定義づけで共通理解
私が初めて研究主任をしたときだから、10年前のことになる。
新設で、しかも当時、地域では珍しいオープン教室を持つ学校だったので、研究の推進計画を立てなければならない立場の私はけっこう大変だった。
それでも、先進校の研究計画を参考にしたり、実際に視察させてもらったりして、なんとか自校なりの計画を立て、研究をスタートさせたのだった。
ところが、実際に指導法の研究を始め、授業をスタートさせてみると、なかなか軌道に乗らなかった。私がイメージしていた授業と、担任の先生たちが行っている授業に、かなりの違いがあったのである。
新しい学校で新しい授業を作り出そうと意欲に燃える教師ばかりだったので、研究に関する会議も数多く開いた。その中で次第にはっきりしてきたのが、研究推進のキーワードに対するとらえ方が、教師ごとに微妙に違うということだった。
当時の研究主題は「児童の個性と能力を育てる学習指導」で、副題が「多様な学習活動を組織し、生きてはたらく学力を育てる」であった。
この「個性」とか「能力」、「学力」のとらえ方に個人差があったのだ。
私としては、研究の方向を決める際に、いろいろな参考資料を読んだ。(加藤幸次氏のものが多かった)そこで、「個性」だの「学力」だのについては、それらの資料での定義づけが、基本になるものとして頭の中に入っていたのである。
ところが、全ての教師が同じ資料を読んでいたわけではない。(大事な部分は私がコピーなどして渡してはいたが、全員が精読したとは言い切れない)私とは別な資料をもとに別の概念を持っていた人もいただろうし、自分の教職経験から自分なりの概念を持っていた人もいただろう。
極端な言い方をすれば、私が「『あれ』をやりましょう!」と呼びかけて、他の教師が「ああ、『あれ』ね、わかりました『あれ』を頑張りましょう!」と応えていたようなものである。
「個性」とか「学力」などというものは、特に定義づけが難しい。受け取り方によっては一つの言葉が全く逆の意味にとられることもある。
このままではうまくいかないと、私も他の先生たちも感じたので、年度途中ではあったが、それらのキーワードについて、あらためて定義づけを行うことにした。
私が考えていたものを具体的に文章化して提示し、他の教師に吟味してもらったのである。その結果、キーワードに関する解釈のゆらぎが消え、研究の方向がかなり定まってきた。次年度からの研究推進計画には、最初から重要語句の定義を明示するようにした。
定義づけはなるべく簡単な表現のほうが良いようだ。長くても3・4行で収まるのがよい。
「○○を○○すれば○○になる。このときの○○を○○と言う」という程度にする。
「おたくの学校の研究主題では○○という表現を使っていますが、それをもう少し具体的に説明してください」と突っ込まれたときに(^^;)、研究主任に任せるというのではなく、ベテランの教師も新人の教師もきちんと説明できるように共通理解した定義づけがあったほうがよい。
他の人から突っ込まれたときに安心ということではなく、研究の方向性を決めるキーワードを誰もがきちんと意識していることによって、全校が一丸となった研究や学習指導ができると思う。
余談になるが
研究主任は大事な職務である。研究主任の力しだいで学習指導が大いに充実することもあるし、その逆もある。
全校の職員に、今年度の学習指導の重点をきちんと意識づけるのは研究主任の仕事である。そのためには研究の重点をすっきりと意識づける機会を多く設けるべきである。
授業研究会の際にも、授業者にお任せなどということなく、「この○点について方向を明確にした授業を展開して欲しい」と明示すべきだし、協議会の話題も研究の重点にしぼった方向を打ち出したほうがよい。
指導案の表紙などにも、研究の重点を構造化した図などを常に掲げたほうがよい。「研究の方向については年度始めに出した資料を参照ください」などと言ってすませてしまうのは手抜きと言われてもしょうがない。
<01.02.10>
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