全校群読から全校ラップに



 朗読の一形態として「群読」というのがある。



 詩や物語などを複数の人間で朗読するものである。単に全員が声を合わせて同じように読む「斉読」とは違って、1人の声と大勢の声を掛け合わせたり重ねたりする多様な表現が可能で、前から国語科の学習によく採り入れられていた。



 また、既存の詩などを群読化するために、どこをどのように読むかという構成を工夫することも学習活動として有効であり、単に表現の学習としてだけではなく、理解の学習としても効果がある。(群読については、詳述した書籍もあるので、ここでは専門的な説明等は省略する)



 きちんと群読に取り組むのであれば、読む作品(詩など)をどのように解釈し、ソロの部分やアンサンブルの部分などをどう配置し、それぞれの部分のテンポや声の大きさをどのようにして、さらに発声者の配置をどうして、エコーやステレオ化などの効果をどう加えるかなど、様々な工夫が必要になる。



 しかし、それほど大げさに構えなくても、学級や学校という集団で声を合わせて詩を朗読するというのは、かなりの効果があるので、全校の集会などで取り組んでいる例も多いようだ。

 既存の詩でなくても、教師や子供がオリジナルの詩を作って、それを群読化することもある。これは卒業式などで「呼びかけ」という名称で行われることも多い。



 卒業式に限らず、文化祭的な行事でも行われることもある。私の現任校でも、今年、新しい試みとして、恒例の「○○小祭り」でオリジナルの全校群読に挑戦してみようということになった。



 実際にやってみたら、ちょっと面白いものに変化していったので、そのことを紹介してみようと思う。(なお、実際に計画の作成や指導にあたったのは国語主任を中心にした6名のチームで、私は折りにふれてヒントやアドバイスを与えるという関わり方をしたのだが、以下の文章では誰が何をしたという書き方でなく、私たちが○○をしたという書き方にしている)



 「○○小祭り」で群読する詩(のようなものというべきかもしれないが)は、時間をかけて書き上げる予定だったが、その前に全校群読に慣れておこうということで既存の詩を使って群読に挑戦してみた。



 結果は悲惨だった(^^;) 子供たちの声は小さいし、リズム感もほとんどない。さらに何を言っているのか聞き取れないという状態であった。

 とりあえずやってみようということで、詩の各連をそれぞれの学年に割り当て、順番に読んでいくという方法にしたのだが、低学年と高学年では言葉のテンポがかなり違う。「ゆっくりと」「言葉をはっきり」ということにポイントを置いて指導していたせいもあって(これがあまりよい指導でなかったことも、そのときにわかった)低学年に合わせると間延びしたテンポになってしまう。

 また、他の人と合わせようとすると、発声の出だしが遅れ気味になる。大勢で声を合わせるとそれだけでも頭の子音が聞き取りにくくなるのだが、さらに出だしが遅れることで、頭の子音はほとんど消えてしまう。例えば「さわやかに」が「あわやかに」になってしまうのだ。



 要するに、一人一人の子供の中に群読する詩が内在していなかったのである。



 これが歌であれば、子供の中にはすでに歌のメロディーや詞が存在しているので、あえて「他の人と合わせて歌おう」という意識がなくても、一人一人がその歌を歌うことで、結果的に全員の歌が揃うということになる。



 本格的に群読をやるのであれば、歌を歌うように、詩の読み方の節回し・テンポ・声の大きさなどが、きちんと全員の頭に入っていなければならない。それがあってはじめて、全く韻を踏んでいないような詩でも、緩急に変化をつけたり、無声部分を生かしたりするような、表情のある群読が可能になる。



 そういう群読にするには、詩の原稿を全員に渡して、いきなり読み合わせをするというやり方では無理である。

 群読のイメージの立案者(アレンジャーといってもいいだろう)が、表現のしかたの計画を立て、それに沿って教師の何人か(あるいは数人の子供でもよい)で、範読をテープに録音するのがよい。(ステレオ録音が望ましい)

 これを群読者全員に何度も聞かせれば、どんなに難しい表現方法でもじょうずに群読できるようになる。



 私の学校では、それほど高度な表現を行うつもりがなかったので、この範読の録音という手順を省略したのだが、そのせいか最後まで読みがそろわなかった。もっとも、そろわなかった「ケガの功名」で、後述するような成果(?)が生まれたのではあるが‥‥(^^;)



 まず、肝心な詩の原稿を作ることになった。基本的には各学年が自分たちの部分を作って、それを全体でまとめあげることにした。



 何もないところから一斉に作るのも難しいので、1つの学年で試験的に作ってもらった。これがどうも群読向きではない。詩の内容(意味)はよいのだが言葉のリズムが群読で読み合わせるには不向きなのだ。いろいろ読み方を工夫はしてみたが、合わせにくいし、音声にしたときの快さに欠ける。(音声表現の場合、声にして気持ちいい、聞いて快いというのが大事である)



 そこで、リズムを意識した詩にすることにした。4分の4拍子のリズムに乗る詩を作ることにしたのである。



 その結果、「ぼくらは元気なサツマイモ、毎日お世話をありがとう」とか、「待ってよ待って捨てないで、ペットボトルが服になる」のような表現ができあがった。

 八五調が多かったが、五七調の表現もある。どちらにしてもリズムに乗ることができればよいということにして、あまり窮屈な制限はしなかった。長い群読なので最初から最後まで同じ調子では飽きてくる。基本的なリズムが統一されていれば、ある程度の変化はあったほうがよいかもしれない。



 詩ができあがったので、今度は全体での群読練習に入った。ところがこれがうまくいかない。



 1年生の部分からスタートするのだが、最初からリズムはぐちゃぐちゃである。範読テープでの練習を省略したこともあって、詩の歌い方(あえてこういう表現をする)が子供の中に入っていないのである。他の人と合わせようとするといっそうキレのない歌い方になる。

 これではいけないと、担任の教師が手拍子やタンバリンで4拍のリズムを叩いて、なんとかそろえるのだが、本番の群読で教師が必死になって手拍子を叩いているのはかっこわるい。かといって手拍子なしでは、とたんにリズムがくずれてしまう。



 やはり何らかのリズムを刻むものが必要なようだ。群読用に考えられた詩であれば「わっしょい、わっしょい」のような言葉でリズムを刻んでいくものもあるし、郷土芸能の太鼓でリズムを叩くという方法もあるが、私の学校の群読ではそういう工夫をしていなかった。



 この時点で、「○○小祭り」まで1週間もなかった。そこで少々かっこわるくてもリズムを刻む方法をとることに決めた。

 しかし、手拍子はいただけない。かっこわるいというだけでなく、四分音符のリズムを叩くだけではあいまいなのだ。4拍のリズムを明確に意識させるには、少なくても倍以上の細かさを刻むのがよい。つまり八分音符でリズムを刻む8ビートが望ましい。

 さらに手拍子のように1小節の頭がどこか不明な刻み方ではなく、「ズンズンタッツタ、スタズンタッツタ」というようなビートの変化があるドラムのような刻み方がベストである。



 そこで思いついたのがリズムボックスの活用だった。リズムボックス機能をもつもので学校にあるものといえば電子キーボード。本体だけだと音量不足なので外部アンプで増幅して群読に合わせてみたら、効果は絶大だった。

 使うリズムやテンポについては群読の雰囲気に合ったものに設定する必要があるが(この場合は基本的な8ビートで、テンポは80にした)リズムボックスを鳴らした瞬間に子供たちの群読は目に見えて歯切れがよくなった。



 自分の声を他の人に合わせるのではなく、リズムに合わせていくのだから、乗りがよくなるのは当然のことであった。



 リズムボックスの音を大きめにしたので、子供の声がかき消されて聞こえなくなるのではないかという心配もあったが、全く問題はなかった。バイオリンやオルガンのような継続音ではなく、ごく短い音だし、音質的にも人間の声とは違うのでいっしょに鳴ってもじゃまにはならない。むしろ声を強調するような効果があったし、ドラムのビートに乗って声を出すことで、子供の声は必然的に大きくなった。「こらっ!大きな声を出せ!」などと怒鳴らなくても、子供たちが自然に大きな声を出すようになったのだ。



 ここまでやってきて気づいた。「これはラップと同じじゃないか」と。



 ラップについてはご存じことと思うが、辞書では次のようになっている。



ラップ[rap]
 ダンス-ビートに合わせてリズミカルに早口の語りを乗せていくスタイルの音楽。1970年代後半ニューヨークの黒人街で流行し、80年代のヒップ-ホップ-カルチャーへと継承される。



 8ビートに合わせて八五調の言葉を乗せただけの我が校の群読は、本格的なラップというほどのものではないが、子供たちの身体の動きを見ると、どの子もつま先や身体全体でリズムをとっている。自分が声を出す部分だけでなく、最初から最後までリズムを楽しんでいるのだ。



 今回の「○○小祭り」の群読は、中途半端な試みであったが、最初から全校ラップを目指した試みをやってみるのも面白いのではないかと思った。



 きちんとしたかたちの本格的な群読もよいのだが、乗りのよいダンスビートを用いて、細かい言葉の刻みをスリリングにリズムに乗せるラップの手法で詩を読むのも面白い。

 ラップ独特の合いの手や手拍子を入れたり、ファンキーな身体の動きを組み合わせたりすれば、もっと楽しくなるだろう。

 中高生あたりなら、群読には興味を示さない生徒もラップなら乗ってくるということもあるかもしれない。



 新しいダンスビートとなると不得手な教師もいると思うが、そこは子供に任せてみるのも一つの手だ。読み譜(群読の場合はこれが必要)の作成も子供の手でやらせるという方法もあるだろう。

 群読の精神は生かしながらも、より若い子の感覚にフィットするラップというスタイルを使ってみるという試み、皆さんの学校でもいかがだろうか。

<00.11.18>


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