お笑い秘密兵器


 ダウンタウンというお笑いタレントがいる。もともとは漫才師なのだろうが、今はタレントと呼んだ方がいいだろう。本を出したり、CDを出したりでずいぶん売れているようで、収入も多いらしい。最近はテレビ局とのゴタゴタがあったりで、番組を失ったりしているようだ。ちょっと前は才気があるのかななどと感じさせる要素もあったが、この頃は傲慢な上に、演技とも呼べないような手抜きパフォーマンスばかりで、芸能界の一線から消えていくのも時間の問題だろうと思う。

 すでにお気づきの方も多いだろうが、彼らが番組で多用しているのが、「スタジオ内の笑い声」である。アメリカのお笑い番組では昔から使われている手法だし、日本でもドリフターズなどはよく使っている。

 テレビの視聴者というのは、一人ないしは少人数でブラウン管を見ていることが多いはずだから、ちょっと可笑しいことがあっても声を上げて笑うということは少ないはずである。本来、大笑いというのは大人数の集団で発生するもので、一人の部屋で大笑いをするのは、それがよっぽど面白いことであるか、あるいはその人がちょっとオカシイ人であるかのどっちかである。

 「スタジオ内の笑い声」というのは、一人で見ている視聴者に、集団の中にいるような錯覚を生じさせ、大笑いをさせる呼び水のような役割を果たしている。

 ドリフターズの番組やアメリカのお笑い番組などは、それが効果的に使われているわけだが、その笑い声がなくても、つい小さな笑い声を発してしまいそうなおもしろさは持っている。ところがダウンタウンの番組はスタジオの笑い声を消してしまえば、ほとんど笑える要素がない。むしろ不愉快になるようなものが多い。彼らは「笑い声」という秘密兵器を使って、視聴者に笑いを強制しているようにも思える。共演するタレントを見ても、ダウンタウンの場合は自分たちの取りまきのようなタレントばかりを使っている。うっかりすると視聴者も取りまきの中に組み入れられてしまいそうになる。

 私はダウンタウンが嫌いだから、彼らばかりを非難するような論調になってしまうが、ダウンタウンに限らず、近頃のお笑い番組は安易な作りが多い。本当にお笑いの質を向上させるためには、「スタジオの笑い声」は副音声にして、必要のない人には聞こえないようにしておくのがいいだろう。

 何十年も前の録音の、落語や浪曲の名演には、スタジオに客を入れずに、芸人がマイクに向かって一人で演じたものが多い。それでも聞く人間がつい大笑いをしたり涙を流したりしてしまうのは、それが本当の芸だからであろう。



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