20代のじいさん



 「大造じいさんとガン」という物語がある。小学校5年生の国語科の教科書に出ていたので、ご存じの方も多いかもしれない。動物文学の重鎮である椋鳩十の作品で、かりゅうどの大造とガン(鳥のガンである)の頭領の残雪との交流を描いた、なかなか味わいの深い物語である。

 老かりゅうどとなった大造が、炉端で筆者に回顧談を語るという書き出しで始まるこの物語は、その後から、大造じいさんの若い頃の話となり、そこで残雪との出会いが語られるのだ。

 文中、大造は常に「大造じいさん」もしくは「じいさん」という呼び方で表現されている。読む方もうっかりすると60歳をこえた人物が行動しているようなイメージを持ってしまうのだが、よく読んでみると、これは大造さんが若い頃の話で、当時は、20代か30歳そこそこだったはずだ。

 青年を「じいさん」と呼ぶのは、どうもおかしい。ただ、この登場人物を「大造」とか「大造さん」と書いたのでは、文章から受ける感じがかなり変わってしまうので、作者は意図的に「大造じいさん」としたのかもしれない。

 しかし、その書き方では、読者が持つイメージはずいぶん違ったものになってしまう。名作ではあるが、これが致命的欠点であるように私は感じるのだが‥‥‥。

 教科書に出ている教材も、あらを探すといろいろと出てくる。こんなことを考えるのは無駄なことかもしれないし、ひねくれているのかもしれないが、こういうことを見つけたときには、つい、自分の感覚の鋭さに感動してしまったりする。(^^;)


ホームページに戻る前のページへ