ごちそうは安全?
「同じ釜の飯を食う」といえば、親しい間柄をあらわす意味で使われている。また、客人を家に招いたときなど、手作りの料理を食べてもらうのも心のこもったもてなし方である。
このように、食と人間関係は深く結びついているのだが、この頃では「食を他人に提供する」というのが、ちょっと危険になってきた。

食べ物を作って子供に食べさせる場といえば、家庭の調理や学校給食の他にもいろいろなものがある。
PTA行事や子供会行事の「お楽しみ会」「餅つき大会」等での会食。部活動・スポ少活動の合宿や慰労会での食事。文化祭等の食堂をやるために保護者や生徒が調理をするという例もあるだろう。
これらの食の提供を、恒例の行事として続けている例もあるだろうが、ここ数年、食を提供する行事をやめたり、やり方を改めたりしている例も多いようだ。
その原因となったのが、平成8年(1996)の「腸管出血性大腸菌O157」の大発生である。平成8年だけでも約1万人の患者、12名の死者を出したこの出来事で、食に関する安全管理意識は急激に高まった。
学校給食を例にとっても、加熱調理をしない食品は提供されなくなった。具体的には生野菜サラダ、冷やし中華などの食品が献立から消えたのである。
調理にあたる人の定期的な検便、提供した給食の検体の長期保存の義務づけなど、安全管理も厳しくなった。また調理場の衛生管理もいっそう徹底されるようになった。
このような状況を受けて、給食以外でも児童生徒に食事を提供するような行事が見なおされ、場合によってはとりやめになっていったのである。
例えば、中学校の文化祭で、生徒が作ったカレーライスなどを提供する食堂をやることになったとする。
この場合、安全管理を考えると、調理にあたる生徒には、事前に検便等を行うべきである。
検便もただでできるわけではない。きちんとやるとすれば、一般の食中毒を起こす菌に関わる検査と、腸管出血性大腸菌(いわゆるO−××型と呼ばれるもの)の検査の2つを行わなければならないが、この費用が数千円かかってしまう。
学校の給食調理員等の検便は保健事業団との契約で行っているので、そんなに高くはないのだが、一般の人が病院等で検査を受けるということになると、高額になってしまうのだ。この費用をどうするかが、まず問題になる。もちろん個人負担にはできないので、文化祭の予算から支出することになるだろうが、仮に10人の生徒の検査を行うとして、数万円の費用がかかってしまう。
この費用を惜しんで、検査をしないまま調理させ、食中毒が発生した場合、大変なことになる。(数年前までは、ほとんど無検査で調理させていたのだろう)
こうやって検査を行い、仮に生徒の中から保菌反応が出た場合、どうするだろうか。
腸管出血性大腸菌の検査では、検査結果表に氏名を明記せず検体番号のみを記載するようになっている。これは仮に保菌者が出た場合、その人が不利益を被らないように、人権を保護するという意味合いがある。
もちろん、検体提出名簿と照合すれば、誰の検体から反応が出たかはわかるのだが、このぐらいプライバシーの保護に配慮しているのだ。
中学校などで調理担当の生徒から菌の反応が出た場合、その生徒の人権をきちんと守ることができるだろうか。もし、その生徒だけを調理担当の係からはずしたとすれば、変な噂が出て、いじめ等の原因にもなりかねない。そうならないようにするには、食堂の企画そのものをやめるという対応しかないだろう。
部活動で保護者が子供たちに食事を提供するなどという場合も、全く同じである。
このように、きちんと検査をするとすれば高額の費用がかかり、万一、保菌の反応が出た場合、難しい事態になるということから、児童生徒や保護者が調理した食事を他の人に提供するということは次第になくなってきた。
「そんなに細かいことを気にしなくてもいいじゃないか」という考えもあるかもしれない。
実際にこの種の行事を(特に検査等も実施しないで)継続している例も多いようだから、ほとんどは、そういう考えのもとに実施されているのだろう。(食中毒の予防に関する安全管理の知識や意識がないというのであれば問題だが)
しかし、万一、食中毒が発生した場合、かなり大変なことになるのは事実である。
身近で集団食中毒を体験したことのない方にはわからないかもしれないが、私の場合、自分の勤務校ではそういう体験がないけれど、近くの学校等で発生した事例をいくつか見聞きしている。食中毒の症状そのものは軽微であっても、発生したという事実だけで、その後の処理等は本当に大変なようだ。関係の職員が心労等のため倒れたという例もあったそうだ。
学校給食の場合は、過剰と思われるぐらい、衛生には注意している。調理の際には手袋を着用しているし、調理員以外の人が調理室に顔を出すときには履き物を取り替え、帽子と白衣を着用しなければならない。
おそらく、弁当・仕出し業者等も同様だろうと思う。
不特定多数の人間に食事を提供する場合には、このくらい気をつかわなければならないのだと思う。
そういう目で見ると、部活動の合宿等の際に、お母さんたちが、普段着のまま、土や家畜などを触った手を水洗いしたぐらいで、おにぎりなどを作るのは、とても心配である。
(余談であるが、「おにぎり」とか「きなこ餅」などのように、ある程度の湿度と温度を保った状態で、しばらく放置しておくようなものは、いちばん危険だとされている)
ちゃんとした検査や、衣服・手指の消毒を行った上でならよいのだが、実際にはそこまで徹底できないだろう。
どうしても夕飯などを食べさせなければならないのなら、各家庭から弁当を届けてもらったり、食品業者から弁当を購入したほうが無難である。
手作りの料理を食べさせるのは愛情が感じられるし、みんなで同じものをいっしょに食べることにも、それなりの意義もある。
しかし、「みんなで和気あいあいと」という雰囲気重視の考え方だけではすまない時代になってきている。
どうしても、みんなで食べる行事をやりたいという場合は、前述のように専門の業者にまかせるのがいちばんなのだが、自分たちで作って食べたいというのならば、おにぎりなどのように事前に作っておくものではなく、焼き肉・バーベキュー・鍋物などのように、その場で十分に加熱をして食べるようなものにしたほうがよいだろう。
今回の文章は、いつもの私の文章よりも、管理的・保身的な感じがするかもしれない(^^;)
私自身としても、お母さんたちがつくった夕飯を運動部のみんながごちそうになるといった、昔の行事が懐かしくはあるのだが、どうもそれを簡単に認容してしまうことができなくなっているのが現実なのだ。
思い返してみれば、自分が子供の頃には、全く衛生的でない生活だった。道端に生えている野草を小川の流水で洗ってかじったりするのは日常茶飯事だった。
それでも、食中毒などの事態にいたらなかったのは、今ほど危険な菌がなかったためかもしれないし、身体に抵抗力があったためかもしれない。あるいは、ちょっとした食中毒程度では、大々的に報道されなかったのかもしれない。
そういえば、軽い腹痛ならしょっちゅう起こしていた。当時は、神経が繊細なので神経性の腹痛なのだと思っていたのだが、意外にそうではなく、衛生的でない食べ物を口にしていたのかもしれないと、今になって思っている(^^;)
<99.11.28>
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