匿名希望?



本名を名乗ってきた


 インターネットを始めて約2年。その前にもパソコン通信を5・6年やっていたので、電話回線を通したネットワークに参加するようになって8年程になる。

 その間、ずっと本名を名乗ってきた。

 パソコン通信やインターネットをやっている人の多くは、ニックネームのようなハンドル名を使っている。私もそうすればよかったのだろうが、まわりの人たちがどのようにしているかなどということもわからないうちに、一気に始めてしまったので、気のきいたハンドル名をつけるなどということは思いもつかなかったのである。

 途中で「ミック」とか「ミラーボール」なんていう名に変えようかと思ったこともあるが(^^;)、既にパソコン通信ネットの仲間うちでは「彰」という名前が定着してしまったので、「いまさら」という感じもして、そのままにしてきた。

 インターネットでホームページを開くときにも、その流れで、「佐々木彰」という名前を出してきた。

顔を隠すか、口を閉じるか


 名前だけでなく、住所や職業、勤務先なども公開してやってきたのだが、この頃になって、まずかったかな?という気もしている。

 というのは、いくら私が、「この文章は私的なものです」と書いても、やはり読む人は私の職業的な立場をふまえて受け取ることも多いからである。

 最初のうちは、「それは変じゃないの」と思っていたが、よく考えてみれば仕方のないことである。例えば、総理大臣が「これは私の全くの個人としての意見です」とことわって書いたとしても、その中に「議会制民主主義については疑問を持っている」とか「軍備を持つことには個人的には賛成である」などと書いたなら、やはり物議を醸すことになるのは当然のことだからだ。



問題が出てきた


 実際に、私の書いた文章の中に、表現に不適切なものがあるということで、助言を受けるということも出てきた。

 あらためて読み返してみると、ホームページ開設当時にアップした文章の中には、自分でも「かなり言い過ぎかな」と思うようなものもある。(私が教頭になる前に書きためていたものを使った文章が多いせいもあるが)

 開設から半年ほどは。ほとんど訪れる人もいないホームページだったので、それでも何の問題も起きなかったが、開設後1年半、おかげさまで1日に100件近くのアクセスをいただくようになり、このホームページの文章についても、いろいろな所で話題にされるようになってきた。

 そうなると、言いたい放題の文章については、自分がその対象になっている場合など、その文章を目にしたら、快く思わない人が出てくるのも当然である。

 その場合、いくら私が「これは仕事を離れた、私の個人的意見で」などと強調しても、田舎のおじさんがひとり勝手に言っている言葉とはとらないで、○○学校の教頭が言っている言葉ととられるだろう。

 そこで、いただいた助言等も生かして、表現に不適切な部分があるという文章については、見直して書き直したものも多い。

 また、私の文章が、勤務先の学校の公的見解と誤解されると、学校にも迷惑がかかるので、私の個人ページと学校の公的ページとのリンクは全部断ち切った。

 正直なところ、1年以上も前に書いた文章を手直しするのは面倒でもあったが、実際に現在も公開されているわけだから、その文章にも責任を持たなければならないだろう。

 まずは、これが、現在できる私の対応である。



匿名ならいいのか


 さて、問題は、これからのことである。

 自分の名前や職業を隠してしまうという手もあるかもしれない。顔写真も住所も職業も年齢もみんな消して、「アキ坊の面白半分」などというホームページにして‥‥(^^;)

 しかし、私のホームページの内容では、それは卑怯なやり方になってしまう。自分の考えを述べているだけだとはいっても、いろいろな現象等をとりあげ、えらそうな事を書いているわけだから、書いた本人の素性を明らかにしておくことは礼儀であろう。

 仮に、私の名前や素性をわからないようにして、何かを批判するような文章を書いた場合、批判された当事者の方がそれを目にしたら、どう感じるだろう。書いた人間が不明なら気にもとめずに安心して、素性がわかっているのなら目をつり上げて怒る、ということはあり得ない。むしろ書いた人間がわからないときこそ、「いったいどいつがこんなことを書いたんだ!」と、犯人(^^;)探しに血眼をあげるということになるだろう。

 インターネットの歴史は短いので、そのへんのエチケットは確立されていないが、書籍出版の世界なら、著者名が隠された本などというものは本質的にあり得ない。(一部の娯楽的な本にはそういうこともあるが、意見を述べる形式の本なら、そういうスタンスで出版することは許されないはずだ)



本来、匿名とは


 ラジオ・テレビ番組や、新聞・雑誌の投書欄などには「匿名希望」が多くあるし、インターネットのホームページでも自分の素性を出さないものも多い。

 この場合の「匿名希望」というのは、自分が不利益を受けないための防御策である。

 自分の名前が公表されることでいやがらせの手紙や電子メールが届いたりするのを防ぐという場合もあるだろうし、近所の人や職場の人に知られたくないという場合もあるだろう。インターネットだと、公開した文章の内容等にかかわらず、イタズラの目的でメールなどが届くということもあるらしい。

 そういう意味で匿名にする場合がほとんどだと思う。ただ、基本的には「保身の手だて」である。したがって自分を安全な立場に置いての発言であるから、何かを訴えようなどという場合には、訴えそのものが弱くなることは仕方がない。

 私の場合は、特に保身しようとは考えていないので、匿名にする必要はない。ただ、勤務校に要らぬ迷惑をかけてもいけないので、その点についてはふせることにした。



では何を書くか


 そういうことで、名前と職業は公開したままホームページを続けていくことにしたが、何を書いていくかが問題である。

 私の場合は既に「うんちく講座」では150以上の文章を書いているので、これからも今までと変えるつもりはないのだが、基本的に特定の個人や団体を非難するような内容は避けていこうと思う。(もちろん、今までもそのつもりなのだが)

 ただ、万人に無害な内容にするということは難しい。そうなると、当たり障りのない日常の出来事の紹介とか、自分のペットのこととか、趣味のことなどだけになってしまう。そういうホームページもたくさんあるし、個人の情報発信として悪いことではなく、私もそういったホームページを否定する気持ちはないが、面識のない人のそういうホームページだと、一度は覗いてみても再び覗いてみようという気にはならない。おそらく何度もアクセスする人は友人か親戚だけだろう。

 読んで面白いのは、書いた人の生き方・考え方・ものの見方が表現されているホームページである。

 内容によっては反感を持つ人も出てくるかもしれないが、表現の仕方にじゅうぶん注意を払い、自分の考えをきちんと書いていけば、私と反対の立場の人でもわかってもらえることもあるかと思う。

 これまでは、わざと刺激的な表現を用いたりすることもあったが、今後、そういう面には気をつけることにして、真剣に自分の考え方を表現していくという点では、このホームページの性格を変える気はない。

 自分の立場を考えて、それにふさわしくない内容は書かないということは、大切なことではあるが、私はそれをゆるやかに考えたい。

 学習指導に役立つヒントなどであれば、何の問題もないが、世相にからんだことや、教育上の主義主張・立場などにからんだことになると、「それは言わないほうがよい」という意見もあるかもしれない。しかし、読む人に誤解を与えないように配慮しながら、「このことについて私はこう感じるのですが、皆さんはいかがでしょう」という問題提示的な書き方であれば支障はないかと思う。

 むしろ、いろんな立場の人が、自分の感じ方を公開しあい、意見を交わし合うことで、難しい問題を解決する糸口が生まれてくるようにも思える。

 教頭だからホームページで意見を述べてはいけないというのでは、校長だから裸婦像を描いてはいけないとか、警察官だから恋愛詩を書いてはいけないというレベルのハナシになってしまう。



情報とは今を記録すること


 先日、大分県にでかけたときに、素晴らしい人にあった。その人と話した中で印象的だったのが、「情報とは今を記録すること」という言葉だった。本質がわかっている人の言葉には味わいがある。

 「うんちく講座」などで1年以上前に書いた文章を見返してみると、今の自分の考え方と少し違っているものもある。人間の気持ちや考え方は、時の移り変わりとともに変わっていく。子供の頃に考えたことと今の自分の考えは同じではないし、今の私と5年後の私も違うだろう。

 今感じたことを、今書いておくこと、これが私の情報発信の基本姿勢である。



インターネットのことはインターネットで


 私の書くことが全て正しいとは思っていないし、書いたことで問題が出てくることもあるかと思う。そのような場合、いろいろな助言をいただけるということはありがたいことである。そのことによって私も成長することができる。

 ただ、インターネットで表現したことについては、掲示板や電子メールなど、インターネット上の通信手段で連絡していただくのが基本ではないかと思う。

 そのことによって、その人がきちんと私のホームページを見ていてくれるという証明にもなるからだ。

 実際のところ、今の時点では、インターネット上で発言した内容の影響力は極めて小さい。私のホームページの文章ひとつひとつを考えてみると、その文章を読んでくださった人数は、数十人程度だと思う。場合によってはひとけたの数字ということもあろう。

 ところが、これをプリントアウトして、さらにコピーして配布するなどとなると、ちょっと性質が変わってくる。それを読む人の中にはインターネットそのものもわからない人も多いだろうし、私のホームページ全体の雰囲気も感じてはもらえない。またディスプレイで表示された文章を読むのと印刷された文章を読むのでは受け取り方も変わってくる。

 ましてあら探しをするという姿勢で読まれると、ちょっとした言葉の揚げ足とりにもなりかねない。「インターネット言葉狩り」のようなことにはなってほしくない。

 マスコミの広告などについては「広告審査機構」があって、常に監視をしているらしいが、個人の情報発信であるホームページにおかしな表現はないかと、どこかでじっと目を凝らして見ている人がいると思うと気持ちが悪い。まあ、仮にそういう人がいたとしても、そのときはインターネット上でクレームをつけていただきたい。ありがたいご助言として受け入れるつもりでいる。ただ、そうではなく、わけのわからないルートでページを印刷したコピーがでまわり、それがまわりまわって、まるで別のルートから苦情が来たりするというのは、あまり気持ちのよいものではない。


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