町民歌、歌ってますか
自分の住む地域のボランティア活動で、町内会の子供たちを集め、道路沿いのゴミ拾いをしていたときのこと。
小学校2年生の男の子が校歌を歌い始めた。それに合わせて他の子供たちも歌い出した。私も自分の母校の校歌なので、ほのぼのとした気持ちになり、いっしょに口ずさんでいた。
誰にも心に残る思い出の歌というのがあるだろう。
忘れられない思い出が、その時に流行っていた歌、歌っていた歌と結びついて、そのメロディを聴くたびに思い出が鮮やかによみがえるということがある。
同窓会でみんなが声を合わせて歌うのは、学生時代に流行っていた歌が多いだろうが、校歌が歌われることもあるだろう。広い世代が集まる「○○中学校同窓会東京支部大会」などという会では、必ず歌われるのではないだろうか。
儀礼的に歌うのではなく、校歌とともにそれぞれの人の心に学校生活やふるさとの思い出が浮かんでくるために、誰もが心から大きな声で歌うのであろう。
そんなとき、校歌だけでなく、町民歌を歌うことはあるだろうか。
町民歌ではなく市民歌とか村民歌ということもあるだろうが、私が町に住んでいるということと、町出身の人が多いのではないかということで、ここではあえて町民歌ということにさせていただく。
ふるさとの四季折々の風物が謳い込まれた町民歌こそ、ふるさとを思い出しながら歌う歌にふさわしい。同郷の人々が集うとき、町民歌を声高らかに歌えば感動も大きいだろう。
ところが、町によっては町民歌を歌える人が少ないということもあるようだ。
同郷の人々が集まり、ふるさとの歌を歌おうにも、肝心の町民歌を知らないということではどうしようもない。
町民歌を歌えない人が多いとすれば、それは学校に問題があるだろう。
町民運動会のような町の行事では町民歌を歌う機会もあるだろうが、それだけでは愛唱歌にはなりえない。町民誰もが町民歌を歌えるようにするには、小中学校で意図的に町民歌を歌う機会を設けなければならない。
新入生が校歌を歌えるようにするために、入学して間もない時期に学校では校歌を指導する。何度も繰り返し歌わせるのが効果的なので、毎朝歌う「朝の歌」で、4月には校歌を歌っているところも多いようだ。
・ なにかと論議を呼びながらいつのまにか国歌になってしまった・
国歌「君が代」も儀式のたびに歌っているので、ほとんどの児童生徒は歌える。
ところが、町民歌を歌うことは全く義務づけられていないので、学校によっては1年に一度も町民歌を歌わないというところもあるだろう。
私はこれまでいくつかの学校に勤めてきたが、機会あるごとに町民歌を歌う学校もあったし、全く歌わない学校もあった。当然のことなのだが、町民歌をしょっちゅう歌っている学校の子供たちは歌詞を見ないでも町民歌を歌えるし、歌わない学校の子供たちは町民歌そのものを知らない。
町民歌を歌うか否かだけで愛郷心を判断することはできないが、私の感じでは町民歌を歌っている学校の子供のほうがふるさとへの愛着が強いようにも思える。
私たちは日本の国民であるから(君が代論争は別として)国歌を歌うのはよいだろう。
また学校に通っている子供たちが校歌を歌うのもよい。しかし、学校はほとんどが町立(市立・村立)である。町民歌を歌うのもよいのではないだろうか。
入学式や卒業式等の儀式に、国歌・校歌の他に町民歌も歌うとなると、歌が多すぎるので、その際は町民歌を歌わなくてもいいだろう。
ただ、「○○小祭り」とか「○○中フェスティバル」といった文化祭的な行事の際に町民歌を歌うというやり方もできるだろう。あえて行事の際に歌わなくても「今月の歌」の1つに町民歌をとりあげるという工夫もできる。
学校の職員が必ずしもその町の出身者であるということはない。むしろ町外の人間のほうが多いかもしれない。
そうなると町民歌に対する思い入れはほとんどない。学校行事の運営も慣例の踏襲でやっていけば、それまで町民歌を歌っていない学校では、これからも町民歌が歌われることはないだろう。
町当局が学校で町民歌を歌うことを義務づけるということもないだろうから(かえって反発をかうかもしれない)、校長などがリーダーシップをとり、子供たちを町民歌に親しませるような配慮が必要なのではないかと思う。
総合的な学習の時間等で、地域に根ざした活動が重視されている今日である。また、市町村合併がここ数年で急速に進むこともはっきりしている。今こそ、町民歌をしっかり歌うべきときではないだろうか。
<02.05.07>
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