公的予算の家計化
来年度予算の概算要求基準が提示された。小泉首相が景気回復よりも構造改革を打ち出している中、歳出削減の緊縮予算となりそうである。
我が国全体が大きな借金を抱えているわけだから、それをなんとかするために無駄な歳出を押さえるという考え方には大いに賛成できるのだが、国の予算に限らず、県とか町とか、あるいは公的団体の予算の決め方・使い方に、私はちょっと疑問を持っている。
ビデオテープとか生CDなどを買うときにはA店よりもB店のほうが30円安いなどということにこだわっているわりには、パチンコなどのギャンブルで万札単位の浪費(あるいは勝利^o^;)をするというように経済観念に異常のある私に、公的予算をあれこれいう資格はないかもしれないが(^^;)それでも若干考えることがあるので書いてみたい。
家計の支出を抑えるために、賢い人は、月給が入ると、「これは光熱費」「これは食費」という具合に、封筒に一定のお金を小分けにするのだそうだ。
1ヶ月の間、その小分けにした封筒が空にならないように節約して使い、余った場合は貯金等に回す。どうしても不足な場合には予備費として寄せておいた封筒から支出する。
こうやって使えば、支出が極端に増大することもないし、ある程度の貯蓄もできるという。(財布に入っているお金をドンブリ勘定で使う私には真似ができそうもないが‥‥)
このように月給(収入)を封筒に小分けにする作業は、公的予算で「○○費」「△△費」というように予算の項目を分けていくことに似ている。
収入の大枠が決まっているのだから、支出の枠組みもきちんと決めておかなければいけないのは当然のことである。
ただ、公的予算の場合、家計と大きく違うのは、余ったお金を残さないということだろう。
学校関係の予算を見ても、出張旅費などは年度当初に予算の大部分を使うということはない。
突然、出張が必要になったりする場合に備えて、あまり無駄遣いをしないように抑えて使っている。
ところが、年度の後半になって出張旅費に余裕が出そうだということになると、いろいろな公開研究会の情報などを集めて、それに出張するようにして、予算を余さないようにしている。
年度末の2月頃に行われる公開授業研究会などは、それを参観しても、その年度に直接役立つということはないのだが、「次年度以降の研究推進に役立つ」ということで出張するわけである。(そうやって出張した人が年度替わりに転任することもある。広い目で見れば地域の教育力の向上に役立っているということにはなるが‥‥)
こうやって、決められた予算を残さずに消化しようとするのは、残してしまうと次年度の予算が削減されるからである。
これが一般家庭の家計であれば、封筒に残っているお金を、無理して全部使ってしまおうとすることはない。少しでも残して貯蓄等に回そうとするのが当然であろう。
「余ったお金は残す」という一般人の感覚から見れば当然なことが、公的予算では通用しないのは、「本年度の実績が次年度に影響する」という、単年度決算的な視点があるからだと、私は考える。
小泉首相(がこのホームページを見るわけもないか‥‥)に提言したいのは、本格的な構造改革を進めるならば、国の予算を少なくても2年以上の単位で見るような「長い目」が必要だということである(^^;)
「今年、あまりお金を使わなかったから、来年度は大幅削減」ということになれば、無理をしてでも予算の全額を使ってしまおうというのが当然である。
しかし、場合によっては、「来年度は大いに使う必要があるが今年度は使う必要がない」ということもあるだろう。
そこで、「今年は支出が少なかった」という場合でも、次年度は予算をそのままで据え置くとよいのではないだろうか。
次の年度も支出が少ないという場合には、そこにおいた予算が多すぎたと判断してもよいだろう。そうなれば3年目にはその予算を削減してもしょうがない。
3年目になって不足するようであれば補正予算で対応すればよい。
予算のぶんどり合戦という体制が、我が国の予算を必要以上に肥らせているように思う。
これが一般家庭の家計ならば、その家は破産してしまうだろう(^^;)
「構造改革には痛みが伴う」というのが、小泉首相の売り文句なのだが、現在の公的予算の使い方ほど、痛みを伴わないものはないだろう。「他人(ひと)の金を使っている」という感覚だからである。
一般家庭の「爪に灯をともす」ような節約感覚を、公的予算にも採り入れるべきである。
そのためには、各省庁の職員給与を、その省庁に割り当てられた予算の中で払うというようにしたらどうだろうか。
予算をオーバーした省庁の役人の給与は、それに応じて削減されるという具合である。
これなら、一番に「痛み」を感じるのは、その省庁(および関連役所)の職員である。他人の金を好き勝手に使うという感覚(があるとは思えないが)は是正され、「1円でも無駄にはすまい」という、一般家庭の家計感覚が出てくるのではないだろうか(^^;)
これまで、補正予算といえば、来年度以降の予算ぶんどり合戦に備えて、「我が省庁の仕事はこんなにお金がかかるんですよ!」というアピールのようなものであった(と思う)
しかし、「補正予算をとった省庁の役人の給与は削減される」ということであれば、必要のない補正予算を要求するところはなくなるだろう。敢えて「自分の給与は減っても、この事業だけは実現したい」というのであれば、それこそ公僕の鑑であるし、場合によっては、そういう熱意に対しては特別報奨金を以て応えてもよい。おっと私は首相ではなかった‥‥(^^;)
現在の日本が抱える借金は、1兆円とか2兆円という生易しいものではない。650兆円である。国民1人あたりだと約500万円、3人家族なら1,500万円である。
普通の家庭なら、1,500万円もの借金があったら一家心中ものである。
無駄なお金は1円も使わない。
残ったお金は貯める。
という一般人の金銭感覚がなければ、我が国は再生できそうにもない。
で、例によって、ここからは余談だが‥‥
我が国をちゃんと財政再建するためには(公的事業を拡大するなどという現議員さんの『ひとのフンドシで相撲をとる』というような発想は問題外だが‥‥)基本的には思い切って「大ナタをふるう」改革が必要だろう。
しかし、「千里の道も一歩から」で、細かいことから始めるのもいいのかもしれない。
例えば、議員さんとか、官庁・役所等の公用車。
1台1千万もするような「セン○ュリー」のような黒塗り高級車は必要がないだろう。どうせ後の席には議員さんやお役人が1人で座るのだろうから、1台100万円代で買える「カ○ーラ」のような大衆車で十分である。(マ○チでもよいし、軽乗用車でもいいだろう‥‥)
後席が狭いと不満を言うなら、運転手さんの座席を思いっきり前にスライドしてもらえばよい(^^;)
もちろん、公用車は安価な車にすればよいということであって、自らの社会的地位を誇示したいのであれば、自分の私的な車は何千万円もする高級車であってかまわない(消費拡大のためにはそのほうがいいだろう)
構造改革を唱える小泉首相の最初の取り組みが、「公用車を、環境に優しいエコカーに切り替える」というのは、ちょっと拍子抜けの感もあるが(^^;) それでも、お偉いサンの乗ってくる公用車が全て100万円以下の大衆車ということになれば、日本も変わってくるかもしれない‥‥(^^;)
<01.08.11>
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