マルチパーパスの哀しみ



 私はワゴン車に乗っている。

私の愛車「ラルゴ」。キッドピクスで写真を処理しました。


 この車、中が広いので、家族で旅行するときなどはとても便利である。定員の8人乗車はちょっときつい感じもするが、大人が6人乗ってもゆとりがあるので、長距離の旅行などは、くつろいで行けるし、楽しい。

 しかし、通勤に使うとなると(実際、私はこの車で通勤しているのだが)、図体が大きい分、燃費は悪いし、車のとりまわしも楽ではない。

 たまに高速道路を走ることがあるが、そのときは、けっこう気をつかう。加速は悪いし、重心が高く横風を受けやすいので、時速100km以上のスピードで走り続けるのはかなり辛いものがある。

 高速道路でセダンタイプの車が私の車を追い越していくのを見ると、「やっぱりセダンは運転が楽だろうな」と思ってしまう。



 近年、増えてきたのが、セダンとワゴンの中間タイプの車である。ホンダのオデッセイが大ヒットし、今ではほとんどのメーカーから、このタイプの車が出ている。

 セダンタイプと同じような感覚で運転ができ、しかもセダンタイプの乗用車よりも多くの人数が乗車できる。通勤時や高速道路での走行もスムーズだし、6・7人での旅行の際も1台で間に合う。

 なかなか良く考えられたコンセプトで作られていると思う。1台で様々な用途に活用できる。こういう車を「マルチ・パーパス・カー」と言うのだろう。



 しかし、「ワゴンよりも運転しやすく、セダンよりも広い」という売りは、反対から見ると、「ワゴンよりも狭く、セダンよりも運転しにくい」ということにもなる。

 中が広くて大人数が乗れるといっても、ワゴンから見たら、かなり窮屈だし、ワゴンのような広々とした開放感はない。また、走りがきびきびしているとはいっても、スポーツタイプのセダンと比較したら、その動きはかなり鈍重である。



 1台の車しか持たないという条件なら、マルチパーパスな車に乗るというのは、ベターな選択だと思う。ただ、広さを求める場面や、俊敏な反応を求める場面では、今ひとつ、完全な満足感を得ることができないのも否定できない。

 日常の走りをある程度犠牲にしたワゴン車が、大人数の旅行では思い切りくつろげることや、室内の広さを犠牲にしたスポーティセダンが、思うままの走りを楽しめることとは、マルチバーパスカーで得られる満足感は対照的なように思う。



 今の世の中には、マルチパーパスカー的な人間が増えてきたようにも思う。私自身もそうだ。いろいろなことをある程度はできるのだが、どの分野でも中途半端である。

 こんな世の中だから、ある分野ではからっきしダメだが、別の分野では抜群の力を示すというような存在が、かえって貴重にも思える。

 まあ、そういう人にしてみれば、生きていくのはけっこう大変なのかもしれないが‥‥。

 これからの学校教育では、そういった人間を育てていくというような方向も出てきてはいるが、どんな分野の力もひととおりは身につけさせたいというのが、私たち教師の一般的な願いなのではないだろうか。「この子は、○○の能力が素晴らしいから、その面を思いっきり伸ばさせよう。他の能力は育てなくても大丈夫」と割り切ることはなかなかできない。

 全ての児童生徒にオールマイティな力を身につけさせれればよいのだろうが、それは無理なことである。だとしたら、ある分野の力だけを120%伸ばしてやればよいのか、それともマルチパーパスカー的な人間に育てればよいのか‥‥。難しいところである。

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