学級が行き詰まったときには
新人教師、ベテラン教師の別なく、学級経営が行き詰まった感じがするときがある。
例えば次のようなときである。(ほとんど私の体験だが)
学級に特定の児童に対するいじめがあるようだが、いじめている子供たちの実態を把握できない。
悪口の落書きや、物隠しなど悪質なイタズラがあり、やっている子供の予想はつくが、はっきりとした証拠をつかめない。
学級がいくつかのグループに分かれ、反目し合っている。
自分(担任)に反抗的な子供がいて、その子との心の通いあいができない。
こんなとき、若い熱心な教師ほど、学級のみんなの問題として、これを話し合いや共通理解によって解決したがる。
必要以上に「道徳」や「学級会」と称する時間を設定して、訓話めいたことを話したり、いじめ等の実態を知るために学級を自習にさせたまま、個々の子供との面談を行ったりする。
ところが、教師が、子供の前で問題解決のために努力すれば努力するほど、学級は重苦しい雰囲気になり、学習に集中できなくなるなど逆効果になってしまうことが多いようだ。
(私の体験ではそうであった)
10年近く前、まだ私が少々若かった頃、勤務校(地域の大規模校であった)にいた先輩の先生が次のようなことを言っていたのを聞いたことがある。
学級がうまくいかないと思ったとき、難しい顔をして悩んでいても何も解決するもんじゃない。そんなときは、思い切って授業をやめて、2時間でも3時間でも子供たちを連れて散歩に行ってみるといいよ。

直接、私に言われた言葉ではなく、職員室で偶然、聞き耳を立てていたときに聞いた言葉であったが「なるほど!そうか」と思った。
当時勤務していたT小学校の近くには、「となりのトトロ」か宮沢賢治の童話にでも出てきそうな森の中の小径(こみち)があった。そこに入るためには一度やぶをくぐらないといけない道なので、あまり通る人もいなかったのだが、その小径を通ると市営競技場への近道になっている。前述した先生の話を聞いてから、私は何度かその小径を利用させてもらった。
木漏れ陽の色まで緑色のようなその小径を隊列などおかまいなしに気ままに歩くとき、子供たちの顔は、小学校の高学年であっても幼児のように輝く。市営競技場についたら、その近くの森や競技場の駐車場で「おいかけっこ」「フルーツバスケット」など幼稚園児のようなゲームをする。そしてまた小径を通って教室に帰って来る。(校長先生には事情を話して許可を得ておかないといけないが)
これだけで学級の問題が根本的に解決するわけではない。しかし、私の体験では、このことをやると学級の雰囲気が良い方向に向かうことも多かったように思う。少なくても自分自身が学級の子供たちを大切にしたいという気持ちは強くなるように思う。
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