親友と道徳規範



 「友人」と呼べる人はけっこういるが、「親友」となると、それほど多いわけではない。私の場合は大学や高校の時代にともに何かを求めて活動し、時間を共有した人間ということになるだろう。

 それから20年もたち、なかなか会う機会もないが、たまに会って話をすると、けっこういろんなかたちで頑張っているヤツがいる。

 中年まっただ中という年代になっても、いまだに若い連中といっしょにスポーツに熱中していたり、まだ現役でバンドをやっていたり、近年になって新しいことに挑戦していたり、仕事面でも企画の中心になって頑張っている姿を見ると、「俺も頑張らなきゃ!」という気持ちになってくる。

 私はもともと、あまり他の人から教訓めいたことを言われるのが好きなタイプではない。教頭になったが、いろんな研修会などで、「教頭は、自分の時間を犠牲にしても、他の職員や学校のために率先して頑張らねばならない!」みたいなことを言われると、確かにそれが正論なのは分かっていても、「おいおい、勘弁してヨ」みたいな気持ちになってしまう。

 ところが、親友が頑張っている姿を見ると、割と素直に「俺もやれるだけは頑張ってみなきゃな」という気持ちになる。

 特に道徳的な教訓など言わなくても、その存在そのものが、素直に頑張る気持ちの源になってくれる、それが親友のありがたいところである。



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