悪いことプロジェクト
「四半世紀も前のことだから、もう時効だと思うけど‥‥」と喋り出した知人から聞いた話である。面白い話ばかりする男なので作り話かもしれないが‥‥。
大学時代にストリーキング(streaking)をしたのだという。正確にいうと彼がやったのではなく、手伝いをしたというのだが‥‥。

ストリーキングとは、私が大学生頃、全国的に流行した、裸で街頭を駆け抜けるパフォーマンスで、もちろん法に触れる行為である。
以下は、彼から聞いた話だが、文体の都合上、一人称風に記述する。
それは学園祭に向けてのサークルの企画だった。自ら裸で駆けるというリーダーは、ある程度の思想性をもっての行動らしいが、他のメンバーは、何か面白いことをやりたいという遊び半分のノリであった。
やる以上は完全犯罪でなくてはいけない。目的を完遂しないうちに中止させられたり、実行直後に逮捕されたのでは意味がない。また、危険を避けるために人通りの少ない場所でこっそりやるのでもいけない。
最も人出の多い時間に、街のメインストリートを颯爽と走り抜け、霞のように姿をくらましてこそ、話題性もあるし、達成の満足感も大きい。
水も漏らさぬような緻密な計画が必要だった。
通りの交差点の信号が変わる間隔が調べられ、何時何分に走り出せばよいかが算出された。ランナーを降ろす車、拾う車の停車位置も邪魔が入らないように熟考された。万一、パトロール中の警官等がいたり、走路に障害物があったりした場合に、スタート時刻を次の最適時に変更できるように、要所にトランシーバーを持った見張りを置く計画も整った(当時2年生だった彼は、その役目だった)
深夜、人気のない大学構内に、全てのスタッフが集まり、実際のコースと同じ条件を想定してのリハーサルも繰り返された。リハーサルの度に、問題点についてミーティングを行い、考えられる悪条件は全て排除できるよう対応策が考えられた。
決行当日、準備は完全に整い、パフォーマンスは完璧に行われた。
ストリーカーは見事にメインストリートを駆け抜けたのである。(走る姿は見事だったかどうかはわからないが‥‥^^;)
見張り番だった彼も、ランナーが無事に車に回収されたことを、トランシーバーで確認すると(彼は走る姿が見えない位置にいた)すぐに自分のアパートに帰った。実行後の数日間は関係者どうし顔を合わせないようにする約束があったのだ。
ところが、あまり完璧に行われたためか、数時間たってもマスコミの反応はなかった。当時、ストリーキングがあると、すぐにテレビやラジオのニュースに出たのだが、この場合は、地方ニュースにも全く出てこなかったのである。
ストリーキングの行為を見たのは、メインストリートにいた人たちだけで、しかもその誰もが新聞社や放送局に通報するということをしなかったらしい。
完璧な遂行ではあったが、これでは半分しか目的を達成したことにならない。ストリーキングというセンセーショナルな行為をした以上は、世間に騒がれなければならないのだ。
そこで、リーダー格の人たちが相談して、地元放送局に、目撃者を装って通報した。ところがこれがまずかったらしい。どこから足がついたものか、その数日後、回収車を運転した人が警察に呼び出され、結局、リーダー格の数人がつかまり、きついお灸をすえられたそうだ。(見張り番レベルの協力スタッフがいたことは伏せられたらしい)
彼の話はこれで終わりなのだが、考えさせられることも多い。
まずは、悪いことは楽しそう‥‥ということだが、これについて触れるのは避けよう。軽犯罪であっても、悪いことは悪いことである。
もう一つは、よいことを行うときも、このぐらい万全を期してやったらということである。
悪いことをやるときには、計画にひとつでもほころびがあれば破綻につながる。失敗が即、刑務所行きである。失敗してもなんとかなるという具合にはいかないから、計画も実行も必死であるし、あらゆる可能性を考えた対応策が必要となる。
よいことをやるときには、善意に基づいたものだから、ちょっとぐらいのミスは許してもらえるという甘えもあるのではないだろうか。
親鸞の悪人正機説ではないが、悪いことをするのにも深謀遠慮が必要なのだから、よいことをする場合はいっそう万全な配慮が必要であろう。
例えば、何かのイベントを企画したとする。仮に卒業式でもよいし、学習発表会でもよい。そのときに万一の事態が起きたとしても、進行が停止したり、パニックになったりしないような配慮をしておいたほうがよい。
もし、停電になったらどうだろうか。普通のマイクやアンプは使えなくなるから、予備に電池で作動するワイヤレスアンプなどを準備しておけば大丈夫である。カセットテープやCDを使う場合も電池作動のものを準備しておく。
気分が悪くなって戻したりする人が出ても、速やかに処理できる準備はあるか。火災などが発生して避難しなければならない場合の避難口は確保しているか。等々、考え出したらきりがないかもしれない。
しかし、よいことをよいかたちで行うには、あらゆる悪いことを考えた上で計画を立てることが必要だと思う。
学校でも、これから「総合的な学習の時間」の実施等により、体験的な活動が多く行われるようになる。
そのときに、完全犯罪をねらうような「わくわく感」と、あらゆる事態に対応できるような周到な用意(教師が考えるのではなく、子どもが工夫する)を活動の中に取り入れることができたら、本当に「生きる力」を育むような活動になると思うのだが‥‥。
<99.12.15>
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