せっかく育てた子供たちが



 ちょっと物騒なタイトルをつけてしまったが、ここでいう「子供たち」は、生きている児童ではなく、「子供たち」という言葉そのものである。

 この文章を書いているのは12月なのだが、この時期になると各種の経営反省だの研究紀要だのと、いろいろな人の意見をまとめて文章にする機会が多くなる。

 その際、ご本人が書いたものを私がワープロで打ち出すなどということも多くあるのだが、漢字や仮名遣いの表記は原文のまま(本人が書いたまま)表記するというのが原則になる。

 そのときに困るのが「こどもたち」という言葉だ。

 この言葉、書く人によって、かなり表記が異なる。

 「子ども達」
 「子どもたち」
 「子供たち」
 「子供達」
 「こどもたち」
 「こども達」

 この文章をお読みの皆さんは、どの「こどもたち」をお使いだろうか。

 結論から言ってしまうと

 「子供たち」と表記するのが望ましい。

 詳しい説明は、このページの最後の方で述べるので、ここでは省略するが、「こども」は「子供」と書くのが現在の一般的な書き方であるし、「達」という漢字は「友達」と書くとき以外には使わないのが普通である。

 そこで、自分がワープロで文章を書くときには「子供たち」と表記するようにしているのだが、学校の先生の中には「子ども達」と書いている人が意外に多い。

 そういう文章を、私のワープロで打つ場合、頭のよい私のワープロ君のFEP(日本語変換フロントエンドプロセッサ)は、「子ども達」という文字を何回か確定していると、「こどもたち」とキー入力して変換したときに、「子ども達」と表示するようになってしまう(^^;)

 そうすると、私が自分で文章を作るときにも、ワープロ君は「こどもたち」を「子ども達」と書いてしまう。これでは気分が悪い。本来の「子供たち」に戻すためには、必要もないのに何回か「こどもたち」・「こどもたち」と入力して、もう一度、正しい「子供たち」を覚え込ませなければならないことになる。

 せっかく、自分のワープロに、正しい「子供たち」という書き方を覚え込ませたのに、他の人の文章を入力して、数回「子ども達」という変換をしてしまうと、間違った(というわけでもないのだが)「子ども達」が育ってしまう(^^;)

 タイトルに書いたのは、そういう意味である。

 このように、同じ言葉でも表記のしかたが違う人がたくさんいるのは、その人たちが間違っているというよりは、戦後、何回か正しいといわれる表示のしかたが変わって、書き方に揺れが生じたからである。「子供」という言葉も、一時期は「こども」とか「子ども」と書くのが一般的であるとされたことがあった。そのために今でも「子ども」と書くのが正しいと覚えている人が多いのである。(実は、私が育つときには、それが正しい表記であった)

 これと似た例に「ひとりひとり」という言葉がある。これは今では「一人一人」と書くのが普通である。しかし、少し前までは「一人ひとり」と書いていたため、今でも「一人ひとり」が正しい表記だと思っている人も多い。

 まあ、正しいとか正しくないというのが妥当かどうかはわからないが、現在の文部省の刊行物等では「子供たち」「一人一人」という表記に統一されているので、学校で指導する場合は、この表記にするのが望ましいと思う。



 では、いつ頃からそんな表記の仕方が一般的になり、何が根拠になっているのかというと、昭和56年内閣告示の「常用漢字表」が基準となる。それ以前の書き方は昭和23年内閣告示の「当用漢字音訓表」及び昭和25年「文部省刊行物表記の基準」がもとになっていた。したがって前にあげた「古い書き方」は昭和56年までの表記法であり、昭和56年からは基準となる表記法が変わっているということになる。「一人一人」などは、さらにその後から一般的になったようだが、いずれ、今はどう書くのがよいのかということは、文部省で出している刊行物の表記を見ればよいということになる。

 ただし、この表記法は、あくまでも「公的な文書では、このように書いたほうがよいのではないでしょうか」という基準であり、文学的な表現をする場合には「子ども」でも「こども」でも「一人ひとり」でもかまわないのはもちろんである。

 最後に、私が「日本語のよりどころ」(うんちく講座No.13)と考えている、文化庁発行「言葉に関する問答集」にある「子供」と「友達」に関する説明を資料として掲載しておく。



以下、「言葉に関する問答集9」より

[問19] 「子供」か「子ども」か
 「こども」という語は、本来、「こ(子)」に、複数を表す接尾語「ども」がついたものである。「宇利波米婆 胡藤母意保由‥(瓜食めば、子ども思ほゆ‥)」(万葉集巻5・802)と山上憶良の歌にもあるほど、古い語であるが、のち、「しにをくれじとたどれ共、子どものあしにあめのあし、おとなのあしにをひぬひて」(浄瑠璃、賀古信教)のように単数複数に関係なく用いられるようになった。
 その表記としては、「子等、児等、子供、児供、小供、子ども、こども」などいろいろな形が見られたが、明治以後の国語辞典類では、ほとんど「子供」の形を採り、「小供」は誤りと注記しているものもある。その後、「子ども」の表記も生まれたが、これは、「供」に当て字の色彩が濃いからであろう。
 昭和25年の「文部省刊行物の基準」では、「こども」と仮名書きを示し、「子供・子ども」を( )に入れて、漢字を使っても差し支えないが、仮名書きが望ましいものとしている。
 しかし、現在では、昭和56年の内閣告示「常用漢字表」の「供」の「とも」の訓(この訓は、昭和23年の内閣告示「当用漢字音訓表」にもあった)の項の例欄に「供、子供」と掲げられており、公用文関係などでは、やはり、「子供」の表記を採っておいてよいと思われる。
 なお、新聞・放送関係では、早くから、統一用語として「子供」を使うことになっている。ただし、実際の記事では、「子ども、こども」なども時に用いられることがあるようである。
 また、国民の祝日に関する法律(昭和23年7月20日、法律第178号)では、毎年5月5日を「こどもの日」と定め、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と、その趣旨が述べられている。


[問23] 「友達」か「友だち」か
 「ともだち」という語は、本来、「友」に、複数を表す接尾語「だち」の付いてできた語であるが、現在では、「ともだちたち」という表現も聞かれるように、単数、複数に関係なく用いられる。
 この「ともだちたち」という言い方は、伊勢物語に、「むかし、をとこ、あづまへ行きけるに、友だちどもに、みちよりいひおこせける」とあり、かなり古くから使われていたことが分かる。
 戦前の国語辞典では、すべて「友達」と表記されている。接尾語の「たち」に「達」をあてたものであり、「君達・公達」などの例がある。
 昭和25年の「文部省刊行物表記の基準」では、当時の「当用漢字音訓表」に「たち」がないので、「友だち」と仮名書きしていた。そのほか、この場合の「たち」が本来当て字だということもあって、公用文や教科書などでは、「友だち」の表記がとられてきたのであるが、昭和48年内閣告示「当用漢字音訓表」の付表に「友達」が入り、つづいて昭和56年内閣告示「常用漢字表」の付表に「友達」があって、今後は漢字で書くことになる。
 ただし、本来の意味の接尾語として「たち」を使うときは、「達」は使わず、「私たち、君たち、学生たち」などのように、仮名書きにするほうが穏当であろう。


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