覆面賢者会議
今、青島幸男元東京都知事が面白い。
都知事時代、スタート時の都市博中止は鳴り物入りだったが、その後はちょっと元気がなく、支持率は下降気味ということだったが、退職後は、かなりマスコミへの露出も多くなり、インタビュー番組などで興味深い話を連発している。

「元都知事として少し節操がない」とか、「都知事時代の言動との一貫性がない」などと批判する人もいるようだが、もともとはテレビのバラエティー番組の脚本を書いたり、コミック・ソングの作詞(スーダラ節など)をしていた人。軽妙なギャグなどに傑作を多く残しているなど、本来は「面白半分」的才気の人。今(都知事退職後)の姿のほうが、真実の姿のようにも思える。
都知事になる前の国会議員時代には、かなり個性的な発言をしたりしていたのだが、都知事になってから彼らしい言動ができなくなったのは、行政職という立場になったからだろう。
三権分立のうち、立法の部分に属する議員はある程度自分というものを出すことができるが、行政を担当する役人は自分の考えを仕事に反映したりすることは制限される。
憲法にもあるように、日本の政治は国民主権であり、国民の意見を代表する議会で決定されたことに行政の担当者は逆らえないからである。(これは地方行政でも同じである)
したがって、どの党派が議会の主流になろうと、公務員は議会で決定されたことをスムーズに実行できるように、自分に与えられた仕事を遂行していくわけである。政権が変わろうと行政が停滞せずに行われるのは、この仕組みがあるからであり、同時に公務員は政権の如何にかかわらず、身分を保障されているのである。
議会の決定が全て賢明なものであり、国民(あるいは地域住民)の総意を反映したものであったならば、この仕組みは有効にはたらくだろう。
しかし、議会の決定が全て国民の考えを代表したものかというと、必ずしもそうとは言えないようだ。
私も選挙の投票という行為を通して国政に参加しているということになるのだが、投票の際に候補者の公約を見て、ある程度共感できる候補者を選ぶという一方通行の参加であり、その後、自分の選んだ議員が私に国政についての意見を求めに来るということは一度も体験したことがない。
この頃では、選挙の際の公約と正反対の議決をしたりする議員や党もあるように思えるが、そのことに対する私の意思表示も4年または6年に一度の選挙を待つしかないわけだから、国民主権というのも難しいものである(^^;)
そのためか、愚策といっては失礼だが、首を傾げたくなるような政策が実行されることもあるように思う。
7月9日付の新聞に、この春行われた、子供と老人に2万円分の券をプレゼントした例のことに対するアンケートの結果が出ていた。
全信連総合研究所が全国の中小企業に聞き取り調査をした結果ということだが、83%の企業が「売り上げ拡大効果はなかった」という回答だったそうだ。経済全体への影響については「景気を上向かせる効果があった」というのはわずか1.7%で、「手続きが煩雑でかえってマイナスであった」という回答が10%もあったことからみると、「消費刺激を狙い7000億円をかけた景気対策は空振りだった」(新聞記事のまま)ということになるのだろう。
この結果は、実施前から想像できたように思う。
この発想が選挙で国民の多くの票を集めた党から出たのではなく、政権安定のための連立にからんだところから出てきたのはご存知のとおりだが、そのことについては深く触れない。
ただ、この政策が具体化した時点で、私が話したほとんどの行政機関の人(特別に政治的な団体などで話したのではなく、単なる知人としての話である)や、商業関係の人は、「必要以上の仕事が増えるだけで、ほとんど効果はないだろう」と言っていた。
結果はその通りになったわけである。
この例だけでなく、似たようなことは国政でも地方行政でも見られるように思う。
ある事業の実行が議会で決定されたとき、それが賢明なものか愚策かは、実施を担当する行政機関の職員がいちばんわかるはずである。
議員もたしかに選良というべき国民の代表(あるいは地域住民の代表)なのだが、全ての議員がその事業の推進に明るいとは言えないだろう。「餅は餅屋」ではないが、長い間その方面に携わってきた専門の職員のほうがよくわかるはずである。
特に担当機関を統轄する「○○部長」とか「○○事務所長」などという人は、その道に関してはプロフェッショナルであるし、頭脳も明晰である。事業の善し悪しについては誰よりもよくわかるはずである。
場合によっては、「この事業は実施する価値がないし、実施したら逆効果を生む」という判断をする場合もあるだろう。
しかし、その人は立場上、そういう発言はできない。心の中では「いやだなあ」と思いながらも、表面上は事業の趣旨に全く異議のないような顔をして、自分の部下に事業推進を命ずるしかない。
その部下も同じように気が進まなくても同様に更なる部下に命じていくわけである。
もちろん、国や県が実施する事業のほとんどは、そんなものではないと思う。ただ、希に、ちょっとした思いつきから生まれたような事業だと、こういうことがないとも言えない。
そうなると行政機関の上から下まで、本当は「いやだなあ」と思いながら事業を進めてしまうということにもなりかねない。しかも表立っては誰も何も言えない。こうなると「裸の王様」状態である。
しかし、それでも行政機関の職員の下から上に「これはやめましょうよ」と言うことはありえない。あるいは行政機関の長が議会に対して、「うちでは事業の実行はできません」と言うことも許されない。
行政では、トップダウンだけが原則であり、ボトムアップということは存在し得ないからである。
これも考えてみれば当然のことで、上から順に事業を推進してきたのに、末端の職員が「やりたくないです」と言うのでは行政そのものが動かなくなってしまう。
本来のボトムアップの作用は、議会にあるわけで、私たちが本当に望むことを常に吸い上げてくれればよいのだが、現実をみるとそういう活動を恒常的に行っている例は(私の場合)残念ながら見たことがない。

そこで、私が提唱する(^^;)のが「覆面賢者会議」である。
ここでいう「賢者」とは、行政機関の各部門の長のことである。
前述したように、彼らは現役の状態では自分の考えを述べることは許されない。もしどうしても言いたいのであれば、職を辞して議員にでもなって発言するしかない。
しかし、ものの善し悪しを本当にわかっているのは、現場で事業を推進しているこういう人たちである。
そこで、彼らを集めて、立場による建前ではない本音を話し合ってもらう会議を開くわけである。
顔が見える状態では発言しにくいとしたら、テレビの人生相談番組のように(^^;)曇りガラスの後でボイスチェンジャーを使って話し合うようにしてもよい。
そこで「王様は裸だ!」というような発言が出るとしたら、ある意味でそれが国民(あるいは地域住民)の本当の声である。
特に問題になるような発言が出ないとしたら、それはそれで事業を推進していけばよいのだが、「本当は実施しないほうがよいと思う」というような発言が多く出るとしたら、場合によっては議会の決定を差し戻すということもあってもよいのではないだろうか。
もし、この駄文を、国や県、市町村等のトップの方(あるいはそれを目指している方)が読んでくださったなら(まず万が一にもそういうことはないと思うが)、覆面賢者会議の導入も考えていただきたい(^^;)
まあ、それは無理に近いだろうが、実施にあたって担当者からぶつぶつと声が聞こえてくる事業もいくつか見られるようなので、そういう事業に関しては、前述した全信連のアンケートのように、実施後でもよいから当事者の本音を聞くような手だては講ずるべきであろう。
あまり事業に関係しないような「いわゆる識者」を集めた「○○モニター」などのご意見を聞く会よりも、当事者の本音を聞くことのほうが、本当の意味で行政のボトムアップになるはずである。
<99.07.10>
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