うんちくNo.150「日本語ローリング・ストーン」(東雲しののめ)系統に属する、ちょっと変わった漢字の読みの語源の話題である。
「♪月はおぼろに東山」で始まる芸者もの歌謡曲の名曲「祇園小唄」(作詞:長田幹彦、作曲:佐々紅葉、唄:葭町二三吉)に「夢もいざよう紅桜」という歌詞がある。
私は、この「いざよう」という言葉が「十六夜(いざよい)」からきた造語なのだと思っていた。
「いざよい」という風情のある言葉、これを動詞化した洒落た言葉だと思っていたのである。
ところが、いろいろ調べてみたら、私のとらえ方は全く逆であることがわかった。
「いざよい(十六夜)」から「いざよう」が生まれたのではなく、「いざよう」から「いざよい」が生まれたのだった。
「十六夜」と書いて「いざよい」と読む。このことはよく知られている。私も子供の頃から知っていた。
ただ、どうして「十六夜」が「いざよい」なのか、よく考えてみたことはなかった。しかし「夜」が「よい(宵)」にイメージ的に結びつくことや、「十六」も「いざ」と読んでもあまりおかしくないような感じがすることから、「十六夜」を「いざよい」と読むのは純粋に古語的な読み方だと思っていたのである。
ところが、この「いざよい」、全くの当て字(当て読み)なのであった。
「いざよう」という動詞が存在するのだった。(自動詞ハ行四段活用)
漢字では「猶予」と書く。「進もうとして進めないでいる(ためらう)」とか「進まないで止まりがちになる(とどこおる、たゆたう)」という意味であった。
語源としては諸説あるが、大言海では「イサ(不知)の活用形がイナ(否)の義に転じ、否んで進まない意になったものか。ヨフは揺(うご)いて定まらない意の助動詞のようなもの」とある。
上代では「いさよふ」であったものが、中世頃から「いざよふ」と濁音になったのだそうだ。
したがって、本来「いざよい」(上代では「いさよひ」)という名詞は、「進もうとして進まないこと、ためらうこと」という意味であったのが、「十六夜(じゅうろくや)」の月が満月(十五夜)よりも遅く、ためらうように出てくるので、その意味で「十六夜(じゅうろくや)」の月を「いざよい」呼ぶようになったものらしい。
いずれにしても趣の感じられる美しい言葉である。
冒頭で触れた「祇園小唄」の1番の歌詞は次のようである。
- 月はおぼろに 東山
- 霞む夜毎の かがり火に
- 夢もいざよう 紅桜
- しのぶ思いを 振袖に
- 祇園恋しや だらりの帯よ
この月がどんな月なのか明示はされていないが、「夢もいざよう」という表現から、十六夜の月を連想させるし、「夢」も進もうとして進まない、たゆとうような感じがある。祇園の夜の華やかでけだるい感じが漂う佳詞であると思う。
<99.11.10>