奇妙なサマータイム・ブルース




 私の平成10年の夏休みは、日常生活では滅多に起きないような出来事が連続した奇妙な期間であった。(これを書いている時点では、まだ終わっていないのだが‥‥)

 個人的な「夏休みの日記」になってしまうが、それらの出来事をここに書いておこうかと思う。


連続した児童の交通事故

 夏休みをむかえるにあたって「事故のない夏休みに!」ということを、終業式での校長先生の講話や「学校だより」をはじめとして、あらゆる機会に呼びかけていたのだが、残念なことに夏休みの前半に2つの交通事故が起きてしまった。

 1つめは夏休みの初日に起こった。小2の男子が急な坂道のカーブを自転車に乗って右側通行でおりてきて、対向車線を走ってきた乗用車に正面衝突した事故だった。乗用車がほとんど停止した状態のところにぶつかったため、奇跡的に軽傷ですんだが、ひとつ間違えば命を失いかねない事故だった。事故の通報を受けて、児童が救急車で運ばれた病院にかけつけたが、救急処置室から足に包帯を巻いただけで出てきた児童を見て、胸をなで下ろした次第。

 早速、全校電話連絡網を使って、その日のうちに全家庭に注意を呼びかけ、翌日には交通事故防止についてのチラシを配布した。「この事故をきっかけに安全についての意識が高まってくれればいいが」と思っていた矢先。2つめの事故が起きてしまった。

 今度は死亡事故という取り返しのつかない事態になってしまった。亡くなったのは小1の女子。自宅前の横断歩道を渡ろうとしていて、前方不注意の乗用車にはねられるという事故だった。詳しい状況については、ここであえて紹介すべきものでないので触れないが、様々な悪条件が偶然に重なってしまった痛ましい事故だった。

 事故が起きたのが7月31日(金)の午後5時25分頃。最初の事故からわずか8日後だった。その夜に緊急に職員を集めての臨時企画委員会。翌日の土曜日には緊急の全校集会。さらに日曜日に臨時のPTA集会と慌ただしく悲しい数日間だった。

 8月4日に行われた葬儀には職員全員が参列。教頭としては、県教委への事故報告書の作製等、現実に起きていることが信じられないような感覚にとらわれた期間であった。


日刊スポーツに載る

 8月4日の日刊スポーツの「会社の怪談、学校のお化け」という夏季短期連載のコーナーに、私の応募した話が採用され掲載された。手紙・FAX・Eメール等で怖い話を公募するという企画で、私は「うんちく講座」に書いていた「こわい話(2)」のURLをメールで応募というかたちにしたのだが、記事のスペースの関係等もあり、実際に掲載されたものは原文とはだいぶ違った感じになっていた。(住所も『秋田市』と、間違えられていたし)
 普通であれば、「俺の書いた話が全国紙に載ったぞー!」と大騒ぎするところであったが、ちょうど死亡事故にあった児童の葬儀の日でもあったし、怖い話の内容が車に関係したものであったこともあって、なんだか変な気分であった。


花木会に不参加

 何もなければ、8月1日には妻と娘とで旅行に出かける予定であった。私は2年前に、つくば市にある国立教育会館学校教育研修所で文部省教職員等中央研修講座中堅教員研修(5週間)を受講したのだが、その当時の仲間10人が「花木会」という会をつくって、年に1度、それぞれの会員の都道府県で集まることにしている。今年は長野県で8月3日に集まることになっていた。東京までは3人で車で行き、私は長野に、妻と娘は埼玉県草加市の親戚の家に行くことにしていたのだが、前述の事故への対応もあり、出発することができなかった。自分の学校で死亡事故が起きたのだから当然なのだが、花木会の仲間との再会は1年間楽しみにしていたことなので残念であった。


東京へ

 死亡事故への対応も一通り終わり、葬儀もすんだので、あらためて東京に出かけることにした。8月5日の昼過ぎに妻と娘といっしょに車で出発。夜の10時頃には東京近くまで。東北自動車道の最後のサービスエリアの駐車場で車中泊。翌朝、東京ディズニーランドに向けて走り出す。
 ディズニーランドには何度も行っているのだが、今年は15周年記念イベントなどもあり見応えのある内容だった。夕方には親戚の家へ。東京の空気の汚れと首都高速の渋滞には閉口した。


P-kiesワンダーランド


トラブル発生

 翌日(7日)は、前からの娘との約束で、お台場にあるフジテレビの「P−kies・ワンダーランド」へ。首都高速は相変わらずの渋滞だったがなんとかたどり着き、4時過ぎに帰路につく。
 首都高速の湾岸線から中央環状線に入って少し進んだ船堀橋あたり、ここまでもひどい渋滞で、やっと車の流れが動き出したとき、私の車の下部のあたりで「バチン、ガラガラ!」という音がしてエンジンが止まってしまった。エンジンを再始動しようとしてキーを回したが、セルモーターは回るもののエンジンはかからない。
 「渋滞の中でエアコンをかけっぱなしにしていたからオーバーヒートでもしたのかな?」と思い、そのままにしておくこともできないので、セルモーターの動力で車を路側帯に移動した。
 そこでもう一度エンジンをかけようとしたが、どうにもかからない。燃料計も大丈夫だからガス欠ではないし、水温計を見てもオーバーヒートではないらしい。どうやら自力で解決できるような故障ではないらしい。


緊急電話

 高速道路に設置されている緊急電話を使って連絡することにする。幸いにも停車したところから200mほどの場所に緊急電話があった。(首都高速では500m位の間隔で設置されているようだ。東北自動車道で見てみたら1200m位の間隔で設置されていた)
 初めて使うのでどんなものか分からなかったのだが、四角い小さな箱のようなものに「ふたを開けてお話ください」と書いてあった。普通の電話機のようなものが入っているのかと思いながら取っ手のついたふたを上に引き上げてみたら、ふたの内側にマイクのようなものがついていて、箱の内側にスピーカーがあり、すぐに「どうかしましたか?」という声が聞こえた。ふたを開けることで直接つながるようになっているらしい。状況を話すと、「エンジンの故障のようですね。JAFを呼びますが、いいですか」ということだった。「お願いします」と言うと、「渋滞していますのでそちらに着くまで1時間から1時間半くらいかかりますが、そのまま待っていてください」とのこと。これが午後5時30分頃だった。


川を見ながらJAFを待つ

 暑い日だったので、車の窓を開けて、家族3人、車の中でじっと待っていた。わきを通り過ぎる車の中の人たちは、珍しそうに私たちを見て行く。(渋滞なのでじろじろ見られた)
 窓から入ってくる荒川の川風が気持ちいい。ときどき通って行く船を見るのもおもしろい。
 などと悠長なことを言っていられたのも1時間ぐらいまで。6時30分頃になっても助けの車は来ない。7時を過ぎてあたりが暗くなりかけてもまだ来ない。「1時間半くらいかかります」ということだったので7時ぐらいにはなるかと思っていたのだが、さすがに待っているのも疲れてきた。JAFの車は小さなクレーンをつけているトラックタイプのものが多いはずなので、その手の車が見えてくると「あれかな?」と期待するのだが、来るのは建設関係の車ばかり。
 「この渋滞だから遅れているのだろう」と思ってみるのだが、さすがに7時30分を過ぎるといらいらしてきた。
 「もう一度緊急電話をかけようか」と思った8時頃になって、やっとJAFの車が赤い警戒灯を点滅しながらやって来た。


タイミングベルトの切断

 やって来たJAFの隊員(佐藤さんという若い人だった)は、手際よく路上に警告の光る円錐などを置いて、私の車を調べ始めた。冷却水切れによるオーバーヒートなどであれば、冷却水を注入して走れるようになるかも‥‥などと甘い期待をしていたのだが、隊員の口から出た言葉は「エンジンのタイミングベルトが切れていますね」ということだった。
 ベルトと言われて、ファンベルトやコンプレッサーベルトを思い浮かべた私は「1週間ほど前に車検で交換したはずなんですが」と言うと、タイミングベルトはそれらとは違ってエンジンの中にあり、シリンダやバルブの動きを伝えるものだということだった。だいたい10万キロ程度をめどに交換するものらしい(私の車は9万キロ走っていた)。エンジンを分解して交換しなければならないので、この場で修理するということはできないし、いったん切れてしまうとバルブ等も焼き付いたり損傷したりすることが多いので、それらも含めて交換することになり、大規模な修理が必要になるのだそうだ。
 いずれ、この場で修理して、走って帰るなどということはできないということだ。修理工場まで牽引してもらうことになった。


首都高速をロープ牽引

 普通であれば、車の前輪をJAFの車の後部に上げて牽引するかたちになる。その準備をしようとしていてJAF隊員が聞いた。「この車、フルタイム4WDですか?」
 「はい」と私が答えると、「まずいなぁ」とのこと。フルタイム4WDの場合、前輪を牽引機に上げてしまうとセンターデフがロックして後輪も回らない状態になってしまい牽引できなくなるのだそうだ。「このタイプの車って故障が起きたときのことを全く考えていないんですよね」という隊員の話。センターデフロックを解除できる機構のものもあるらしいが、ほとんどのフルタイム4WDはそうなっていないのだそうだ。
 「仕方ないのでロープで牽引しましょう」と言われた。「やったことあります?」と聞かれたが、もちろんあるわけがない。「ブレーキは全体重をかけるような感じで思い切り踏んでください。できれば両足で踏めるといいです。普通の感じで踏んだのでは止まりませんので追突してしまいます。パワーステアリングも効きませんのでハンドルもしっかり握ってください」という注意を受けて運転席に乗り込んだ。
 本当に怖かった。幸いにも(?)渋滞がひどかったので(聞けばこういう渋滞は年に1・2度しかないのだそうだ)スピードを出すことは少なかったが、下りカーブなどでは路面が内側にも傾斜しているので牽引してくれる車と同じ進路をとるのが大変だった。路側帯があるところではそこを走ったが、そうでないところでは普通の車線を走った。
 牽引されて首都高速を走った距離が15km。かなり遠回りをした感じがして、妻は「早く近くのインターから降りてくれればいいのに」と文句を言っていたが、なるべく無理をしないで整備工場に行けるコースを選んで走ってくれたのだろう。墨田区を大回りして都心に向かい(この間は渋滞が特にひどく、ほとんど止まっているような状態だった)、清洲橋近くの日産の営業所に着いた頃は午後10時近くになっていた。もちろん夕食はとっていない。幼稚園児の娘はよく我慢したものである。
 さすがにこの時刻になると営業所にいたのは営業担当の人が一人だけで、とりあえず車を置いて帰ることになった。修理については翌日に電話で連絡をとることになった。


JAFに入会

 私はJAF(社団法人日本自動車連盟)に加入していなかったので、今回の対応をしてもらうための料金が2万円程かかった。JAF会員であれば3千円程度で済んだのだそうだ。今後どんなことがあるか分からないので、その料金を払う際に、入会金の6千円もプラスして、会員申し込みをした。車で遠出をすることがある人は加入しておいたほうがよいと思う。
 今回、対応してくれた佐藤さんは、きびきびとした仕事ぶりと明るく親切な物腰の人だった。知らない土地に行ってトラブルにあったときなど、こういう対応をしてもらうと本当に心強かった。
 車が無くなって電車で帰らなければならない私たちを最寄りの駅まで来るまで送ってくれた。
 終電間近な電車に乗り込み、埼玉県草加市の親戚の家に向かった。(埼玉県といっても足立区の隣なので都心から40分程度で着く)やっとたどりついたのは深夜の12時近かった。
 親戚(妻の姉)は私たちの帰りが遅いのでとても心配していた。(高速道路にいるうちは連絡がとれなかったので、やっと連絡がついたのはインターから降りた10時頃だった)私は携帯電話を持っていないのだが、このときは「携帯電話があればなぁ」とつくづく思った。


車を廃棄

 翌日、整備工場に電話をすると、やはりエンジンのタイミングベルトが切れているらしいということだった。エンジンを開けてみないとはっきりとは言えないが、たいていこういう場合はシリンダやバルブもいかれていることが多く、それも修理することになると30〜40万円程度の費用がかかると言う。修理に必要な部品も取り寄せなければならず、お盆休みの関係もあって、8月17日頃までは修理ができないともいうことだった。東京で修理しないで秋田に持って帰って修理することもできるが、車を秋田まで運ぶとなると専門の業者を依頼しなくてはならず、その費用も10万円近くかかるという。
 25万円もかけて7年目の車検をやったばかりの車であったが(実際には8月いっぱいまで車検はあるのだが、今回の旅行に備えて1ヶ月早めに車検に出していた)、あと1・2年しか乗れそうもない車に50万円近くかけて修理するのも経済的ではない。それに東京で修理することになると、私たちは一度秋田に帰って、もう一度、車を取りに来なければいけないことになる。
 残念ではあるが廃車にするしかなさそうだ。その旨を電話でお願いした。東京の業者が秋田県の車の廃車手続きをするとなるといろいろ面倒があるそうなので、車体の処分だけを東京の業者に依頼し、廃車手続きは秋田の業者にやってもらうことにした。(ナンバープレートを切り取って秋田の業者に送るのだそうだ)
 昼から電車でその営業所に出かけた。車の処分料として1万円を支払う。車に積んでいた荷物もそのままだったので段ボール箱をもらって、宅急便で自宅に送ることにした。
 修理工場わきの駐車場に7年間の思い出がつまった愛車を残して、営業所をあとにした。


帰れない

 当初の予定では9日に車で秋田に帰るはずだった。車を棄ててしまった8日の午後の時点で、私たちが秋田に帰る方法は無くなってしまった。列車や飛行機の切符が取れないか調べてみたが、ただでさえ切符を取るのが難しい帰省ラッシュのこの時期、空きがある列車や飛行機があるはずがなかった。
 妻の姉さんの旦那さんが「レンタカーはどう?」というので、これも調べてみた。私はレンタカーを使ったことがなかったので初めて知ったのだが、基本料金の他に「乗り捨て料金」というのを払うと東京で借りて秋田で返すということもできるらしい。
 ところがレンタカーもこの時期には利用が多いらしく、数社に電話してみたが乗り捨て方式で貸せる車は全くないという状態だった。(乗り捨てられた車をもとの所に戻す手段がないらしい)
 最後の手段として、廃車になった私の車のディーラーに電話をした。私の車の車検をやったのはこのディーラーである。25万円もかけて整備をして1週間もたたないうちに車がオシャカになったのだからむこうにも弱みがある。直接の担当は私の中学校時代の同級生なので、夜遅い時間ではあったが彼の自宅に電話をした。あらゆる手だてを使ってなんとかしてくれと依頼(?)したところ、翌朝になれば系列のレンタカー会社に無理を言ってなんとかできるかもしれないとのこと。その言葉を信じて、この日の活動はこれまでとする。


レンタカーでやっと帰宅

 翌朝、電話をかけてみると、なんとか1台確保できたとのこと。昼頃に近くのレンタカー会社に行って借りることができた。1500ccの小型乗用車だった。料金はというと何と約5万円。基本料金(24時間)は9千円なのだが、乗り捨て料金として3万8千円がかかる。これに消費税もかかるので5万円近くになってしまう。
 これに高速料金と燃料費を加えると6万円をこしてしまう。それでもこれしか帰る方法がないので仕方がない。午後1時頃に東京を出発し、あまり休みもとらずに帰り道を急いだ。車はオートマチック車で、乗り慣れていない私には、ちょっと辛い(慣れるとかえって楽なのだが)
 ワゴン車だと広い室内で寝転がったり遊んだりできるのだが、狭い室内だと座っているしかないので、小さな娘もたいくつそうだった。(疲れて寝てしまったが)
 自宅では残った家族が心配して待っているので、なるべく遅くない時間に帰りたいと思って頑張ったので、夜の9時少し前には帰宅することができた。(東北自動車道で渋滞がなかったのが幸いだった)
 いろいろとトラブルはあったが、なんとか当初の予定の通りに8月9日に帰宅できた。
 ずいぶんと出費がかさみ、疲れた旅行だった。


大内町の洪水

 ちょうど私たちが車の故障で難儀していた7日、秋田県では大雨でたくさんの被害が出ていた。特に私の勤務校がある大内町岩谷地区では40年ぶりという大洪水に見まわれていた。
 大内町は昨年も30年ぶりという洪水があり大きな被害を受けたが、今回はそれ以上の洪水だったようだ。
 下の写真は昨年(平成9年9月)の洪水の時の写真だが、今回はそれよりも45cm上まで水があがったという。
これは昨年の洪水の様子。今年はこれより45cmも上まで水があがった。

 当日の朝早く、校長先生は学校に駆けつけたそうだが、学校につながる道は全て水没しており、胸まで水に浸かって歩いて行ったとのことだ。泥水と汚水の混じった水に浸かって、衣服はいくら洗っても臭くて大変だったそうだ。(不在にしていてすみませんでした。被害にあわれた皆様、心からお見舞い申し上げます)


考えてみれば

 大変なことが続き、私もかなり参ってしまったが、考えてみれば、かなり幸運な部分もあったと思う。特に車の故障に関しては、首都高速が渋滞していたことが幸いした。もし100km近いスピードで走っているときにエンジンが急停止したらと思うとぞっとする。後続車を避けることができず命を失っていたかもしれない。(もしそうなったら車検を担当した業者も大変なことになっていたろう)
 高速道路の緊急電話を使ったり、首都高速をロープで牽引されて走るなどという体験も、誰でもできるというものではない。レンタカーのこともこの体験でずいぶんと分かった。
 新しく学んだことが多かったという点では貴重な体験をしたと言えるだろう。予想外の出費があり、車も1台なくなるという災難ではあったが、自分自身は病気も怪我もせず、無事に家族全員揃うことができたというありがたさもしみじみと感じることができた。
 学校の児童の死亡事故だけは、取り返しのつなかい結果になってしまったが、この犠牲を無駄にせず、これからの生活の安全に生かしていくことが私たちのつとめだと考える。
 私自身のことを振り返ってみると、うちの娘には飛び出しをしないようにしつこいほど注意するように(実際に手を引っ張って)なったし、自分が車を運転する場合、市街地を通るときには、飛び出し等に対応できるように、危険を予測した運転を心がけるようになった。



 長くて面白味のない文章で恐縮だが、もし最後までこの文章を読んでくださった方は、交通事故の防止にじゅうぶん注意をはらっていただきたい。


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