声に慣れさせる



 ある研修会で大学の先生の講義を受ける機会があった。

 高齢の先生で、現在は名誉教授をしている方だった。



 年齢のためか、声が小さく、張りもない。そのまま聞いていると眠りに引きこまれそうな声である。

 正直なところ、私は、「これはよほど気を引き締めないと寝てしまうぞ。やばいなぁ」と思った。



 その先生は、簡単な挨拶の後、参会者全員に紙片を配った。

 まず、その紙に、研修会のテーマに関係のあるコメントを書かせた。次に、参会者に小グループを作らせ、グループ内で紙片を交換し、全体の場でそれを読んで紹介しあうという活動をさせた。

 参会者のほとんどは初対面だったが、この活動の中でなごやかな雰囲気が生まれた。先生は、それぞれのコメントが紹介されると、「あ、それはいいですねぇ」とか「それじゃ、このことについては後でみんなで考えていきましょうね」などと言葉をそえた。



 この活動を10分弱やった後に先生の講義に入ったのだが、不思議なことに、眠くなりそうなはずの先生の声が、はっきりと私の耳にひびくようになった。

 別に、先生が話し方を変えたり、声を張り上げたりした訳ではない。最初と同じ話し方をしているのに、この活動の後になったら聞こえ方が変わったのである。



 一言でいうと、聞く側が話し手の声に慣れさせられたということだろう。

 単に「耳が声に慣れる」というだけではなく、「場の雰囲気をリラックスさせる」、「聞き手に講師との親近感を持たせる」、「研修テーマに意識を向けさせる」というようなことを、いつのまにかさりげなく行っていたのである。



 それから1時間ほど、先生は抑揚のない弱々しい声で講義をされた。講義の内容もけっこう難しいものだったが、私たち参会者は誰ひとり居眠りをすることもなく、最後まで講義に聴き入った次第である。



 人に聞かせる話をするのなら大きな声ではきはきと話せるにこしたことはない。話すことを職業にする場合、効果的な話し方をするように心がけるべきだし、訓練もすべきである。

 しかし、声の質には生まれつきの要素も大きいし、無理をして大声を張り上げるだけがよいとはいえない場合もある。



 この先生の場合は、講義に入る前に様々な工夫をすることで、自分の話をきちんと聞ける聞き手の耳を準備させたわけである。聞く場づくり・環境設定を実にうまく行っている。



 私が教職に就いた頃は、教師がただ淡々と話すだけの授業を「大学の講義形式」などといって悪い例のひとつにあげていたのだが、今回、大学の先生もいろいろな指導の工夫をしていることを実感した。

 考えてみれば、純真無垢(^^;)な小学生を相手に話をするよりも、ひねた(^^;)大学生を相手にするわけだから、指導技術の面でははるかに進んでいるのかもしれない。私も大学の先生の講義の仕方に大いに学ばなければ‥‥と考えさせられた出来事であった。
<02.10.06>


ホームページに戻る うんちく目次へ