時空を切る三味線
私がやってきた音楽の種類はロック系統なので、日本の伝統音楽については詳しくはないが、聴くのは結構好きな方である。歌舞伎や民謡も好きだが、じっくり聴いて感心するのは浪曲である。
新しく聴く曲は、最初はそのストーリーや語り口に興味をひかれるが、繰り返し聴いていると三味線の技に感動してしまう。
三味線は音程を演奏することのできる楽器である。しかし、その音は長くのびる音ではない。どちらかというと弦をバチではじいた瞬間に音が減衰してしまう楽器で、その点では打楽器に近い。西洋音楽で多く使われるのはバイオリンなどの弦楽器だが、これは弓を弾き続ける限り音が鳴り続けるという「音の持続性」を表現する楽器であると思う。ピアノもサスティンペダルをうまく使えばかなり長くのびる音を出せるし、ギターもロックの場合、ディストーションを利用してオルガンのようにのびる音を出すことが多い。
異論もあるだろうが、私なりに極論すれば、西洋音楽は、のびる音の長さが重要なポイントであるし、そののびた音で構成される和声によって成り立っているとも考えられる。
ところが、音ののびない三味線の場合は、音をどれだけのばすかではなく、音をどこで(どのタイミングで)出すかが一番のポイントになってくる。
民謡や浪曲などの三味線音楽をMIDI化しようと試みているのだが、実際の演奏を楽譜にしようとしてみると、三味線の音が出るタイミングが、西洋音楽のメトロノームに合ったタイミングから微妙にずれていることに気がつく。細かいフレーズも8分音符はもちろん16分音符でも32分音符でも表現できない微妙な位置で鳴る音で構成されているのである。というよりも、それぞれの音は16分音符等であっても、基本となるテンポ自体が微妙に伸び縮みしているように思える。
このテンポの伸び縮みをリードしているのが三味線の演奏である。三味線のばちっと切れる短い音が時間の流れを巧妙に切り分け、聴く者の時間感覚をゆさぶり、ゆらぎとうねりを生じさせていると私は感じる。さらにバチさばきによる音色の変化で遠近感などの空間的な効果をも表現している。
オーケストラによる直接的な分厚さやうねりも心地よい。しかし、三味線の演奏は、その微妙な間によって、聴く者のイマジネーションにオーケストラの演奏以上の広い空間・時間を感じさせる。
浪曲師と三味線を弾く楽士の二人だけで作られる浪曲の世界は、時としてジャズ以上にエキサイティングであり、交響曲以上に豊かである。(「オペラ以上に‥‥」と続けようとしたが、当たり前すぎるのでやめた)
時空を切るということでいえば、能の鼓はもっと典型的なのであろうが、これについては私自身が聴いてうねったという経験がなく、よくわからないので、何とも言えない。(謡曲・義太夫は好きだが、これについてもうんちくできるほどは聴いていない)
ホームページに戻る
前のページへ