日本語と左脳



 「うんちく講座」のNo.199「右脳左脳・右手左手」でも触れたが、普通、言語領域を担当するのは左脳だと言われている。

 No.199「右脳左脳・右手左手」に戻って見るのも面倒なので、それを整理して表にしたものを再掲しておこう。


左 脳
右 脳
脳の性格的な違い
言語脳
優位脳
論理的(ストレス脳)
理性(デジタル的)
イメージ脳
劣位脳
直感的(リラックス脳)
感性(アナログ的)
学習的な違い
顕在意識(意識)
理解・記憶を求める
段階的に少量ずつ受け入れる
低速で受け入れる
直列処理する
手動処理
意識処理
潜在意識(無意識)
理解・記憶を求めない
一度に大量を受け入れる   
高速で受け入れる
並列処理する
自動処理
無意識処理



 この整理の仕方は、世界中のどこの国の人に対しても同じかと思っていたが、私たち日本人は、ちょっと違うのだそうだ。

 私が日本語に関していろいろと参考にしている本の1つに、金田一春彦著の「日本語」という本がある。岩波新書から上下巻に分かれて出されている。(初版は1988年発行)

 この上巻の冒頭に、「日本語は特異な言語か、平凡な言語か」という文章がある。これを書き出しにして、様々な観点から、日本語を他の言語と比較しながら、その特性を明らかにしていくというのが、この本の内容なのだが、そこに興味深いことが書かれてあったのだ。



 金田一氏自身の研究ではなく、角田忠信という人が「日本人の脳」(昭和53年)に発表した学説を引用するかたちで紹介されているのだが、次のような内容である。



 日本人は脳の使い方がほかの国の人とちがい、言葉の音を鳥の声や雨の音などといっしょに左の脳で聞き、右脳では、洋楽器の音、機械の音や雑音などを聞くだけである。

 これに対してほとんどすべての外国人は、左の脳で聞くのは言語の音ぐらいで、その他の自然音や楽器の音はすべて右脳で聞く。

 日本人と同じようなのは、地球上でわずかにマオリ、東サモア、トンガなどのポリネシア人だけである。



 上の文章は、本にあるままをほとんど転記したものなので、ちょっとわかりにくい。また、私が角田忠信氏の著作を直接読んだわけでもないので、ここに書かれている以上のことはわからない。

 ただ、簡単に整理すると、日本人は、他の国の人たちが右脳(イメージ脳)で聞いている「鳥の声や雨の音」までも、言語脳である左脳で聞いているということになるだろう。



 風の音や鳥のさえずりにまで言葉を感じるというのは、日本人特有の感覚なのかもしれない。

 また、上の文章で明記されてはいないが、日本人が右脳で聞くのは「洋楽器の音」というのだから、尺八・鼓・琴・三味線といった「和楽器」の音は、言葉と同じように左脳で聞いているということになるのだろう。

 「語るような演奏」というのもあるが、私たち日本人にとって、和楽器の音は言葉と同じようなものなのかもしれない。



 私自身のことを考えてみると、音楽を味わうときには、主旋律にだけ注目して、それを1本の糸をたどるように聞いていることが多い。主旋律でない副旋律や低音のベースラインを鑑賞する場合にも、やはりそこだけに注目して聞いているようだ。

 これはちょうど、文章を読んだり、話を聞いたりする行動に似ている。

 反面、オーケストラのような、いくつもの固まりの音の響き合いを聞くことは苦手である。まあ、なんとか聞き味わうことはできるのだが、自分でそれを作り出すというセンスはゼロである。

 そういう感覚がないものだから、どうしても作らなければならないという場合には、自分の感覚に頼るのではなく、「ここの和音は何度で、それに○度の音を重ねて‥‥」というように、数的・論理的なものに頼らざるを得ない。

 これは自分に音楽的なセンスがないからだと思っていたのだが、これも日本人の特性なのだと考えると、少々安心したりしている。(この頃では、そうではなくて欧米人的な音楽感覚を持つ人も増えてきているようだが)

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