感想文と習字の審査も再考を



 (長文です)

 なお、この文章はあくまでも個人的な考えを述べたものであり、公的な立場を利用しての発言ではありません。
また、現在あるいはこれまで、これらの活動に一生懸命とりくんできた方々を非難するものではありません(私自身もかかわってきましたし)
 これからこういう方向に進んだらどうでしょうという意味での提言としてとらえていただければさいわいです。

 授業日数が少なくなり、学校現場では無駄を省こうと行事等の見直しがさかんに行われている。私の地域でも、小学校の旧部活動はスポーツ少年団となり社会体育に移行し、それまで平日に行われていた郡市大会は全て休日に行われるようになった。また教育研究会関係の行事も内容が見直され、学校を休みにして行う行事等は極力少なくする方向になっている。

 その中であまり変化がないのが、読書感想文と習字のコンクールの審査のように思う。いずれも国語科に関係するものなので、国語教師のはしくれである私として思っていることを書いてみたい。

 もちろん、そのどちらも、これまで大きな教育的役割を果たしながら続いてきた伝統ある行事であり、その意義を否定するわけではない。ただこの時代の中で今までどおりやっていくのはどうかと思う。私の考え方を書いてみたい。

【読書感想文コンクール】(郡市予選)
 郡市の図書館教育研究部が担当し、各学校からその学級数×2+αの作品を集め(要出品料)、それを郡市内の教師が集まって審査する。このコンクールそのものは図書館部の主催ではなく、新聞社が行っているものである。
 日常の学習活動の中で書いたものを出せれば理想的だが、現在の教育課程の中には読書感想文を書く活動というのは特別に位置づけられていないこともあり、最初の段階で学級の児童全員に感想文をかかせるのは、このコンクールに出品することが大きな動機になっている。そうやって書かせた感想文の中から、良いものを二点選んで、さらに書き直させることになる。コンクールの一番上位の賞である推薦をねらう(語弊があるが)には、二度三度と書き直しをさせながら指導するのが普通で、これに一週間近くかかる。児童を放課後残したりして指導をするが、これにかける教師の労力はかなりのものである。
 近頃は、子供に書いたまま作品を出す傾向も出てきたが、私もたまに審査員になることもあるので(なるべく断っているのだが)、読んでみるとはっきり手を抜いているのが分かる。(逆説的に言うと、ほとんどは教師の指導の跡が大きいと言うこと)
 こんなに教師が力を入れるのは、群市内のほとんどの学級が応募していることも影響している。そしてその結果がはっきり出てしまうからである。
 確かに読書に対する関心を高め、読書する目を育て、考える力・表現する力を育てるというねらいは良いことである。しかし子供の読書をする力を育てるために、「ブックトーク」「ストーリーテリング」などの新しい手法が次々と開発されてきており(郡市図書館部ではその方面にも意欲的に取り組んでいる)、情報センターとしての図書館の役割も研究されてきている。その方面の中核となっている図書館教育研究部が、いつまでも読書感想文コンクールを主な活動としていていいものだろうか。改善すべき点は改善し、より子供たちに生きる活動に向かわれるようにご一考いただきたい。(その後、多くの改善が行われてきたことを加筆しておきます)
 読書感想文を指導するのは悪いことではない。しかし、このやり方には再考の余地がある。コンクールがあるのも悪くはない。でもほとんどのコンクールは学校に応募要項が送られてきて、それを見て自分の学級の児童の作品を出してみようと思った教師が郵送するだけで済むやり方である。教師を集めて審査会をやるというやり方をやっているのは、この読書感想文コンクールと後述する習字の審査だけである。
 郡市審査の上に県の審査があり、更に全国審査があるというシステムのためにそうやらざるを得ないという理由もあるだろう。しかし、どうしてもやる必要があるのならば、その必要性を感じる教師が休みの日にボランティアで審査をすればよい。その際には学校ごとの出品点数を制限するというけちなことをやる必要はないし、全部の学校が出品するなどという慣習も打破したほうがよい。本当は主催の新聞社に、全国から郵送するのが一番だと思う。

【習字の審査】
 前の読書感想文コンクールについてのウンチクが長くなったので簡単に書きたいが・・・・
 この習字の審査でいちばん首を傾げたいは郡市審査以前の校内審査があることである。つまり、「出品作品の2割をAランク、3割をBランク、5割をCランクにする」というやり方をとっているのである。これは学校単位でやらなければならない。つまり、たくさんの応募数がないとAランクの枠が少なくなってしまうという問題がある。この校内審査は各学校の教師が行わなければならない。大きな学校になると出品作品も多いので学年の教師全員で作品を並べて作業をすると長い時間がかかる。さらに校内審査の結果を内申書にまとめる作業もかなりの時間を要する。
 このコンクールにも郡市内ほとんどの学校が参加するような習慣となっているので、これらの作業に費やされる時間も大きい。
 また校内審査でCランクになった作品は、ほとんど上位に上げられることがないというのが実態である。(全体審査会も多くの人手を必要とするので、やはり平日の授業日に各学校から1〜3名程度の教員を集めて行われる)
 繰り返し言うが、習字(毛筆・硬筆の書写)をやることが悪いわけではない。ただ、この審査会のやり方は再考すべきだと思う。これほど現場の教師に負担をかけ、時間と労力をかけてやるのはどんなものだろうか。この審査会に何度か出たことがあるが、一日汗水流して疲れたあとに「これでいいのかな?」といつも感じた。


 読書感想文を書くことや習字を書くことは悪くはない。しかしこのコンクールに対する私の郡市の取り組み方も変わっていくべきではないだろうか。この二つと似た性質を持っている造形部の「絵画・立体」のコンクールはコンクールという形態をやめ展示会というかたちで既に数年前から改善を図っている。
 読書感想文コンクールと書写の審査会の改善の改善について誰が言い出すべきだろう。事務局を担当している一介の(失礼な言い方だが)教諭ではどうにもならないし、例えそう思っていたとしても自分の一存で「変えていきませんか」とは言えないだろう。

 郡市の教育研究会とか、校長会とかで考え、進めていかなければならないことだと考える。私も、郡市教育研究会の場で、このことを発言していくつもりである。(そうでなければ、自分のホームページに書くだけでは無責任である。注:その後2回ほど発言しています)。

長い文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。



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