ナンバーワンからオンリーワンへ
「かけがえのない」という言葉がある。文字通り、それを失ったら、他に替わりになるものがないという意味である。
お子さんをおもちの方なら、お子さんのことを考えてみれば「かけがえのない」という言葉が実感できると思う。(結婚相手は、ちょっと違うかもしれない。そろそろ替えようかなどと考えている方もいるかもしれないから^^;)
ところが、子供を育てているうちに、自分の子供が他の人よりも優れていることを、ついつい期待するようになる。勉強などでも一番になるのにこしたことはないが、それが無理でもできるだけ上位になるように、せめて希望の高校に入学できるだけの成績がとれるように・・・などということを期待してしまう。
自分の子供が大人になったときになるべく苦労をしなくてもいいようにという親心からの期待なのかもしれない。しかし、それが辛くなってしまう子供も多いはずだ。
他の人から見たら何のとりえもない子供でも、親にとっては「かけがえのない」子供である。そう思うのは親だけかもしれないが、自分の子供が、親以外の誰かから「かけがえのない存在である」と思われるような人に成長してくれたら、たとえテストの成績が上位でなくても、それでいいのではないだろうか。
話は変わるが、この文章を書いている時点で、私の学校の事務の先生が入院していて、校長・私・教務主任でその仕事を分担して進めている。実に大変である。困っている。その先生が欠けてみて、その仕事の大変さ、大切さがしみじみと感じられる。
まあ、これはそれぞれの職能の違いだと言ってしまえばそれまでだが、学校でも、様々な職種の人が、それぞれの持ち場で自分の力を発揮して学校を動かしている。一人一人がかけがえのない人である。
題に掲げた「ナンバーワンからオンリーワンへ」というのは、近頃、いろいろな講演会でよく聞く言葉である。これからの教育に最も必要なことをうまく表現したキーワードである。
子供をあずかる我々教師はもちろんだが、親は自分の子供を育てるときに、このことを忘れないようにしてほしい。自分が自分の子供を愛し、かけがえなく思うように、他の人(全員でなくてよい。ほんの数人でもいいのである)からもかけがえなく思われるような人間に育てること、これは親しかできない仕事だと思う。
ただし、「世のため人のため」ということは、あまり強調しなくてもよいと思う。有名な政治家が亡くなったとき、「日本にとって、世界にとって、かけがえのない方をなくしました」などというが、本当にかけがえないと思うのは、その親族やら、直接の関係者やらだけであって、その人が亡くなっても、地球も世界も変わりなく動いているのだから。
ホームページに戻る
前のページへ