宮沢賢治スーパースター?
学校の先生は、ずいぶん宮沢賢治が好きである。
小学校の国語の教科書に出てくる文学作品はたくさんある。その作者も多様である。壺井栄、今西祐行、あまんきみこ、新美南吉などは、どこの出版社の教科書でも作品が多く採り上げられている作家である。
これらの作家の作品が教材として出てきても、その作者について深く研究をして授業に臨むという教師はほとんどいない。ところがそんなに多くの作品が教科書に採り上げられていない宮沢賢治なのに、多くの教師は、賢治の作品を扱うときにだけ、異常に作家論を語るようになる。
なぜなのだろう。賢治の作品は、賢治の生涯を知らなければ味わえないような種類のものなのだろうか?。そうではないだろう。賢治の生き方が独特だからであろうか?。いや、個性的な生き方をした作家は、まだたくさんいるはずだ。賢治の作品世界が独自だからか?。それなら大江健三郎だって安部公房だってそうだ。
様々な要素が絡み合っているのだろうが、私には、宮沢賢治が日本の文学界の中で唯一無二の位置を占めているように思える。岩手県の最も大きな観光資源は宮沢賢治だと私は思っているのだが、そういう作家は他にはいないだろう。
文学に関してシロウトの人も、なぜか宮沢賢治についてだけは饒舌になるし、賢治を語るとき、不思議に幸せな気分になれるように思う。(実は私もそうである)
宮沢賢治は、釈迦やキリストのようなスーパースターなのだろうか。
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