37歳で大きな顔



 年長の人を重んじるのは礼儀である。

 二十歳になったばかりの若者が40代50代の人に対等の口をきいたのでは、礼儀知らずと言われても仕方がない。(こういうのをタメグチというそうだが‥‥)



 しかし、50歳の人が60歳の人に対して、いつもへりくだった口調で話さなければならないかというとそうでもない。

 50歳の人の方が上司で、部下の60歳の人に指示を与えなければならないということもあるだろう。仕事上の上下関係は逆でも50歳の部長が60歳の社長にくってかかってもおかしくはない。



 では、何歳になったら、高齢の人に対して対等の立場で意見を主張しても失礼でないのだろうか?



 私は、それが「37歳」だと考える。



 人によって若干の違いはあるから、37歳ちょうどに限定するわけにもいかないので、ある程度、範囲を広くとると「35歳〜40歳」程度であろうか。ここでは、その中間をとって、37歳を代表的な年齢ということにしよう。



 37歳とした根拠は、次のようなものである。



 大卒の場合、卒業の年齢が22歳。37歳というと社会人となって15年目である。

 その職に就いて15年もすれば、ひととおりの経験は積んでいるはずである。「まだ経験不足の若輩者で‥‥」というような逃げ口上は恥ずかしくて口にできない年齢だ。

 15年といえば、人間の一生では、中学校を卒業する年だ。昔なら元服の年、ある程度の分別は身についているはずである。



 職場においても責任あるポストに就きはじめる年齢だろう。

 仕事の上で責任を持たされたならば、年長の人に対しても強い口調で話さなければならないこともあるだろう。

 そうやっても「この若造が!」と(表面上は)反発されないのが、37歳だと思う。



 歴史に名を残すような人物も、37歳(35〜40歳)の頃には、ある程度の実績を残している。

 そのような人物の略年表を記してみる。



ジョン・F・ケネディ(第35代アメリカ大統領)

29歳 下院議員に当選
35歳 上院議員に当選
43歳 大統領に就任



アドルフ・ヒトラー(ナチス・ドイツ総統)

32歳 ナチス第1議長として党内の独裁権を手に
45歳 ドイツ総統に



伊藤博文(初代総理大臣)

37歳 内務卿に就任
44歳 初代総理大臣に



田中角栄(総理大臣)

28歳 衆議院議員に初当選
39歳 郵政相として初入閣
54歳 総理大臣に



ビル・ゲイツ(マイクロソフト社長)

20歳 マイクロソフト社創立
26歳 MS−DOSを開発
36歳 IBMとの提携関係に終止符
37歳 Windows3.1を発表



 例としてあげたこれらの人物全てが「世のため人のため」になった人物だとは断言できないが、エネルギッシュな活動をしたことは確かだ。その誰もが、37歳頃には既にかなりの実績(?)をあげていたことがわかる。

 文学者(芥川龍之介とか宮沢賢治とか石川啄木とか‥)や、幕末から明治初期にかけての政治家・思想家等は、もっと若くして活躍した人も多いが、これは別格であろう。

 ちなみに「ビル・ゲイツ」氏は私と同じ年齢のはずである(^^;) 私はといえば‥‥、36歳で学級担任を離れ研究主任となり、38歳で教務主任、42歳で教頭となったが、それは全くたいしたことではない‥‥(^^;)



 現在、私は45歳。ケネディもヒトラーも伊藤博文も(比較するのがおかしいのだが)もう国のトップに立っていた年齢である。

 それはさておき(^^;) うっかりすると、37歳あたりの人を「自分よりもずっと若い人」という見方をしがちである。(それだけ年をとったのかもしれない)

 しかし、これまで述べたように、37歳は、もう私などの年齢(あるいはそれ以上の年齢)の人に議論を挑んだり、場合によっては命令したりしてもおかしくない年齢である。

 もし、その年代の人から、何か提言や忠告、あるいは指示などをされたとき、「この若造が何を言う!」というとらえ方をしてはいけないと思う。自分と対等、あるいはそれ以上の存在として、素直に拝聴する態度がなくては、ただの老いぼれになってしまうだろう。

 見方を変えれば、60歳ぐらいの人も、私などの年代の人の言うことを謙虚に聞かなければならない場合もあるということである(^^;)



 では、30歳前後の人は、どんな態度でいるべきだろうか。



 私が思うには、もう数年はおとなしく謙虚にしているべきだろう。

 仕事に就いて約10年、そろそろ力をつけている頃とは思うが、まだ少々青い。才気のある人なら、その才気だけで高齢者と対等にやっていけるかもしれないが、もう少し自分を磨いて力をつけていくほうがよいだろう。31・32歳ぐらいでは、まだ「この若造が‥‥」と言われても仕方がない。



 実は、この文章を書くきっかけになったのが「昭和37年生まれの、現在37歳の人に変なのが多い」という文章を見たことであった。

 新潟の少女監禁事件の犯人がそうなのだが、同年代の人間には他にも某宗教団体の実質的リーダーの(ああいえば○○いう)人とか、事件そのものは随分前になるのだが少女連続殺人事件の犯人などが同じ年なのだそうだ。

 偶然、そういう問題のある人物が同じ年の生まれということで、実際には立派な人もたくさんいるのだろうが、プロ野球界を見ると、その年の生まれだけ傑出した選手がいないという現象もあるのだそうだ。

 新潟の件で、「社会的には、もう一人前の年齢なのに‥‥」と感じたことから、37歳に注目してみたのだが、私の感じ方は、どんなものだろうか?(^^;)

<00.02.27>



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