ぬくもり
私の教職生活の中で二度も校長先生としてご指導をいただいたI先生が、T小学校の校長をなさっていた頃、「ぬくもり」と題する学校通信を発行されていた。
学校通信とはいっても、学校行事の紹介などではなく、子育てに関する随想を毎号紹介するというもので、ご本人が書かれたものや感銘を受けた本の抜粋などで、家庭教育通信という趣のものであった。
保護者の方々からも好評であったし、教職員にも大きな示唆を与えるものであった。当時、若い教師であった私は、新しい「ぬくもり」が出るたびに、I校長先生の卓越した教育観に関心すると同時に、いつか自分もこのような文章が書けるようになれたらと思ったものだった。
ところで、そのタイトルが「ぬくもり」であるということに、当時の私は特別な考えを持っていなかった。
「ふれあい」とか「ともしび」とかいうような、平仮名表示の言葉が(流行歌や本のタイトル等で)よく見られる頃だったので、なんとなくそういう類なのかと思った程度であった。
当時、私は30代前半。いわゆる青年教師で(^^;)何かと忙しかったし、一人目の子供(長男)もまだ小学校に入ったばかりで家庭のことを落ち着いて考える余裕もなかった。
それでも長男はいつか大きくなり、私も中年の域に差しかかった(^^;) 子供はしばらく一人だったのだが、長男の誕生から12年もあけて長女が生まれた。
その娘も、もう小学校中学年になったが、私は今頃になって、I先生の「ぬくもり」という言葉の意味がわかったような気がする。
長男も長女も小学校低学年までは私たち親といっしょの部屋に寝ていた。
中学年になって別の部屋に寝るようになってからも、ときどき枕を抱えて親の布団にもぐりこんでくることがある。
単に「まだ甘えん坊なのだな」などと思っていたのだが、布団に入るとすぐに寝付くところをみると、親のぬくもりを肌で感じることで何か安心感を得ているのかもしれない。
自分にしてみても、側に子供のぬくもりを感じると、妙に心が安らいで平穏な気持ちになって寝入ることができるようだ。
私はあまり「眠れない」と悩むたちではない。仕事がたまっていたり、思うようにいかないことなどがあると、寝付けないで悶々とする人もいるようだが、私は布団の中であれこれ思い悩むぐらいだったら、起きて仕事をすればよいと考えるタイプなので(もっとも起きるのは嫌だから寝てしまうのだが‥‥)寝付きはよい。
それでも時には、布団の中で仕事のことなどを思い浮かべてしまい、ちょっと落ち着かない気持ちで寝ることもある(^^;)
そんなときに、子供が側で寝ていると、すーっと気持ちが軽くなって、仕事のことなどはどうでもよい気持ちになるのだ。
文字通り、ぬくもりで心が安らぐのだが、I校長先生が学校通信のタイトルを「ぬくもり」としたのは、家族のぬくもりを大事にしたいという気持ちがあったのかもしれない。
私の例のように、直接、肌のぬくもりを感じるという関係もあるかもしれないが、肌が触れなくても会話や表情でぬくもりを感じることもあるだろう。離れた場所にいても手紙や電話でぬくもりをたしかめ合うこともあるかもしれない。
心の平安が失われがちな時代だけに、理屈ではない安心感を与えてくれる家族のぬくもりを大切にしたいものである。
<01.09.16>
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