誰が親を諭すか



 この頃、「この子の親をなんとかしないといけない」と思うことが増えてきた。



 職務上知り得たことを公開することはできないので、具体的な事例を述べることは差し控えたいが、私が見聞きしたり、他校の様子を聞いたりしても、子育てをする能力に欠ける親が出てきているようだ。



 10年ぐらい昔だと、「子供の行動に問題があるので、なんとか良くしたい」ということで親が学校に相談に来るというのが一般的だったのだが、この頃は、子供には問題は現れていないが、親に問題があるという事例がかなり見られるようになってきた。

 具体例を出せないので、ぼんやりした書き方になってしまうが、親が自己中心なため子育てを放棄しようとしたり、親の生活が破綻していて子供に悪影響を与えたり、親の気分次第で子供を拘束したり溺愛したり虐待したりという具合である。



 子供に罪はないのだが、そういう状況だとどうしても子供の性格や行動にも影響が出てくる。



 「この頃、あの子はちょっと変わったな」と思って面談等しているうちに親の問題が表面化してきたり、中には親が自分自身のひどさを棚に上げて「うちの子がちょっと変なので‥‥」などと学校に相談に来て事態がはっきりすることもある。「うちの子を施設に預ける方法はないでしょうか」などと相談に来るという例もあるそうだ。



 たくさんの人間がいれば、中には性格や行動に問題がある人もいるだろう。現に子供の場合には学級の中に何人かは行動面で改善を図らなければならない子もいる。

 しかし、これまでは、親に問題があるということは少なかったと思う。生活面等でどんなに問題がある親でも、我が子にだけはちゃんとしたいという愛情があったはずだからである。

 ところが、ここ数年、子供に対する愛情が希薄だったり、自分では愛情だと思っていても自己中心な間違った愛情だったりという親が増えてきたようだ。



 こういう場合、子供の健全な成長なためには、親の意識や生き方をなんとかしなければいけない。



 とは言っても、現実には、それがいちばん難しい。



 子供が相手なら、厳しく叱ったり、懇々と諭したりすることもできる。しかし、相手が(いくら親として失格なような人間であっても)大人となれば、頭ごなしに叱りつけることもできない。まして、一般の人よりも常識が通じないような人だとなればなおさらである。



 かといって、それであきらめて、手をこまねいていることもできない。そのままでは子供がどんどん不幸になってしまうからだ。場合によっては親をガツンと叱ったり、「あなたの生き方はこのままではいけませんよ」と諭したりすることも必要である。



 問題なのは、それを誰がやるかということである。



 子供や親といちばん近い存在といえば学級担任なのだが、担任には親を諭す役割を任せないほうがよいだろう。こういう事例の場合、親が社会性に欠けることがある。担任も親にガツンと言いたいことがあるはずだが、そこで親との関係をこじらせてしまえば、親と学校や社会との窓口が失われる。そうなると結果的に子どもが救われないことになる。

 担任には辛いことかもしれないが、親の言い分の聞き手・相談相手の立場をとってもらうのがいいだろう。



 では、親を諭す役割を誰に任せるのが適当だろうか。



 一般的には校長が行うべきかもしれない。学級担任は子供を教育するわけだし、学校においては担任の親のような立場である校長が、「私に任せておきなさい」といって乗り出すのが妥当とも考えられる。

 ただ、校長は学校を代表する立場であり、その言動は、個人的なものであっても学校全体の総意というように受け取られる。安易に親を怒鳴りつけたりした場合には、学校あるいは教育行政全体の意見と受け取られて、問題になる可能性もある。事を荒立てない学校経営を目指す校長であれば、自分が親とがっぷり組んで渡り合うことに及び腰になることもあるだろう。



 校長が全面に出て決定的なトラブルになることを避けるために、校長の意向を受けて、教頭なり、教務主任なり、学年主任なりが前面に立つことも考えられる。テレビドラマなどに例えれば、いわゆる敵役をかって出るという具合である。これがうまくいけば幸いということになり、失敗した場合には、「教頭がかっとなって個人的に暴言をはきましたので、お詫び申し上げます。私から厳しく注意しておきます」と校長が謝ればよいということになるのだが、これはかなり姑息で中途半端な方法である(^^;)



 学校内に頼りになる人間がいないとすれば、地域の福祉事務所なり、児童相談所なり民生委員なりにお願いをするという方法もある。場合によっては家庭裁判所や警察にお願いするということもあるだろう。

 そういう事例も知っているが、それぞれの立場の方ができる範囲で最大限の努力はしてくれるものの、やはり限界があるようだし、親を目覚めさせるというよりは、法的措置等によって一定の処分を下すという結果になりがちである。(それが必要なことも多いが)



 子供にとっても親にとってもよい方向に向かわせるとすれば、やはり、ある程度、その家族と親しい関係にある人が忠告し諭すべきだろう。



 それにあたるのが、親族や、友人、近所の人なのだろうが、問題のある事例等の場合、そういうつき合いが一切ないことがある。知り合いとの関係を絶って、見知らぬ土地に越してきたり、近所づきあいや親戚づきあいを全て拒否したりしている例が多いのだ。

 大家族で暮らしていた(そうしないと生計が立たなかった)昔とは違い、核家族化が進み、あまり収入がなくても社会保障が行き届いている現代、精神的に未熟な親が子供を産み、きちんと子育てできないでいる状況がさらに進んでくると考えられる。



 私は現在その立場にないし、将来もなれるかどうかはわからないが(^^;) 仮に校長になったあかつきには、懐に辞表を抱えて、必要によっては親にガツンと言わなければならないかと思っている。



 もちろん、怒鳴ることがよいのではないし、静かに語り合う中で親が目覚めてくれることが理想なのだが、ときとしては強い口調で話さなければならないこともあるだろう。

 ガツンと行くか、泣き落としにかかるかは別として(^^;) 子供も担任も困っている状況があれば、率先して乗り出していく校長でありたい。学校の子供たちや教師たちにとって親のような存在の校長であれば、そうすべきなのではないかと思う。



 「なるべく事を荒立てないようにし、後から問題になることがないよう配慮して、担任の先生に頑張ってもらいましょう。それが無理なら学校としてはどうしようもないので、外部の機関にお任せするようにしましょう」というのでは、それこそ、学校の親として未熟だということになってしまう。



 もっとも、これは、私の性格や持論からくる考え方であって、もっと深い考えのもとに、私が考えるのとは全く違った方法で対応する校長先生もいることだと思う。また、私も学校をあずかる立場になれば、様々な状況を考えた上で、別の判断をくだすかもしれない。

 ただ、現在、青二才の教頭の時点で、こうしたいものだと考えていることを忘れないように、今の考えを書き留めてみた次第である。
<01.02.21>


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