パソコンはそれほど普及しない
2001年には全国の全ての学校でインターネット接続ができる環境が整うのだが、個人レベルでも最近はインターネットをやりたいということで新規にパソコンを購入する人が増えているように思う。
ただ、ここ数年のうちに、ほとんどの家庭にコンピュータがいきわたり、インターネット接続があたりまえのものになるかというと、そうはならないのではと私は思う。

今、このブームに乗って、新しくパソコンを買い、インターネットを始めた人たちが、ばりばりとパソコンを使いこなすかというと、それは、無理であると私は思うのだ。
パソコンを使うことに向いている人と、向かない人があると思う。向かない人たちは、パソコンを買っても使いこなせないのではないか。
私が考える「パソコンと性格の相性」ということを述べてみよう。

パソコンに向いた人
もともと凝り性な人がいい。カメラだのオーディオだのに凝って自分の手でいろいろ作ってしまったなどという人は、仮に今、パソコンをあまり使っていなくても、使い始めて1年もすれば「パソコン使いの達人」になれる可能性が大きい。
好奇心が旺盛で、独学が好きな人がいい。どちらかというと人からものを教えられるよりも自分で疑問を解決しないと気がすまないという性格の人が向いている。
本質的には「なまけもの」のほうがよい。できるだけ楽をしたいために、うまい方法はないかと考えているような人がいい。面倒な作業に取りかかるときに、すぐに作業を始めるよりも、作業を楽にやるために道具を作り出すことに時間をかけるようなタイプのほうがよい。
結局は、問題意識や好奇心をたくさん持っていて、楽をしたくて、自分がいちばんというタイプの人が、パソコンを使いこなすのに向いているのである。
パソコンに向かない人
人からものをきくのが好きな人は向かない。何度も「パソコン講座」を受講するような人は、本来パソコン向きではない。お茶とかお華、社交ダンスなど、指導の先生のいうことをしっかり守るような習い事が好きな人は、あまりパソコンには向かないような気がする。(もちろん、そうでない人もいるはず。どちらも得意という方はごめんなさい ^^;)
考える前にすぐ行動するというタイプの人も(立派なことなのだが)パソコン向きではない。文字がへただったら上手になるように練習する、ピアノが弾けないので練習するということを、こまめにやるタイプの人は、あまりパソコンを使う必要性がないのだ。

こうやって書いてみると、私の考える「パソコンに向かない人」というのは、けして人間的に劣るなどということはない。むしろ一般の生活のなかでは、このタイプの人のほうが頼りになる。
学校の教師でも、「パソコンができる・できない」ということと、「教師として優れている・劣っている」ということは全く関係がない。しっかりした授業をやり、きちんと子供たちを育てるということと、パソコン操作能力の有無とは無関係である。
ただ、これからの世の中を考えると、パソコンを扱わなければならない機会が多くなるし、今の子供たちが大人になる頃にはパソコンが使えるのが当然ということになるだろうから、現在の学校教育でも教師が全くパソコンを操作できないと不便だということは出てくるだろう。
しかし、それは、その教師が悪いのではなく、今のパソコンが悪いのである。今の程度のパソコンでは素人には使いこなせない。まだまだ初心者には優しくないのである。全ての人がパソコンを使いこなすようになるためには、もっとパソコンのほうが人間に近づいて、高いところから降りてこなくてはならない。
例えば、インターネットをやりたくて初めてパソコンを買った人が、うまくパソコンを使いこなせるだろうか?
もちろん、かなりの数の人は、インターネットだけでなくその他の仕事や遊びなどにも使いこなせるようになるだろうが、半面、かなりの数の人は、インターネットを少し覗いて見たものの、そのレベルで停滞し挫折してしまうような気がする。

買ったパソコンでインターネットができるように接続・設定をやるだけでも初心者には無理である。まあ、親切な知り合いがやってくれたり、業者がやってくれることが多いだろうし、自動設定してくれる便利なソフトもついているので、なんとかインターネットの世界に入るだけはできるだろうが、それ以上の使いこなしをしようとなると、パソコンについてかなり勉強をする必要が出てくる。
Windows95(98)の場合、ファイル管理ソフトである「エクスプローラ」を使いこなせないことには、今のパソコンは道具としては使えない。その際に、ファイルの拡張子の意味や、フォルダ(昔はディレクトリと言ったが)の概念などは絶対に必要である。いくつかのソフトを効果的に使う場合には「クリップボード」についても理解しておく必要がある。新しいソフトをインストールして、それを活用するには実行ファイルとファイルタイプの関連づけなどのやり方も知っておかなければならない。インターネットを始めても動画データやオーディオデータなどをきちんと表現させるには、自分でプラグインをインストールする技能がなければならない‥‥‥
面倒くさいことを長々と書いたが、要は、今のパソコンは、まだまだ未成熟であり、使いにくい状態だということなのである。
カメラに例えてみよう。今のパソコンは、完全手動式のカメラと同じである。フィルムを入れて、手動で巻き上げ、レンズの絞りとシャッターの露出時間を設定し、ピントを合わせてシャッターを切る。撮影が終わったら、フィルムを手動で巻き戻し、暗室に入って現像液に浸し、印画紙に焼き付けて、定着液に浸して、乾かす‥‥という作業は、全部1人でやらなくてはならない。
最新式のカメラは、ぐっと進化している。フィルムの装着も新規格のAPSフィルムならカートリッジをぽんと中に入れるだけ。露出も絞りもピントもカメラが合わせてくれるから、使う人はシャッターを押すだけでいい。フィルムの巻き上げや巻き戻しも全自動だ。撮影後は写真屋にフィルムを出せば数十分でプリントしてくれる。
パソコンも将来はこうならないといけない。そのレベルになってはじめて「誰でもが使えるパソコン」になるのである。
現在のパソコンがその域に達しないのは、パソコン自体とそれをとりまく環境(通信など)の絶対的能力がまだまだ低いからである。
私がコンピュータを使い始めた10数年前からみれば、その性能は飛躍的に向上しているが、理想的な状態にはまだまだ達していない。
一度に処理できるデータの量が少ないし、処理の速度も遅い。またネットワークのデータ転送量も悲しいぐらいに小さい。例えば、パソコンのディスプレイの画面いっぱいに表示されるくらいの写真のデータを、そのままのかたち(ビットマップ)でインターネットを使って転送しようとしたら、数分もかかってしまう。そこでJPGやGIFという特別な圧縮方法を使ったデータに変換してやりとりするのが、今のインターネットのやりかたなのだ。
こういう難しいことを理解しないと使えないのが今のコンピュータなのだが、それはとりもなおさず、コンピュータの性能がまだ未熟なため、人間側に使うための工夫を強いていることになる。

新時代のコンピュータは、今の数万倍の性能をもってほしい。
画像データなども、特別な圧縮などを行わなくても、そのままのかたちで「シュワッ!」と送ることができる。どんな処理も瞬時に大量にできる。記憶媒体も膨大なデータを無限に保存できる。そうなってこそ、使う側が「機械の使い方」などを意識しなくても、「楽に・勝手に」操作できるようになるのだ。
そうなると、RAMのメモリは現在の64MBとか128MBなんていうものではなく、数万MBになるだろうし、ハードディスクも数万GBになるだろう(ギガという単位さえ使わなくなるはずだ)。補助記録媒体もフロッピーなどではなく、1GB以上のものを簡単に抜き差しして使うだろう。
通信回線も、現在のように「ガーピー」という音声回線を使うなどということはなくなり、光回線や通信衛星を使ったやり方で、まさに光速で「シュパッ!」と送るのだ(^^;)
インターネット上のデータを使う場合、今だとテキスト部分をコピー&ペーストして文書ファイルに取り込んだり、画像データを「名前を付けて保存」などして再利用したりしているのだが、これはせこいやり方だし、使いこなしも難しい。
新時代には、インターネットで表示されたデータそのものを、「これを保存したい」と思ったときに、写真でも撮るような感覚でボタンを押すとバシャッとまるごと保存されるというようなやり方になるといい。これなら全くの素人でもできるはずである。

パソコンは何でもできるというのが、現在ではセールスポイントになっているのだが、これからは使用目的別に特化していくように思う。
現在でもその傾向は出てきていると思うのだが、ゲームで遊ぶならパソコンよりもゲーム専用機のほうがよい。インターネットも特殊な用途で使うという人以外は「WEB−TV」のようなもののほうが普及しやすいだろう。
マルチメディアを駆使して、いろんなものを創造していくという一部の人を除いては、現在のようなパソコンは必要なくなるだろうし、コンピュータの存在を意識させないようなかたちで、それぞれの用途の道具として生活の中に普及していくのが理想的な普及のしかただと思う。(現在でも電気釜や洗濯機などはそうである)
前段でも述べたように、現在のようなかたちのパソコンへの性格的な向き・不向きもあって、パソコンが今のかたちのままならば、これ以上は急激に普及するということはないようにも思う。
それはそれでよいのである。未熟なコンピュータに全ての人間が無理をして合わせる必要はないのだ。今、コンピュータと親しんでいる人たちは、それが趣味なのである。コンピュータが全ての人間に合わせてくれるレベルになるまで待っていればよいのだ。
だいたい、今のレベルのインターネット網で、全世界の人たちがみんなアクセスするようになったら、インターネットは全く動かなくなってしまう‥‥
ただ、これから大人になる子供たちには、「向き・不向きもあるのだから、無理をしなくてもいいのだよ」などとは言っていられない。私たちの世代と違って、子供たちの世代は「使えて当たり前」の世界を生きるのである。しかも未来型コンピュータに変化する過渡期を生きることになるだろう。
まあ、教師が黒板を使って、「コンピュータのマウスの使い方は‥‥」などと説明をしなくても、子供たちは自由に使わせてさえおけば、たいていのことは自分で見つけて身につけていく。
今の教師に必要なことは、「自分がパソコンができないからといって、授業で一切使わない」などということがないように、「子供が使うソフトぐらいは使えるようになる」、「子供がパソコンに触れる機会をできるだけ多く作る」ということだろう。(繰り返しになるが、パソコンを使えるから優れた教師であるというわけではないのは当然なのだが)パソコンに向いていないタイプの教師には大変かもしれないが、このぐらいは頑張らないといけないようだ。
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