大利根無情にまつわるetc



父の愛唱歌

 もう現役を引退したが、私の父親は大工である。私がまだ小さな子供だった頃、仕事先の新築祝いなどで一杯ごちそうになって帰ってくる父は、よく大きな声で流行歌を歌ってきたものだった。

 そんなときに、父がよく歌っていたのが、三波春夫【大正12年(1923)〜】の「大利根無情」という曲だった。「利根ーのー、利根の川風」という歌い出しのこの曲、幼心にも「いい歌だなぁ」と感じた記憶がある。


大利根無情

 昭和34年(1959)に発表されたこの曲。「作詞:猪又良 作曲:長津義司」のコンビで作られた下のような曲である。

利根の 利根の川風 よしきりの
声が冷たく 身をせめる
これが浮き世か 見てはいけない 西空見れば
江戸へ 江戸へ ひと刷毛(はけ) あかね雲

(せりふ)
 佐原囃子が聞こえてくらー
 思い出すなァ‥‥御玉ケ池の千葉道場か
 うふふ‥‥平手造酒も今じゃやくざの用心棒
 人生裏街道の枯落葉か

義理の 義理の夜風に さらされて
月よお前も泣きたかろ
心みだれて 抜いたすすきを 奥歯で噛んだ
男 男 泪(なみだ)の 落とし差し

(せりふ)
 止めてくださるな妙心殿
 落ちぶれ果てても平手は武士じゃ
 男の散り際だけは知っております
 行かねばならぬ そこをどいて下され
 行かねばならぬのだ

瞼(まぶた) 瞼ぬらして 大利根の
水に流した 夢いくつ
息をころして 地獄参りの 冷や酒飲めば
鐘が 鐘が鳴る鳴る 妙円寺

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 いかがであろうか。歌詞をご覧になってわかるように、やくざの用心棒に落ちぶれた伝説の剣豪「平手造酒(ひらてみき)」を主人公にしたせりふ入りドラマ仕立ての歌謡曲である。

 浪曲師出身の三波春夫(初の着物姿で歌う男性歌手だったそうだ。デビューは34歳と遅かった)の張りのある声と巧みなせりふ回しで、平手造酒のことをほとんど知らない幼い私にも、なんとなく芝居の1場面が浮かんでくるような曲であった。

 今では演歌というと、大衆音楽界の中の小さな1つのジャンルになってしまい、それを愛好する人も少なくなったせいか、いかにも演歌でございますといった安っぽい曲が多くなったが、当時は演歌ではなく「歌謡曲」と呼ばれ、大衆音楽界の主流であった。

 この「大利根無情」は、歌詞のドラマ性といい、スケールの大きい独自性のある旋律といい、演歌という枠に収まらない名曲であると思う。


平手造酒

 ところで、この主人公の平手造酒、私はつい最近まで忠臣蔵に出てくる人間だと勘違いしていた。「行かねばならぬ」というせりふから仇討ちを連想し、赤穂浪士の討ち入りのときの話だと思っていたのだ。さらに三波春夫の歌謡浪曲の名作「俵星玄蕃」(これは赤穂浪士に関わる話である)のイメージが強かったので、これと関係づけてしまったようだ。

 赤穂浪士の討ち入りは元禄15年(1702)である。平手造酒は1800年代中頃の文政・天保の頃の人のようだから、100年以上の差がある。浪曲「天保水滸伝」(広沢虎造などで有名)の1節「笹川の花買い」の賭場の場面で「剣豪平手造酒の姿も見える」というくだりがあるから、天保(1830〜1844)の頃には、やくざの用心棒になっていたということになろう。なお「天保水滸伝」のこの場面では国定忠治が出てきているので、平手造酒と国定忠治は同時代の人なのだろう。

 せりふ部分で出てくる御玉ケ池の千葉道場というのは、幕末の剣豪「千葉周作」(1794〜1855)のことなので、平手が「行かねばならぬ」と言っているのは、千葉道場とどこかとの決闘ということなのだろうが、今のところ私の資料不足で詳しいことはわからない。

※最初にこのコンテンツをアップした後でわかったことだが、平手造酒は、前述の天保水滸伝の主役「笹川繁蔵」(1810〜1847、利根川沿岸の博徒の大親分)の用心棒だった。1844年、飯岡助五郎と笹川繁蔵との縄張り争い「大利根川原の決闘」で笹川側の助っ人として活躍した。


長津義司

 ところで、この曲を作った2人についてだが、作詞者の「猪又良」氏については、この「大利根無情」の他には目立った作品もないようで詳しいことはわからなかった。

 作曲者の「長津義司」氏については、調べてみたら、なかなか素晴らしい作曲家であることがわかった。

 名前の読み方は「ながつ よしじ」である。

 1904年、静岡県熱海に生まれ、1986年に亡くなっている。

 法政大学を卒業後、保険会社に就職するが、昭和11年、作曲家に転身し、ポリドールの専属となる。

 昭和14年には田端義夫の「大利根月夜」が大ヒットし、これが出世作となる。

 昭和16年にはテイチクに移籍し、小笠原美都子の「十三夜」がヒット。

 戦後の作品としては、
 田端義夫の「玄海ブルース」「玄界エレジー」「ふるさとの燈台」
 淡谷のり子の「君忘れじのブルース」
 菅原都々子の「連絡船の歌」(実際は作曲でなく韓国の歌を編曲)
 などがある。

 昭和30年代に入って、「大利根無情」「チャンチキおけさ」をヒットさせる。

 映画の音楽監督も多くやっている。

 というような具合である。戦後の歌謡曲作曲家というと古賀政男・吉田正・服部良一・中村八大などが有名だが、この長津義司もそれほど知られてはいないが(知らなかったのは私だけかもしれないが)素晴らしい曲をいくつか残している。

 あまり多くの曲を残さなくても、「湯島の白梅」「勘太郎月夜唄」などの清水保雄、「無情の夢」「長崎物語」「明日はお立ちか」「桑港のチャイナ・タウン」などの佐々木俊一あたりもメロディー作りの才能が素晴らしい作曲家である。

 つい先日、訃報があった渡久地政信さんも「上海帰りのリル」「お富さん」「東京アンナ」「踊子」「長崎ブルース」「池袋の夜」などを作った素晴らしいメロディ・メーカーであった。

 こんなふうに、歌謡曲を作曲家の側面から見てみるのもおもしろいと思う。


大利根月夜

 長津義司の最初の大ヒット曲である「大利根月夜」(歌:田端義夫)についても紹介しておこう。この曲は、作詞が「藤田まさと」で、昭和14年(1939)に発表された。

あれをご覧と 指さす方に
利根の流れを ながれ月
昔笑うて 眺めた月も
今日は 今日は涙の顔で見る

 愚痴じゃなけれど 世が世であれば
 殿のまねきの 月見酒
 男 平手と もてはやされて
 今じゃ 今じゃ浮き世を 三度笠

もとをただせば 侍育ち
腕は自慢の千葉仕込み
何が不足で 大利根ぐらし
故郷(くに)じゃ 故郷じゃ妹が待つものを

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 なお、このコンテンツをまとめるにあたって、伊藤高臣さんからたくさんの情報提供をいただきました。伊藤さんは現在、東京大学大学院生です。ご自身の研究についてや、日本歌謡史、オペラ史などについての素晴らしいホームページを作られています。

 伊藤さんのホームページは、こちらです。


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