PTA組織の危機



PTAが遠ざかる

 大阪の児童殺傷事件で、水を差された感もあるが、それでも「開かれた学校」づくりは大切なことだと思う。

 「開かれた学校」を考えるとき、「学校の何を開くか」も重要だが、「学校を誰に開くか」も大事である。

 開く対象として大きな存在なのが、児童生徒の保護者なのだが、その組織であるPTAが、今、学校から遠ざかっているような印象がある。



 具体的な現象として、PTA役員になろうという人がほとんどいないということがあげられる。

 私の知る範囲では、紙上投票などで役員を選出することが多いようだが、投票で選ばれても固辞する人も多い。そういう事態を避けるために、子供が在学中に1年だけやれば、あとは選出の対象にならないなどというように役員の任期を限定するなどの方法をとっている学校も多いようだが、そういう方法をとっても、数年すると、選出対象(まだ役員をやっていない人)が、役員をやれる環境にない(仕事がら休みがとれない、時間の余裕がない等)人ばかりになってしまうなどの状況が生じて、行き詰まってしまうということも起きているようだ。



こんな感じ‥‥



PTA誕生の経緯と現状

 こういう現象が私の周辺にだけ起きているのだろうかと思い、ネット上で探してみたら、次のようなサイト(PTAよ!どこへ行く?)を見つけた。

 PTA役員選出などに関する本音が語られているサイトである。私の周辺で起きているような問題が、全国的に存在することがわかる。



 PTAそのものについても探してみたら、「社団法人日本PTA全国協議会」の公式ページも見つけた。その中に「日本PTA50年の歩み」というコーナーがある。

 このコーナーは、単なる組織礼讃や宣伝ではなく、事実や現実に基づいてPTA誕生の経緯や実状をきちんと書いているので、大変に参考になる。



 それによると、「日本のPTAは、戦後まもなくGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)やCIE(民間情報教育局)の肝いりで作られたこと」、「GHQやCIEは、当初、全国的な組織ができるのに賛成していなかったこと」、「日本でPTAが急速に組織されたのは、それまであった学校後援会組織が母体になっていたためで、発足当時のPTAでは教師への手当等も含めて教育に関わる経費を支える組織でもあったこと」、「PTAの組織を使って政治家を目指す人物もいたことや地方ボスのPTAを使った台頭」など、興味深い記述も多い。

 また、現在の日本のPTAが抱える問題点などについても触れられているので、興味のある方はぜひご覧いただきたい(大作なので読むのには時間がかかるが)



PTA行き詰まりとして考えられる原因

 いずれにしても、児童生徒の保護者が、あまりPTA活動に積極的に取り組みたくないと考えてきている傾向はあきらかであり、その具体例として、PTA役員のなり手がいないという現象が出てきているのは事実のようだ。

 それには、いろいろな原因が絡み合っているのだろうが、次の3つに整理してみた。



1.保護者の生活の多忙化

 時間が自由になる職種の保護者が少なくなり、平日にPTA活動等のために休みをとることが難しい保護者も増えてきた。



2.役員の負担の増大

 PTA参観日やPTA行事に自由意志で参加(あるいは不参加)すればよいだけの一般会員に比べて、PTA役員になると参観日や行事の際に欠かさず参加しなければならない。それに加えて、行事等の事前準備や役員会など、学校に行かなければならない機会が多くなる。

 また、PTAの正副会長や各部の部長などになれば、校内のPTA行事だけでなく、上部団体(郡市・県・全国)が主催する行事や地域の会合等に参加しなければならなくなったり、校内の会合や学校行事の挨拶や司会をやらなければならなくなったりで、負担が大きくなる。



3.横のつながりの希薄化

 保護者のPTA参観日への参加のしかたによって、4つに分類してみた。

ア.参観日に来ない
 本当は参観日にいちばん来て欲しいような保護者にこのタイプが多いようだ(^^;)


イ.授業だけ見て帰る
 自分の子供とのつながりだけを大事にするタイプ。


ウ.個人面談だけして帰る
 担任とのつながりだけ大事にするタイプ。


エ.学級懇談に参加する
 横のつながりを大事にしているタイプで、学校としてはこういう方がありがたいのだが、最近ではこういう保護者が学級で数名しかいないという状況も見られる。




 小学校の6年生の保護者でも、親同士がほとんど互いを知らないという事実もある。

 個人情報の保護のために、学級のPTA名簿に、勤務先とか電話番号などの詳細な情報を載せなくなったことも影響しているのかもしれないが、学校(PTA)のつき合いを別にしても、地域での横のつながりが希薄になったことが影響しているのだろう。

 授業参観日はPTA行事であるのだが、自分の子を見るためや、担任と話をするためだけであれば、別にPTA行事でなくても「学校主催行事」であってかまわない。

 PTAでの飲み会も少なくなっているようで、ある意味では教職員の負担が減ったのだが、それがPTA会員(保護者・教職員)相互のつながりも希薄化することになっているのかもしれない。



で、どうしたらよいか?

 PTAの活動(特に役員)が大変だということは事実である。そういう過重な負担を特定の人に何年間も続けてもらうのは大変だということで、前述のようにPTA役員の再任を妨げるというような方法も工夫されているが、この方法も最上級生の保護者になったときに(卒業学年のPTA学年部長の仕事は大変である)適任者が誰も残っていなかったなどという問題も残る。(誰もがPTA会長や部長をできるわけではない)

 役員選出方法にも工夫は必要だろうが、おおもとになるPTAや役員の在り方そのものも改善していかないと問題は解決しないだろう。

 そこで、私としては次のような方法を提言したい。



1.保護者の生活に合わせた時間等の設定

 平日の昼間には時間がとれないという保護者に合わせて、参観日を休日にしたり、種々の会議の時間を夜にしたりする。

 その分、教職員の負担が増すが、代替措置等である程度は対応するものの、基本的には後述するボランティア精神を大切にしたい。



2.役員の負担の軽減

 PTA会長などは、校内のPTA活動に費やす時間よりも、外部の会に参加するための時間が多いような現状である。

 外部団体等に、なるべくPTA役員を要請しないように呼びかけるとともに、参加要請は学校に対して行ってもらい、会長の参加分を副会長や各部長に分担してもらうなどして、負担軽減を図る。

 また、PTAの各種校内行事等も、過重な事前準備が不要なものに内容を改善する。



3.横のつながりを深める

 「飲みニケーション」が全て良いとは言えないが(飲まなくても本音を語れるPTAでなくてはいけないという考え方もある)、一緒に酒を酌み交わすことで親近感が増すということも否定できない。場合によってはそういう場も活用したい。

 また、各種PTA行事や参観日の在り方も、自分の子や教師だけを向いたものではなく、会員相互(親どうし)が交流できるものに改善する必要があるだろう。



天空の城ラピュタ化

 このページの最初に掲げたのは、ご存知の「天空の城ラピュタ」である。

 現在のPTA会長さんたちの多忙さを見るにつけ、ラピュタを思い浮かべてしまう。

 PTAの正副会長になると、自分の学校のPTA行事だけでなく、卒業式や入学式等の学校行事、郡市PTAや都道府県PTAの各種行事(場合によっては全国PTAの行事も)、青少年健全育成会議等の地域の諸団体の会議などに参加しなくてはならない。

 しかもそれらのほとんどは日中に行われることが多いので、ざっと数えただけでも10日くらいは有給休暇を使わなくてはならないような状態である。

 農家や自営業のように、ある程度時間がとれる職種(にしてもPTA活動による負担は大きいのだが)の方だけがPTA役員をやっているわけではなく、この頃では会社員や公務員などのPTA会長も多いので、職場では白い目で見られているということもあるのではないだろうか。

 かなり昔なら、それでもPTA会長を足がかりに市町村の議員に‥‥などという野心を持っていた人もいただろうが、この頃では「ほかに誰もやる人がいないと頼まれてしかたなく」会長になったという方がほとんどなはずである。



 そういう会長さんたちにとって、いちばん負担になるのは、自校のPTA活動ではなく、郡市PTA大会・県PTA大会・全国PTA大会などの外部行事のようだ。

 全国大会(今年は秋田県で開かれる)などになると、数日も仕事を休み、かなりの経済的負担をして参加しなければならない。

 そうやって参加した上部団体の大会も、分科会などでの意見交流等で勉強になる部分もあるだろうが、日程の多くの部分は儀式である。まあ、そういう部分でも得るものはあるかもしれないし、それを機会に他の地域の人と交流が生まれたりするというメリットもあるかもしれないが、それを自校のPTA活動に還元できるかというと、ちょっと疑問符がつく。

 他地域のPTA役員との意見交換・情報交流であれば、このインターネット時代なのだから、「全国PTAインターネット会議」のようなもののほうが、より合理的であろう。



 前述の「日本PTA50年の歩み」によれば、日本PTAの最初の形態は「父母と先生の会」であった。今も基本型は同じはずである。

 各学校で、一般保護者のPTAへの意識が低下している中で、PTA役員にのみ過重な負担をかけている上部団体の会を、いかに盛大に行っても、その事態は、地に足がついていなくて、空中に舞い上がってしまった「天空の城ラピュタ」のように思えてならない。



ボランティアの意識で

 日本PTAのお手本になったのは、19世紀末に発足したアメリカのPTAである。

 日本のPTAはその後、独自の発達(?)を遂げ現在のようになったのだが、本家のアメリカPTAとの大きな違いはボランティアの意識である。

 アメリカのPTAは、自分の子供のことだけでなく、広く社会全般の子供と教育に関わる問題に取り組む組織である。(しかも、日本のように単一校PTA組織→郡市PTA組織→都道府県PTA組織→全国PTA組織というような、団体単位のピラミッド構造ではなく、自由意志の個人が直接結びつくような構造になっている)

 アメリカのPTAのような、「子供の健全な成長のため」というねらいであれば、その運動体として全国レベルの組織も意味がある。そして、その活動はボランティア精神が基本になるであろう。



 ところが、日本のPTA活動を見たときに、基本になっているのは、「自分の子は学校でどう過ごしているか」とか「担任の先生は自分の子をどう見ているか」といった「自分中心」の発想のように思える。

 これでは「地域の子供たちの健全育成のために」とか「子供たちが楽しく過ごせるように」などといったボランティア精神には結びつきにくい。そういう発想の保護者たちを地域レベルや全国レベルで結びつけようにも無理があるように思える。



 ボランティア精神は、保護者だけでなく教職員にも必要であろう。

 自分が勤務する学校の地域の子供たちの幸せのために、自分の(個人的な)時間を使うという意識がなければ、保護者に合わせて教職員も夜の会合に出席するというのは無理である。(そういう意識は必要であると思う)

 労働に関する法規等を厳密につきつめていけば、教職員が夜の会合に参加したりする必要はないのだが、担任している子供に対する愛情や責任感は、親も教師も同じだと考えたい。親も仕事を休んで学校に来てもらっているのだから、教師も仕事の時間以外に担任している子供のために自分の時間を費やすということがあってもよいのではないだろうか。(実際には、勤務時間後や休日にまで、子供の日記や作品を見たり、学級便りを書いたりしているのだが‥‥)



やっぱりPTA

 PTA不要論もある。たしかにPTAという組織がなくても、授業参観日などは、学校主催の行事として実施可能である。学年のPTA行事にしても同様である。

 PTAの活動が参観日や学校主導の行事しかないのであり、PTA会員はその雑務請負のようになっているのであれば、PTAはなくてもよいだろう。PTA役員がそのために自分の生活を犠牲にしているとなればなおさらである。

 しかし、6年間も小学校に子供が通いながら、その親どうしはお互いに「私はどなたもご存知ありません」という実態を見るにつけ、地域社会というのはそんなものであってはならないと思うし、それを改善する一つの手段がPTA活動の活性化ではないかと考える。

 アメリカとは違った独自のスタイルを持つようになった日本のPTAであるが、自分の子を核とした形態は否定しないので、そこにしっかり足をつけて土台を固め、本家のアメリカにも誇れるような日本独自のPTA活動を展開してほしいと思う。



 ということで、日本のPTAは、自分の学校での活動だけに(限定して)力を注いだほうがよいように思う。

 なんでもかんでも、郡市○○とか、都道府県○○とか、全国○○とかいう組織が必要かというと、それに馴染まないものもあると思う。PTAなどはその典型ではないだろうか。日本でPTAが発足した当時CIEが全国組織を作るのに賛成しなかったこともわかるような気がする。

<01.07.15>


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