講演会のつや消し
つい先日、参加した講演会。講演の内容も良かったのだが、その後の主催者の挨拶が良かった。
PTA関係の講演会で、最後に講演会の講師に対する謝辞を某PTA連合会の会長が述べた。
「通例ですと、ここで今日のご講演についての感想等を述べるのですが、私は敢えて述べません。今回の素晴らしいご講演に対して、お聞きになられた皆様には、それぞれのご感想があることと存じますし、ここで私個人の感想を述べたりすることは、かえって講師の先生の素晴らしいお話に対して失礼だと思うからです」
この挨拶をした会長さんは、私より少し若い方のように拝見したが、なかなか、もののわかった方だなあと感心した。
講演会に参加していて、よく残念に思うのが、最後の主催者謝辞である。
「なんとか研究会」とか「なんとか協議会」の定例行事として講演会を行う場合、その団体の代表者の方が講師に対してお礼を述べるのが、私がよくみる会次第の一般的なパターンのようだ。
ごくまれに(数十回に一度ぐらいは)講師の講演そのものよりも味わい深い謝辞を述べる例もあるが、たいがいは「やらなければいいのに‥‥」というような謝辞である。
いちばん多いのが「○○先生はこんなことをお話しました」という内容要約型である。講演の間、寝ていた人にはありがたいのかもしれないが(^^;)、ちゃんと聞いていた人にとってはいい迷惑である。
講演を依頼されるぐらいだから、講師の人はほとんど話術に長けている。そういう話のじょうずな人が長い時間をかけて話した内容を、要約したところでほとんど意味がない。
「私は居眠りなどしないできちんと聞いていましたよ」という証明にはなるかもしれないが、それを聴衆に向けてアピールする必要などはない。
それでも講演の内容をうまくまとめていれば、なんとか格好もつくのだが、ときには、講演の主題からそれた部分に目を向けてしまったり、大事な内容を落としてしまったり、明らかに間違った解釈をしていたりというようなことが露見するような(^^;)謝辞を述べる例などもあるようだ。
こうなると恥をさらすことにもなりかねない。謝辞を述べた人個人の恥であるだけでなく、その人が参会者の代表であったりすると、会場にいる人全員が気恥ずかしい思いをすることもある。
子供が文章の要約力の試験を受けるわけでもないのだから、無理をして(場合によっては自分の理解力のなさをばらしてしまうような)内容要約型の謝辞を述べる必要はないだろう。聴衆もほとんどそれは期待していないのである。
ごくまれには、そういうパターンで謝辞を述べてもそつなくまとめて、聞き手にも「ははあ、この人も頭のよい人だな」と感じさせるような人もいるが、これも必要がない。あくまでも講演会の主役は講師であって、謝辞を述べる人が自分の頭のよさや話術の巧みさをアピールする場ではないからである。まして講師の主張を借りて自分の考えを主張する必要などはさらさらない。そういう謝辞だと、「あいつは尻馬に乗るやつだ」などと思われてもしかたがない(^^;)
謝辞なのだから、文字通り「感謝の気持ち」を素直に表現すればそれで十分だと思う。
その場合にも、あまり講演の内容にこだわるよりも、講師の人間性とか、話のあたたかさとかに感動したというような旨のことを表現するほうがスマートだと思う。「今日の講演で、これまであまり意識していなかったことについて目を開いていただいたように感じた」程度の感想を述べ、忙しい中を来ていただいたことへのお礼を加えるぐらいで立派な謝辞になるとなると思う。
私は常々、講演会に参加するたびにこのようなことを感じていたので、前述したPTA連合会会長の挨拶には共感するところが多かった。
ただ、実際に講師がいる前で、「私は敢えて○○は言いません」という言い方をするのは、いささか生硬な感じもしたのだが、当日参加していた人の多くが各校のPTA会長などで、講演会の謝辞を述べたりすることが多い人たちだったので、そういう人たちへの提言も兼ねての発言だったのだろう。そういう意味ではよい提言のように感じた。
そうでなければ、自分が「謝辞はこうあるべきだ」と思っているような形で、さらっと話したほうがよかっただろう。
私自身は、まだそういう場で謝辞を述べたりするような立場ではないのだが、もしどうしても述べなければいけないような立場になったら、できるだけ謝辞はカットするような方向に進めたい。
すでに会の進行(プログラム)が決められていて、私がしゃべらなければ会が終わらないという状況であれば、しかたなくあっさりとした謝辞を述べるだろうが、もし会のプログラムを決める時点から関われるのであれば、最初から謝辞はないことにする。
自分で事務局などを担当した会の場合はそうしてきたのだが、謝辞のかわりに花束贈呈を行ってきた。
司会者が「講師の○○先生に、参会者一同の感謝の気持ちをこめまして、花束を贈呈いたします」と紹介をして、若くて美しい女性などが花束を贈る。これはかなりスマートである。(花束を購入する予算の問題もあるのだが‥‥)
「若くて美しい女性」などと限定すると、「差別だ」「セクハラだ」などと叱られそうだが(^^;)、もちろん高齢で男性の○○会長がプレゼントしてもかまわない。しかし、花束をもらうほうからしてみれば、どちらかというと前者のほうが嬉しいかもしれない(^^;)
まあ、「会場の中で一番若くて美しい女性」というのでは何かと問題になりそうなので、「実行委員の中で‥‥」「どちらかというと‥‥」という程度が無難だろう(^^;)
繰り返しになるが、講演会の主役はあくまでも講師である。その講師がいっそう輝くような企画にすべきであって、せっかくの講演の感動をつや消しにしてしまうような企画は再考したほうがよいのではないだろうか。
<00.07.05>
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