ダンシン・ウイズ・ノストラダムス  





山羊の頭のスープ





昭和48年(1973)は、私にとってかなり奇妙な年であった。





 その年のはじめ、私は高校3年生だった。大学受験も間近に迫ったその頃、ローリング・ストーンズが初の来日公演をするはずだった。田舎に住んでおり、受験生でもある私は、当然、それを観に行くことはできなかったのだが、高校時代のバンド仲間で、就職が決まっていた友人は、コンサートのチケットを手に入れ、憧れのストーンズを観に行くと張り切っていた。

 コンサート直前になり、ミックのドラッグ歴のため入国許可が降りず、公演が中止になったことは、ご存じの通り(?)だが、その友人はチケットの払い戻しをしないで、今でも大事に取っているそうだ。(ストーンズ・ファンの大半はそうしたのではないだろうか)

 4月、大学に進学する。落ちない程度に楽な地元の大学をという、いつもの私のパターンで、お気楽な学生生活をスタートさせて間もない8月の末、ストーンズはアルバム「山羊の頭のスープ」(GOATS HEAD SOUP)をリリースした。

 「スティッキー・フィンガース」「メインストリートのならず者」という傑作のあとに出されたこの「山羊の頭のスープ」は、「悲しみのアンジー」という名曲は入っていたものの、他にはそれほど際だった曲もなく(せいぜい「スター・スター」ぐらいか)、翌年に出された最高傑作「イッツ・オンリー・ロックンロール」の印象が強いこともあって、ストーンズのアルバムの中では目立たない部類に入る。

 LPのジャケット写真の綺麗なミックの顔と、中に入っていたタイトル通りの「スープ鍋に入れられた山羊の頭部」の絵が話題を呼び、「ストーンズはこのアルバムの中で魔術的なものとの関わりを表現しているのではないか」などという噂も流れたりした。

 私が一番好きだったのは、アルバム冒頭の「ダンシング・ウイズ・ミスターD」という曲だった。この「ミスターD」というのは「DEVIL・DEMON・DEATH」などを暗示している。日本語に訳すと「死に神と踊る」ということにでもなろうか。





 そして、この年の暮れに、五島勉(ごとうべん)著の「ノストラダムスの大予言」の初版本が、祥伝社から発行された。




ノストラダムスの肖像





 怪奇現象や超常現象などについての話が好きだった私は、たしかその手の雑誌(学研の「ムー」だったと思う)で、最初にノストラダムスの予言のことを知った。

 それによると、1503年、裕福な家庭に生まれたユダヤ系のフランス人医師ノストラダムスは数奇な一生を送り、その中で「諸世紀」という予言書を書き残す。

 その中で彼は、400年後に起こる第二次世界大戦について、ヒトラーの出現や原爆投下による日本の敗戦まで予言していたという。

 そして、(昭和48年)当時、一番話題になったのが、「諸世紀 第10巻 72番」の例の予言であった。



1999年 7の月
恐怖の大王が空から降ってくるだろう
アンゴルモワの大王を蘇らせるために
その前後の期間 マルスは幸福の名のもとに支配するだろう




 それを読んだ私は、怖ろしさに震え上がった。そんなに凄い予言者がはっきりと言ったことなら、必ず的中するのだろう。1999年といえば、あと25年(当時)。どんな恐ろしい恐怖の大王が空からやってくるのだろうか?宇宙人の侵略か、第3次世界大戦での核戦争か‥‥‥

「ノストラダムスの大予言」の著者、五島勉氏は次の6つの説をあげている。

 1 世界戦争の大空襲説
 2 大陸間核ミサイル説
 3 人工衛星説
 4 彗星激突説
 5 宇宙人襲来説
 6 超光化学スモッグ説
 (25年前の五島氏自身は、6の可能性が強いのではないかという意見)

 どれにしても実際に起きそうな気がした。そしてそれぞれによる破滅の様子を思い浮かべて身震いをしたのだが、考えてみれば予言が現実になるとしても、まだ25年もある。今日・明日に起こることではないのだから、それを心配して眠れなくなってもしょうがない‥‥‥。と私流の楽天的考え方に逃げ込んでしまううちに、恐怖心も次第に薄らいでいった。




 日本人全体が私のようだったのかも知れないし、ノストラダムスの予言をインチキ扱いする学者が多かったせいかもしれないが、一時のブーム(騒ぎ)が過ぎると、あまりノストラダムスのことはマスコミで取り上げられなくなった。(ときどき怪奇番組の1コーナーで出てくる程度だった。パソコンのソフトの名には出てきたが^^;)

 しかし(この文章を書いている現在)、1998年も7月になり、ノストラダムスの予言の「人類滅亡の日」まで、あと1年を切った。いまのところマスコミではあまり取り上げてはいないが、そのうちにまた大きな騒ぎが起きてくるだろう。

 そのときに不用意にデマや流言に乗せられて騒いではいけないと考え、いろいろな資料などを調べ、私なりの結論を出してみた。以下に述べるのが、私の考えである。




予言というよりは解釈である

 調べてみて驚いた。ノストラダムスの予言書「諸世紀」(この書名自体、五島氏の造語だということだ)は何と1200編の四行詩からなる膨大なものであった。100編ずつの詩を集めたものが12巻あるのだ。実際には現存しているものではかなりの詩が欠落している巻が2つあるので、伝えられている詩は1000編あまりだが、それにしても多い。

 そして、ノストラダムス研究者たちは、「これはあの事件を暗示しているようだ」という詩を血眼で探し出し、こじつけにも近い解釈をつけるという作業をするのである。2つほど例を挙げよう。

(第4巻68編)
  その日はビーナスの近くにいずれ来なければならない
  アジアとアフリカのもっとも巨大なもの
  それらはラインとヒスターから来たものと呼ばれるだろう
  叫びと涙はマルタを覆い、そしてリキュストの海辺を覆うことだろう

 これがヒトラーに関することなのだそうだ。ビーナスは金星を意味し、その近くに位置するのはマルス(火星)で、これが戦争を意味するので、「その日」というのは世界大戦を表す。さらにヒスターという言葉はヒトラーを暗示するというのだ。確かに解説を詳しく読むとそんな気にもなってくるのだが、ノストラダムスが実際に書いたのは上に掲げた四行詩だけなのだ。
 これだったら「百人一首」の「ちはやぶる神代もきかず竜田川、から紅に水くくるとは」という歌が、「第二次大戦における中華人民共和国の成立と日本の敗北」を予言しているといってもおかしくないだろう。

 最近のできごとの予言の例には次のようなものもある。

(第2巻28編)
  予言者の別名のペニュルティエームが
  その日のため また休息のためディアーヌを取るだろう
  彼女は熱狂する頭のせいで遠くをさまよい
  大きな国民を重い負担から救う

 これがダイアナ妃の死を予言し、その時期までをはっきりと示し、背後に国際的な陰謀があったことまでも予言していたというのだが、これを一読した人がそれを理解できるだろうか?

 現在、当たっているといわれるノストラダムスの予言は、ほとんどこんなものである。もし予言の数が数十しかなく、それらの全てが何かの大事件に結びつくのであれば信憑性もあるが、予言の数は千以上もあるのである。前述したようなこじつけ的手法で探せば何かの事件に関係のありそうな詩が1つ2つ見つかるのは当然である。

 私の好きな競馬でも、語呂合わせのようなこじつけでレースの結果を分析する「タカモト式予想」(高本氏は既に亡くなったが)というのがあり、それはそれで話のタネとしては面白かった。ただタカモト式の場合も、ほとんどはレースが終わって結果が出てからこじつけをするのであり、その点ではノストラダムスの予言(というよりは研究者の解釈)と変わりがない。こじつけがストレートで分かりやすいという点ではタカモト式の方がはるかにすぐれて(?)いる。



年表型の予言ではない

 ここまで読んで気がつかれた方もいるだろうが、ノストラダムスの予言集である「諸世紀」の何巻の何編目という順序は、その予言にあたる事件の時間的順序とは全く関係がない。これは意味のあいまいな四行詩を羅列しているというこの本の性質から見れば当然のことであろう。それらの詩の中で事件に結びつくようなものを無理矢理探しだして、事件と関係づけているのだから、時間の順序の整合性がとれるわけがない。

 このことについては、「ノストラダムスは特殊な能力によって、時間を超えた四次元的な目で未来を見ることができたので、彼の意識の中では時間の前後は関係ない」とする研究者もいるが、だとしたら「○○年にこんなことが起きる」という予言ができないことになる。

 ほとんどの予言は時代を明確にしないで行われている。いくつかの例外として、時間を指し示すような予言があり、その中の一つとして前述した「1999年7の月」の予言があるのだが、研究者の研究でも、時間を明示した予言は外れていることが多い。


1999年7月に恐怖の大王は来ない


 このようなことから、予言どおりに1999年7月に人類を滅亡させるような大事件が起きるとは考えにくい。五島氏は、ノストラダムスがフランス語の「7月」(juillet)という言葉を使わず、「7ヶ月」ともとれるような(sept mois)という語を使っていることから、「1999年と7ヶ月と理解すれば、2000年の7月に滅亡の日が来るとも解釈できる」としたり、「太陽暦の採用の背景などから読み替えると西暦3324年と解釈することもできる」などとも書いているが、いずれにしても、予言にある具体的な時間の表記が当たる可能性は極めて低いのだから、「人類滅亡まであと○ヶ月」などと騒ぐのはばかげていると思う。

 五島氏の最新版の本を見ても、ノストラダムスはキリスト教の体系の中に組み入れられている人物のようだ。彼自身はそう意識していないのかもしれないが、その後の扱われ方は、はっきり神の預言者としてのものである。したがって1999年という表現は中世キリスト教の終末思想そのものから来ていると考えたほうがよいだろう。

 (実際には4年ずれているのだが)西暦がキリストの誕生を紀元としているのだから、その大きな区切りである2000年のあたりに終末があるとするのは比較的安易な発想である。もっともキリスト教に直接関係のない人々には無縁なのであるが。(実際、太平洋戦争中の日本では、紀元を神武天皇に求めて「紀元2600年説」を唱えた例もある。もっともこれもかなりひどいこじつけではあったが)


しかし予言は嘘ではない

 では完全に安心してよいのかというとそんなことはない。時間のことはともかく、ノストラダムスの予言の中で現代の世界の様子を言い当てていると思われるものはかなりの数になる。

 車社会のこと、空を飛ぶ乗り物の出現、環境の汚染や奇形の生物の大量出現など‥‥‥

 日本では戦国時代だった頃に、現代の様子に近い物を言い当てたのだから凄い予言だといえなくもないが、基本的には自分の時代にはとうてい実現しそうもない夢のようなものが将来は現実となるということを言えばいいのだから、これも「人間にはできない神業」というほどのものではない。例えば今、私が「頭に思い描いたものが物質化する道具が各家庭に行き渡る」と予言(?)したとしても、いつの時代にかそれは現実のものとなるだろう。

 昭和48年発行の「ノストラダムスの大予言」に書かれたようなことが、ここ数年、次々と現実になって来ている。ノストラダムスが16世紀にこれらの具体例を書いたわけではなく、五島勉氏が自分なりの解釈で書いたものなので、実際にはノストラダムスの予言に触発されて近未来を予測したということなので、正確には五島氏の見方が間違っていなかったということになるのだろう。

 五島氏自身は、「当時は予想もしえなかった事実が現実の物になってきている」と書いているが、昭和48年頃には既に公害や光化学スモッグなどが多発していたのだから、五島氏が超人的な予想をしたというよりは、当時も悪化する一方だった環境汚染を「恐怖の大王」と結びつけて考えたということで、特に驚くべきことではない。


人類滅亡の兆候


 五島氏は最新作「ノストラダムスの大予言・最終解答編」の中で「恐怖の大王」として考えられるものに次のようなものをあげている。

 ○ オゾン・ホールの発生と拡大
 ○ 二酸化炭素やメタンによる地球温暖化
 ○ 土星探査衛星「カッシーニ」のミスによる大規模な地球核汚染
 ○ ダイオキシン
 ○ 環境ホルモン
 ○ インド・パキスタン核実験による核戦争への不安の再燃

 ※ 初版本を書いた頃の五島氏は、これらによる複合汚染を「恐怖の大王」と
   考え、つい最近まではずっとそう考えていたようだが、「恐怖の大王」と
   いう単語が単数型になっていることにこだわっていたところ、今年になっ
   てノストラダムス本人からの口伝を継承するという謎の組織と接触し、空
   から降ってくる「恐怖の大王」の正体が、実は「キリストの再臨」である
   ということを知らされた、というのが最新作の概要だが、かなり荒唐無稽
   な感もあり、私としては、ここにあげたものを「恐怖の大王」の正体と考
   えたい。

 五島氏があげた他にも、人類の滅亡を予感させるような事態は次々と起きて来ている。思いつくものを列挙してみよう。

 □ エイズ
 □ エルニーニョ
 □ 経済恐慌
 □ オウムのような世紀末的宗教団体の出現
 □ 切れる子供たちの増加
 □ 多発する大地震
 □ エネルギー危機
 □ 人口爆発

 最後の「人口爆発」とは逆の事態だが、「結婚しない人の増加」「子供を作らない夫婦の増加」「生殖機能の低下」なども最近の傾向としてあげられている。

 どれを見ても、このままだと人類は滅亡すると考えられる問題ばかりである。それが1999年に起こるとは考えにくいが、このままで行ったら「人類は1000年後も存在する」と考える人はほとんどいないだろう。

 ノストラダムスの予言がどうのこうのという問題ではなく、人類が破滅への道を転がり落ちていることは否定しようのない事実であるようだ。


地球がひとつの生命体なら

 宇宙全体から見れば、地球そのものがひとつの命であるとも言えるだろう。すると人間は何になるのだろう。

 「人類は地球のガン細胞である」と私は思う。

 45億年をこえる地球の歴史からみると、人類の歴史などというのは、ほんの一瞬にすぎないということは誰もが知っていると思う。しかし、人類が出現してから、地球の環境は急激に悪くなっている。

 もっと極論すれば、人間は、ここ数十年の間だけで、地球の環境を破壊しつくしている。しかも最近になってその破壊は加速度的に増大している。

 地球にとって良いことなどは何ひとつしていない。全て自分たちのためだけに、他の生命を奪い、環境を壊して生きている。これがガン細胞でなくて何であろうか。

 もし、地球がひとつの生命体なら、自らの命を守るために何をするだろうか。人間のガンの場合は、それを摘出する。あるいはレーザーや放射線で消滅させる。

 地球という生命体に意志があるのなら(それを神の意志というのかもしれない。もちろん人間が作り出した人間のためのちっぽけな神ではなく、宇宙の調和という、より大きな神になるのだろうが)、人類は抹殺されるべき存在である。このまま人間の存在を許したら地球そのものが滅亡してしまうだろう。

 自業自得というかたちになるのか、あるいは人間の知恵をはるかにこえたかたちで現れるのかはわからないが、近い将来、人類は滅亡するだろう。このままでいったら‥‥‥。


ダンシン・ウイズ・ノストラダムス

 これまで述べたように、1999年に人類が滅亡することはないだろうが、滅亡の日は近いだろう。

 といっても、今生きている人間がそれほど悲観することはない。仮に100年先に滅亡があるとしても、その日まで生きていられる人間は今のところほとんどいないのだから(^^;)

 ただ、このままの生活を続けて行ったら、孫か曾孫あたりの私たちの子孫には大いに恨まれるだろうが‥‥‥

 もっとも子孫がいるのかどうかも確かではない。私が描く人類の終末のイメージは、空からの核爆弾の襲来でもなく、呼吸ができなくなるような大気の汚染でもない。子供が1人も生まれなくなり、やがて人口が減って、すっかりきれいになった澄み切った星空をあおぎながら、人類最後の1人となった老人が静かに息をひきとるのが、人類滅亡の未来図ではないだろうか。


 話が横道にそれてしまったが、1999年、「恐怖の大王」の年、いくらかのパニックが起きるかもしれない。これまで述べたように余計な心配をすることはないと思うのだが、この機会に人類のしてきた過ち、具体的には環境汚染のことについて改めて考えてみるのは良いことかと思う。

 いずれどこかで、きちんと考えなければならない問題である。過去に「国際環境年」もあったが、たいした成果はあがらなかった。ノストラダムスの怖ろしい予言に乗せられて、踊ってみるのも一興かと思う。ノストラダムスの真意はそこにあったのかもしれないし‥‥‥(^^;)


 おそれてノイローゼになることはない。死に神ともダンスをするストーンズのように、お気楽に、かつ真面目に、人類の滅亡と向き合ってみようではないか。


 昨年、発表されたストーンズの最新アルバムが「ブリッジ・トゥ・バビロン」というのも何やら暗示的ではある。




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