ダッタンデス語


 平日に休みになったときなど、テレビのワイドショーを見ていると、事件の現地レポーターの口調がやけに気に障る。
「犯人は14歳の少年だったんです。」
「いきなり逃走したんです。」
「小学校の指導要録が公開されたんです。」

 私は、この手のレポーターたちを「ダッタンデス人」と読んでバカにしている。

 上の例であれば普通は「14歳の少年だったのです。」「逃走しました。」「公開されました。」と言うのが当たり前である。それをことさら「〜したんです」という言い方にするのは視聴者に媚びた言い方以外のなにものでもない。特に理由づけしなくてもいい場合には「〜しました」でいいし、理由づけが必要な場合は「〜だったのです」「〜したのです」が正しい。

 撥音便(でもないのだが)的な「〜だったんです」にするのは、官能小説の宇野鴻一郎あたりが「いきなり押し倒されたんです」などと使うように女言葉の口語形である。鹿爪らしい顔をした男性レポーターが「だったんです」を連発しているのを見ると、つい「お前はオカマか!」と言いたくなる。

 須田とかいうアナウンサーが使い始めたように記憶しているのだが、今はほとんどのレポーターが、このダッタンデス語を使っている。

 本来、言葉を扱う人間は、同じような語尾表現が重なるのを嫌うものだが、そんなデリカシーのかけらもなく、常に語尾に「だったんです」「したんです」をつけて事足りると思っているダッタンデス人たちを見ていると、なんとかの一つ覚えという言葉が浮かんでくるのは私だけだろうか?



ホームページに戻る前のページへ