例の法制化問題を考える



 「例の」などともったいぶった書き方をしたが、まあ簡単にいうと「日の丸」「君が代」の法制化問題のことである。

 広島県の高等学校の事件で、この問題がまた注目されたのだが、この問題について、私なりに少し整理してみたい。



 まず、現在の日本の法規(法令・規則)には、国旗や国歌を明確に規定したものはない。昭和21年11月3日に日本国憲法が公布された時点で、国旗が「日の丸」であり、国歌が「君が代」であると明示した法律はなかったし、現在でもないのである。

 では、それらが国旗・国歌であるとする根拠はというと、ただ1つのものが、文部大臣が公示する「学習指導要領」なのである。

 学習指導要領も初期の段階では国旗・国歌に関わる記述はなかったのだが、現行のもの(平成元年〜)では「特別活動」の部分に「入学式や卒業式においては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」となっている。(前回の学習指導要領では『指導するのが望ましい』であった)

 社会科でも「我が国の国旗と国歌の意義を理解させ‥‥」という記述があり、音楽科では「国歌『君が代』は、各学年を通じ、児童の発達段階に即して指導すること」とある。

 これらが、日本の法規的なものの中で唯一、国旗や国歌を定義している(らしい)表記なのである。

 学習指導要領が法的効力を持つのかというと、いろいろな意見もあるのだが、昭和51年の「永山中学校事件最高裁判決」では、法的な効力を持つという解釈をしているので、それに従うことにしよう。(ただし、国民全体を規制するものではなく、学校教育の進め方を規定するという意味でだが)



 以上が法的背景の現状なのだが、この「教育の内容、方法に関する大綱的基準」である学習指導要領にしか、国旗・国歌の根拠がないということが、問題かと思う。

 つまり、日本国民全体に対して、「日の丸・君が代は、国旗・国歌なんですよ!」と言わないで、学校現場に対してだけ、「日の丸・君が代は、国旗・国歌なんですから、ちゃんと教えて歌わせなさいよ!」と言っているのが現状なのである。

 「学習指導要領に基づいた学校現場での指導」がきちんと行われなくては、唯一のよりどころが崩れてしまうわけだから、現場への指導が厳しくなることもある。それに反対の立場の人もいるために、板挟みになる立場の人も出てきて、そこで起きたのが広島の高校の事件であろう。



 この状態がおかしいということに(今さらながら)気づいた人たちが言い出したのが例の「法制化問題」である。

 日の丸・君が代の、国旗・国歌としての是非については、いろいろな考えもあろう。むしろ、それはきちんと議論すべきであったのだ。それを、これまで何十年も避けてきて、学校現場だけがしわよせを受けてきたために、今回のような事件も起きたのである。

 私個人としては、「うんちく講座」のNo.91「オウムと君が代」に書いたように、「君が代」そのものは好きな曲である。きちんとした知識を持ったうえで、しっかりとした自覚を持って歌うならば「国歌」としてもふさわしい曲であると思う。(どうしても別の曲でなくてはいけないというのならば、国民全体で話し合ったうえで、もっとふさわしい曲があれば、その曲を選ぶべきだろう。私は滝廉太郎の「箱根八里」なども、歌詞はちょっと国歌には合わないが、曲そのものはよいのではないかと思う)



 国旗や国歌を持たない国家というのもおかしい。それが、日の丸・君が代であろうと、別のものになろうと、国民全体できちんと話し合いをしたうえで、法律として明文化するべきである。(それが軍国主義につながるなどというのは、とても短絡的な考え方だと思う。国歌を持つ国が全て軍国主義だと誰が言えるだろうか)

 そうなれば無理して学校現場に「国旗の掲揚・国歌の斉唱」を義務づける必要もなくなる。「国旗・国歌の法制化」によって、かえって学校の入学式・卒業式などは自由になるのである。(学校の式典で歌わなくても、明確に法制化されていれば国歌は国歌なのだから)「必ず儀式では国歌を歌う」ということも義務づける必要もなくなる。例えば全く歌を歌わない儀式があってもおかしくはないのである。



 日本の若い人の言葉遣いは、世界的に見ても、とても低いレベルだと言われる。私もたしかにそう思う。しかし、それは言語能力が低いということではなく、話し手自体の意識や自立が低いからなのだそうだ。

 国歌や国旗の問題を、なんとなくあいまいにしたまま50年以上も放っておいた日本人の態度そのものが、その背景になっているようにも思える。



 分別のある大人たちが、まじめに話し合うのを避け、まだ結論も出せないでいながら、子供たちにだけ「これはこうなんですよ」と盲目的に教え込もうとするのもどうかと思う。

 まずは、国会議員全員が、国会開会の際に、国旗を掲揚し、国歌を斉唱するようにならなければおかしいのではないだろうか。(それが、どんな旗になり、どんな歌になるのかを十分に審議したうえで)

 主義主張は違っても、日本を愛し、よくしようとする気持ちは同じはずである。全ての人に共通する愛国心を確認しあい、「さあ、これから正々堂々と、国政についての意見を戦わせよう」という気持ちで、国歌を歌って国会をスタートさせるという姿を見せてほしいのである。学校現場に「歌うように!」という指導をするよりも、その姿こそが子供たちへの一番の教育になると思う。

 それができないのに、学校の教師にだけ「国旗の掲揚と国歌の斉唱の指導」を押しつけるのだとすれば、なんとも情けない姿ではなかろうか。

 ここは、きちんと法制化について考えていくべきであろう。



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(ちょっとハードな音色ですが‥‥)



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