使う」「一文がだらだらと長くなることを避ける」などは、文章を書くときだけでなく話すときにも大事なことである。「えー、そのー、この件についてなんですが、あー、それについては、私は、私の立場としては‥‥」などというような、文字にしてみると何を言っているのかわからないという話し方は、しゃべりを商売としている人間だったら避けたいものである。
<01.10.08>