私の職業(教員)にとても関わりの深い言葉なのに、私自身、意味をよく理解していない言葉がある。
それが、タイトルに掲げた「つかさどる」という言葉である。
学校教育法第28条には次のような文章がある。
- 3.校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。
- 4.教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び必要に応じ児童の教育をつかさどる。
- 6.教諭は、児童の教育をつかさどる。
- 7.養護教諭は、児童の養護をつかさどる。
この「つかさどる」という意味がわかりにくい。
辞書をひくと次のようになっている。
- つかさどる【掌る・司る】《他動詞五段活用》
- (1)官職として担当する。役目として担当する。
- (2)支配する。統率する。
- (広辞苑より)
他の辞書でも似たような表現であった。和英辞典でひいてみると「govern(統治・支配する)」・「administer(管理する)」とあった。
これらを総合して考えると、「担当する」あるいは「管理する」ととらえてもよいのであろう。
結婚披露宴の司会などは、文字通り「会を司る」ということになるし、具体的にどんなことをするのかわかるような気もするが、「校務をつかさどる」とか「児童の教育をつかさどる」「児童の養護をつかさどる」となると少々わかりにくい。
「担当する」に置き換えて、「校務を担当する」「児童の教育を担当する」「児童の養護を担当する」にしてもよいかもしれないが、そうなると校長の場合、「校務を担当する」ということになり、若干ニュアンスが違ってくるような気がする。(「教育を担当する」「養護を担当する」では、あまり違和感はないが)
「管理する」に置き換えてみると、校長の場合は「校務を管理する」となり、しっくりくるが、教諭や養護教諭になると「児童の教育を管理する」「児童の養護を管理する」となり、あまりなじまない感じもする。
「担当する」「管理する」の2つの意味を包括するようなかたちで、「つかさどる」という言葉を使っているのかもしれない。
そこで視点を変えて、「つかさどる」の語源を調べてみた。
基本的には「つかさ」に位置するという意味のようだ。「つかさ」にも大きく分けると2つの意味があった。
1つは、「官・司・長・首」で、(1)「おもだったもの・主要な人物・首長」(2)「役所・官庁」(3)「朝廷に仕えている人・朝廷から任じられる官職」などの意味である。
2つめが、「阜・司」で、「土地が小高くなった部分・丘」の意味である。
「土地が小高くなった部分」としての「つかさ」の語源としては、「つみかさなる」とか「塚」とか「つち(地)かさ」などの説があるようだ。いずれにしても「高処」の意味を持つようで、これを生かして「つかさどる」を考えると、「高い位置にいて目を配り支配する」という意味になるだろう。
「つかさ」には「つかえおさ(仕え長)」の解釈もあり、それでいくと「つかさどる」は「朝廷に任じられた高官」ということになる。広い意味で現代風に解釈すると「公務員の管理職」ということになろうか。
「つかさ」を「束職(つかそ)」ととらえる解釈もある。この場合は「つか」が「手でつかむ」という意味になる。これで「つかさどる」を考えると、「掌握してとりまとめる」ということになりそうだ。
「校務をつかさどる」「教育をつかさどる」という場合には、最後の解釈である「掌握してとりまとめる」がふさわしいような気がする。
「校長が校務をつかさどる」という場合、「高いところに位置して管理・支配する」というよりは、「校務をきちんと掌握し、とりまとめ、推進する」というのが理想的であろう。「教育」や「養護」の場合でもこの解釈がしっくりくるように思う。
私なりの「つかさどる」の解釈は、これで一件落着したわけである(^^;)
ここからは例によって余談である。
経営が行き詰まった会社などが、外国人の社長を迎えて見事に経営再建を果たした例が数多くある。あるいはスポーツの世界でも外国人監督を迎えて成功している例も多い。
成功の理由として、古い日本の習慣や人間関係のしがらみにとらわれないことなどがあげられるが、言葉の面を考えると、日本語を話せないリーダーが部下の日本人と意思疎通をするには障害もありそうだ。
おそらくは通訳を介して話をするのだろうが、日本人どうしが含みの多いあいまいな日本語で話をするよりも、日本語と外国語が通訳というフィルターを通して明確に一対一で対応していくほうが、考えようによってはストレートな意思疎通ができるのかもしれない。意味のわかりにくい「つかさどる」を考えてみて、そんなことを考えた次第である(^^;)
<02.12.01>