テストでせこく情報検索
今年の入学試験の際に次のようなトラブルがあったという新聞記事を見かけた。
ある大学の国語の試験に「携帯」という漢字を書く問題が出されたのだそうだ。ところが受験票の「受験の際の心得」の中に「携帯電話の電源を切ってください」という表現があったのだという。
問題の正解が書かれてあったのだから、大学側のミスであり、そのことに気づいた大学は、その問題については全員を正解として処理することにした。
というのが、記事の内容であった。
公平を期すのが入学試験なのだから、ミスに対しての処置としては適正なのだが、私としては「もったいないことをしたなあ」という気がする。
ミスをしたのは手落ちなのだが、そのミスを逆に生かす方法もあったと考えるのだ。
私なら、「携帯」という漢字を正解した受験生の点数はそのままにする。最初から「携帯」という漢字を書くことができた受験生もいるだろうし、中には受験票の表記を見て「携帯」と書いた受験生もいるだろう。それはそれでよい。
逆に「携帯」と書けなかった受験生の点数を、特別に減点したらどうだろう。
受験生であれば、受験票に書かれた内容については、何度も目を通しておくのが当然である。しっかりと目を通してきた受験生なら、「『けいたい』を漢字で書きなさい」という問題を見た瞬間に、「あっ、受験票に書いてあった!」と気づくのが普通だ。そこで受験票の文字を見て「携帯」と書いたとしても、それは不正ではないのである。
むしろ、そのことに気づかなかったというほうが、情報に反応する能力の不足なのではないだろうか。
単なる「携帯」という漢字を書けるかどうかという細かい知識を見るよりも、資料(この場合は偶然の産物だが)を活用する能力を見る、よい機会であったのだ(^^;)
ケガの功名ということでスペシャル配点にしてもよかったかもしれない。
話は飛ぶが、私は小学校・中学校の頃、テストを受ける態度がせこい子供だった(^^;)
ふだんは、あまり勉強をしないくせに、テストでは満点をとりたがる悪いヤツである。
だいたいの問題は実力で解けるのだが(^^;) やはり普段の努力不足がたたって、答に自信がない問題がいくつか出てくる。
そのときに使うのが「セコセコ情報検索作戦」であった(^^;)
まずは、テストの問題用紙の裏表をくまなく見る。さすがに業者が作ったテストだと正解のヒントになるような表記はほとんどないが、詳しく見ていくと手がかりになるような部分はかなりある。
例えば、テストの上のほう(あるいは右のほう)には、教師向けに「達成目標」などが小さな文字で書かれていることがある。これをよく見ると、このテストでは何をねらっているのかがわかるので、かなりのヒントになる。
あるいは、テストの配点欄(5点×3のように書いてある)もヒントになっていることがある。「正しいものに全部○をつけなさい」などという問題で、○をつけるべき数がしめされていなくても、配点欄を見れば3つ○をつければよいということがわかるのだ。(「正しいものには○を、違っているものには×を」というようにすれば解決できるのだが、そうなると採点が面倒だったり、配点のバランスが悪くなるのでこうしているのだろう。テストを受けるほうにしてみれば好都合である)
これが、教師の手作りテストになると、もっとミスがあることもある(昔は手作りテストが一般的だった)
学期末が近づいた頃になると、時間の都合で(^^;)一度に何枚ものテストをやることもある。私も学級担任の頃はよくやったものだ。
そうなるとチャンスである。1枚のテストの問題の中に、別のテストのヒントになることが書かれているということもよくある。教師が事前に細かくチェックをしていれば、1枚ずつテストをやることでそれを避けることもできるのだが、うっかり複数のテストを渡してしまうと、私のように「ラッキー!」と喜ぶ子供も出てくるのだ(^^;)
テストの用紙に、そういったヒントがなくても、教室の中をよく見るとヒントになるものを見つけることもある。
さすがに高校や大学の入学試験ともなれば試験場の壁には何もはられていないが、小中学校の普通のテストの場合は、普段のままの教室でテストを行う。
いちばん間抜けな例としては、テストで出題されている漢字や公式が、しっかりと壁面に掲示されているというのもあるが(^^;)そこまでいかなくても、年表とか「学校生活のきまり」等の掲示物の中にヒントとなるものが表示されていることも多い。
こういうものを全部隠してしまってテストをするというのも、ひとつの方法ではあるが、むしろヒントになるものをバンバンはりまくってテストを行うというのもよいかもしれない。
そうなると、テストで試されるのは、頭の中にためこんだ知識ではなく、周囲の環境から必要な情報を見つけるという情報活用能力になる。
今でもテスト用紙の中にグラフや表などのちょっとした資料を載せて、それに関する問題を出すことで情報活用能力を評価するなどの方法もあるが、そんなちゃちなものではなく、目に見えるもの全てから情報を得るようにさせればよいのだ。私は中学校のときに、鉛筆の軸木に書かれた文字から、英語の正解の綴りを見つけたこともある(^^;)
国語科教育の大家「大村はま」先生の実践の中に、教室内の掲示物をよく見たら得をしたという体験をさせれば、子供たちは黙っていても掲示物を見るようになるというのがある。
例えば、教室の後にある連絡黒板に「明日、漢字のテストをやります。出題範囲は教科書の○ページから○ページまでです」と書いておき、口では一切言わないということをやるのだそうだ。
この結果、連絡黒板を見ていた子供は得をするし、見なかった子は損をする。これをくり返していると、誰もが必死になって連絡黒板を見るようになる。何度も「連絡黒板は毎日必ず見ること!」などと大声を張り上げるよりも、ずっと効果がある。
最初の例であげた「受験票に『携帯電話』の文字」の例は、過失によってそうなってしまったのだが、むしろ意図的に「周囲のものに細かく気を配っていたら得をする」という状況を作り上げたら、子供たちに情報検索・情報活用の能力が育つように思う。
とはいっても、「周囲のもの」が、隣の人の解答用紙であってはまずい(^^;) それは情報検索ではなく、単なるカンニングである‥‥(^^;)
<00.03.08>
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