撮ったビデオ見ますか?


 学校の運動会や学習発表会となると、観客席は新型ビデオカメラの花盛りである。

 近頃はバッテリー1つで8時間以上も録画できるという機種もあり、ビデオカメラ片手のお父さんたちは1日中、わが子の晴れ姿の撮影に余念がない。

 でも、こうやって撮影したビデオを再生して見る機会はどれくらいあるのだろうか?

 当日の夜に見ることはあるかもしれない。運動会に行けなかった家族や遠くに住むおじいちゃんやおばあちゃんに見せてあげるということもあるだろう。

 でも、それっきりで終わりということが多いのではないだろうか。

 バッテリーの寿命にあかせて、数時間も撮りまくったビデオテープが何十本もあるなんてことになったら、それを再生して見る気にはならないだろう。

 何本ものテープを編集してダイジェスト版を作るという余裕がある人も少ないはずだ。
 (画質もかなり劣化してしまうし)

 一昔前のように、バッテリーの寿命が1時間ほどしかないというときには、無駄な場面の撮影は極力けずって、ここぞという場面だけを撮ったものだから、そこそこ見ごたえのある内容にもなったが、時間に制限のなくなった今では、だらだらとわが子の画像が続くだけである。

 しかも、超高性能ズームレンズがついたため、遠く離れた場所からでも、わが子の姿だけのズームアップが可能になった。

 これでいっそう「集団の中でのわが子の姿」が見えなくなる。100m走などでは、必死に走る姿がアップでとらえられるのだが、はたして何人で走っているものやら、何位になったものやら、さっぱりわからない画像ができあがる。教師も子供も長い時間を費やして練習し、集団の隊形の美しさを追求したマスゲームも、ビデオにおさまると手足をぱたぱた動かすわが子1人だけの画像になってしまう。

 ビデオカメラを通して運動会や発表会を見る親の目も、カメラのファインダーの大きさになってしまった。

 肉眼で見たなら、もっと大きな視野で見ることができる。その場の空気も味わうことができる。また、遠くてよく見えないがために、かえっていろいろな気分を味わうこともできるはずだ。

 たとえば、100m走でびりっけつになってしまった自分の子供。観客席からゴール地点は遠いので、小さな後ろ姿しか見えない。肩を落としてうなだれているように見える姿に心配をしていたところ、昼休みになって家族のいる観客席に走って近づいてくるその顔が笑って輝いている‥‥、なんてことは、ビデオカメラのズームレンズを通して見ていては体験できないだろう。

 ものが動くという時間の流れまでを記録できることがビデオの素晴らしい面ではあるのだが、その子にとってはたった一度しかない「○年生の運動会」「○年生の発表会」という貴重な時間を、ビデオに残すために使うのはもったいない。「ビデオに撮影者の声が入ってはいけないから」などと気を使って、無言のままで片目をつむって、わが子の走る姿を追うのではなく、子供が走る同じ空気の中で大声をあげ手を振り回して、その時間を味わって欲しいものだ。

 記録に残すのは、自分の記憶の中だけでよい。どうしてもというなら写真のカメラでじゅうぶんだ。

 見るのに長い時間がかかるビデオと違って、写真はアルバムに貼ると、いくつもの瞬間を同時に見ることができる。見るのに時間もかからない。また、あとで見る回数もビデオとくらべてはるかに多いように思える。



 というようなことで、私は今でもビデオカメラを持っていない‥‥‥(^^;)
 (パソコンでもっと簡単に動画を扱えれば考えないわけでもないが)

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