行列ですっきり



 ものごとを進めるときに実践計画を文章化することがある。

 学校では「学級経営案」とか「研究推進計画」などがそれにあたる。



 それらの多くは次のようなかたちで書かれている。



1.○○○の重点化
  (1) ○○○の実態を把握する。
  (2) ○○○○との関連を図る。
  (3) ○○○を活用し、○○を工夫する。
2.○○○の充実
  (1) ○○○○する活動を重視する。
  (2) ○○○の評価の方法を多様化する。
  (3) ○○○○の意識づけを図る。
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 このようなかたちは、法令等では「第○章 第○条 第○項」という形式で統一されているし、予算書等でも「第○節 第○項 第○目」という形式になっていて、公的な文書では一般的である。(ちなみに『項目』という言葉は『項』と『目』からきている)



 法令や予算書のように、個々の細かな事物を、全体の中できちんと位置づけて整理するには、この項目型が適当なのだが、学校で教育活動の実践計画を立てていくときには、この形式が最良であるとは思えない。



 たとえば上の例で、1の(3)として黄色で書いたことと、2の(2)として水色でかいたこととの関連性はどうなっているかが明確でないからである。

 予算書であれば、それらに直接の関連性はない。予算の執行は最終的には末端の部分で個別になされ、それらの総額がその上位にある「○○費」として合計されるだけである。

 ところが、教育活動は、小さな目標ごとに個別に行われることは少ない。いくつかの目標をもって総合的に行われることのほうが多い。(1つ1つの目標ごとに活動を行っていたのでは、いくら時間があってもたりないし、目標を細かく設定するほど、やらなければいけないことが増えていくだけである)







 そこで、私が提案したいのは、行列型に記述する実践計画である。

 具体的には、次のようなものだ。




A.事前の準備
B.指導の中で
C.評価と集約
1.○○○の重点化
実態調査の実施
実態に即した個別の指導
個々のデータの記録
2.○○○の充実
先進事例の研究
シート学習の日常化
シート形式の改善
3.○○○の工夫
導入課題の工夫
相互指名方式の活用
KJ法での自己評価


 仮想の実践計画なので、個々の内容は適当でないかもしれないが、このように整理することによって、どの場面でどんな目標の活動を行うかが明確になってくる。



 正直な話、最初に掲げた項目型の実践計画を作るのは、比較的簡単である。

 それぞれの「項」について、考えられる「目」を思いつくまま羅列していけばよいからだ。

 ただ、思いつくまま羅列したものだけに、それぞれの実践事項の位置づけが明確でなく、実際に活動にうつす場合も思いつきで行われることになりがちである。悪く言えば、忘れて実践しないこともあるということである。



 これに対して、行列型の実践計画は作るのが大変である。

 それぞれの目標に対して、それぞれの実践場面で何を行うのかを、きちんと位置づけていかなければならないからである。

 しかし、一度作ってしまえば、それぞれの実践事項は「これは『1−A』、これは『3−B』」というように、はっきりと意識されるので、落ちがなく効率的な実践が可能になる。個々の場面で行わなければならない活動も明確で、しかも目的意識をもって実施される。

 また、行列型の実践計画を作るときに、どうしても枠に入るべき実践事項が見つからないとすれば、その目標自体が適切ではないということになるので、目標の良否をチェックすることもできる。



 余談になるが、「行列型」という名称は、別に運動会で行進するときの「行列」ではない。数学でも「行列式」などというのがあって、とても難しい(^^;)のだが、一部関係することもあるかもしれないが、その行列ともちょっと違う。

 いわゆる「表」の「第○行・第○列」の「行列」である。表計算アプリケーションでは「第○行・第○桁」という言い方もするようだ。ホームページで表形式を扱う場合は、「行」を指定する「TR」というタグと、「列」を指定する「TD」というタグで(ホームページを作っている人には)おなじみである(^^;)



 この「行列型」は、いろんなところで活用できる。

 授業(特に研究授業)をやるときに「学習指導案」を書くが、このとき、前段のほうで、「指導にあたって」とか「児童について」などの部分は、普通の文章で書くことが多いようだ。

 書く方は一生懸命に書くのだが、ちょっとだらだらした文章だったりすると、読む方では理解するのが大変である。場合によっては途中で読むのをやめてしまうこともある。

 書く側も、自分の頭の中でよく整理できないまま、それらしい言葉を並べてスペースを埋めてしまうということもあるので(私だけかな‥)授業そのものに生きない無用の長物になってしまうこともある。

 これをすっきりさせるのに行列型を導入してみたらどうだろう。


目標1について
目標2について
目標3について
児童の実態



こういう学習活動で



こんなふうにしたい





 こんなふうにしたら、書く方も見る方も、すっきりするし、授業にも役立つ。



 こういうやり方を思いつくヒントになったものが2つある。



 1つは、「個別化・個性化」について研究している人たちの考え方である。特に加藤幸次先生の理論は、こういう行列型で整理されていることが多い。

 このことについては、書籍も多く出ているので、ここでは説明を省略する。



 もう1つは、道徳の授業で、前によく行われていた「類型化」という手法である。

 ご存知のことと思うが、「道徳の時間」の指導は、既存の道徳規範を児童生徒に押しつけるものではない。

 読み物資料等を使って話し合う中で、ある道徳的価値(たとえば公共心など)について、いろんな人がいろんな認識を持っていることを実感し、自分はどんな認識を持っているかを自覚するのが1つのねらいである。

 さらに、どのような価値認識が、より高い価値なのかを考え、その価値に照らしてみて、自分のこれまでのあり方を考えるというのが、もう1つのねらいとなる。

(これも余談だが、読み物資料等を使うのは、それぞれの個々の実体験などを語ったのでは、様々な意識が絡んできて、話題とする価値について考えるのに障害があるというのが理由で、けして「このお話の○○さんのようにしないといけませんよ!」という説教の資料として使うのではない)



 ここで、子供たちから出た発言を、整理して板書したりするときに有効なのが類型化という手法だ。

 子供の発言をただ漫然と黒板に書き並べるだけの授業も見ることがあるが、これはほとんど意味がない。

 類型化の場合は次のように整理する。


何が良いかわかっている
何が良いかわかっていない
良い行動をしている
良いことがわかっていて
良い行動をしている
(ア)

良いことをわかっていないが
良い行動はしている
(イ)

良い行動をしていない
良いことはわかっているが
良い行動ができない
(ウ)

良いことがわからず
良い行動ができない
(エ)



 読み物資料の展開に合わせて、登場人物の言動等を上の類型に整理し、資料から離れて自己を振り返る場面で、「ア・イ・ウ・エ」のように類型化し、これまでの自分はどれに近かったのかを振り返らせるというやり方である。

 全ての道徳の時間に使える手法ではないが、使った場合はかなり効果が高いし、教師の技術に関わらず、ある程度の成果を上げることのできる手法である。



 最後は余談ばかりになってしまったが、いろいろなことを行列に整理して考えてみる見方は、効率的な思考をする際には効果的であると体験上感じているので、皆さんにもお勧めしたい。

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