いそしぎといやし
「いそしぐ」という動詞があると思っていた時期がある。
1965年だから私が小学校高学年の頃になるのだろうが、エリザベス・テーラー主演の「いそしぎ」という映画があった。
その内容は今でもまだ見たことがないのだが、テーマ曲は哀調を帯びた美しいメロディーで当時大ヒットした。「The shadow of your smile」という曲は、ほとんどの人がどこかで耳にしたことがあるのではないかと思う。
この「いそしぎ」という言葉、少年の私には初めて耳にする言葉だった。なんのことはない、磯辺にいる「シギ」という鳥の名前で、原題は「The sandpiper」なのだから英語から日本語への直訳である。
ところが、その鳥自体を知らないうえに、例のぐっとくるテーマ曲のメロディである。「いそしぎ」というのが鳥の名前だなんていうことを思いつくのは難しかった。
当時の私は、この「いそしぎ」という言葉を、「やすらぎ」とか「哀しみ」などと同じような、「ある精神的状態を表現する言葉」であると解釈したのだった。
もしこれが「ゆりかもめ」などのように、いかにも名詞的な響きだったら間違えることもなかったのだろうが、「いそしぎ」という、響きが動詞の連用形での名詞化のような感じがするのも関係していたのだろう、私はかなり長い間、勘違いをしたままだった。ずっと大人になってから真実を知ったのだが、それまで「いそしぎ」というのが甘く切ない雰囲気を指すものだと思っていたのに、実はたいして優美でもない鳥のことだと分かった時は、かなりショックだった。
動詞の連用形を名詞のように使うというのは、よく行われている。動詞といっても活用型は、5段活用・上1段活用・下1段活用・カ行変格活用・サ行変格活用などがあり、自動詞・他動詞の使い分けもあって、簡単には言えないが、例えば「学ぶ」という動詞を名詞化するときに、終止形に「こと」をつけて「学ぶこと」とする方法と、連用形で言い切って「学び」とする方法があるわけである。(「学びかた」の「かた」を省略したようなニュアンスで使うこともある)
最近の流行なのか、連用形の言い切りが多く使われるようになった感じを受ける。教育界でも、「一人一人の学びを育てる」とか、「生活科のポイントは気付きを育てること」などという表現を目にする。
それは別に悪いことではないのだろうが、私にはどうも不自然な日本語・半端な言い回しのような気がして好きになれない。
特に気になるのが、最近よく聞く「いやし」という言葉である。
「現代人は癒しを求めている」とか「癒しを求めての旅」などという使い方をよく見かける。「癒す」という動詞は、5段活用の他動詞で、同じようなものに「冷やす」「費やす」などがある。それらの場合、「冷やし」とか「費やし」などという言い方はほとんどしない。「冷やし」といったら普通は冷やし中華のことだろう。
誰が何を癒すのかということがはっきりしないあいまいな使い方であるし、自動詞で「癒え」といったほうがすっきりするようにも思う。昔、日本人の「甘えの構造」という流行語もあったが、「癒し」という言葉には、あいまいで甘えた考え方も感じられる。
言葉の響きもよくない。「こやし」や「いやしい」に似ているではないか(^^;)
すっかり定着してしまった「生きざま」のように、悪い言葉が一般化してしまわないといいのだが‥‥‥。
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