そのままそのまま秋田県
少し前のことになるが、秋田公立美術工芸短期大学学長の石川好(よしみ)氏の講演を聴く機会があった。
ご存じの方も多いかと思うが、石川氏は「カリフォルニアストーリー」「ストロベリーロード」等の著書で知られる作家・評論家で、テレビのトーク番組等でも活躍している方だが、2001年4月より同短期大学学長として秋田に招かれている。
学長の影響もあるのだろうが、同短大では各種デザインコンクールに入賞する学生がたくさん出るなど、優秀な実績で注目されている。
さて、「私に見えた秋田の県民意識」と題した講演は、ひとことでいうと「秋田県民は待ちの姿勢が強い。これを変えるには外部の人材等を活用すればよい」というものであった。
これだけだとわかりにくいので、講演で印象に残っている部分を書いてみる。
秋田県民の「待ちの姿勢」のもと
秋田ほど四季がはっきりしているところはないだろう。春になれば桜が咲き、夏は暑く、秋は豊かな実りがあり、冬は深い雪につつまれる。この変化はだまってまっていてもやってくる。人間が何もはたらきかけなくても自然がひとりで変化していくのである。(日本のほとんどの地方は四季がはっきりしているが、秋田は特にそうである)
待っていれば変化するので、物事を変えていこうという迫力のある人間が育ちにくい。
基幹産業が稲作というのも待ちの姿勢のもとになっている。「コメづくり」は国がコントロールしている官制産業の最たるもの。人任せで管理されている。
長野県と比較してみると面白い。長野の農業はコメを主とせず、自分たちが工夫して作り上げている。そういう面で国の呪縛から解放されている。長野では精密機械産業などが発達し、官制でない産業が発達しているし、学校教育を見ても私立が多かったりする。秋田は企業でも学校でも「私立」的なものがとても弱い。
構造を変えるには外部の人材が必要
構造改革とは、その時代をつくっている資源を移行することである。例えば石炭から石油にかわるのもそうである。秋田は構造が変わらない上に成り立っているようなもので、構造を変えにくい県である。
内部にいる人間は変化を起こせない。しがらみが多すぎるからである。ニッサンがゴーン社長になって成功したのも、ゴーン氏の力もあるだろうが、それよりもゴーン氏が日本人のしがらみを気にしなくてもよいということが大きかったのではないか。
外部の人を入れると大きな変化が起きるのだが、その人材をどうやって外から引っ張ってくるか。高校や大学を卒業して他県から来る人間を受け入れる土壌が秋田にはない。
高等教育機関に力を入れなかった秋田県
日本の都道府県を「勝ち組・負け組」に分けると、秋田は負け組に入る。
負け組の地方に共通するのは、大学等の高等教育機関に力を入れてこなかったことである。
季節はずれの風を吹かせること
構造が変わらないということの上に成り立っている秋田県。何をやっても後手後手になる。これを変えていくには外部の人材等の「季節はずれの風が吹く」しかない。
以上が講演要旨である。
「なるほど」と頷ける部分も多かった。
例えば「高等教育機関に力を入れなかったので負け組になった」というところ。
たしかに旧帝大などはなく、国立大も教員養成系・工学系・医学系がいっしょになった秋田大学だけである。その他の私大や公立大もあるが、いずれにしても秋田県内の人間の受け皿としての役割のほうが大きく、秋田県内の大学にわざわざ県外からやってくるという学生は少ない。
秋田県では高校を卒業すると多くの生徒は県外の大学に進学し、県内の大学に残るのはわずかであり、更に県外からやってくる学生はそれよりもはるかに少ないというのが現状である。
外部から人材を入れるといっても、大学にさえ外部からやってくる人間が少ない(石川氏の秋田公立美術工芸短期大学は県外から多彩な人材がやってきて活躍しているという点で異色である)
学生街にいろいろな地方からやってきた人間があふれるということになれば、街も活性化するのだろうが、秋田はそうではない。また、数少ない県外からの学生が、大学卒業後に秋田に残ろうと思っても、それを受け入れる職場もほとんどない。秋田県出身者が県外(あるいは県内でも)の大学を卒業して、秋田県で働きたいと思っても、それを受け入れることもできないのが実情なのだ。
これでは「全国的に見たら負け組に入る」と言われてもしょうがないだろう。
しかし、「外部から人材を入れて、秋田県の構造を変えなければいけない」と言われると、私としては「そうでもないんじゃないのかな‥‥」と思ってしまう。
もともとの秋田県人には、私のような感覚の人も多いのかもしれない。その証拠と言えるかどうかわからないが(^^;)次のような観光CMがある。

秋田県内だけでなく全国向けにも発信している観光キャンペーンなので、ご覧になった方もいるかもしれない。(こちらのサイトでも画像や動画を見ることができます)
四季がはっきりしているので「待ちの姿勢」になると言われる秋田の気候であるが、秋田に住む人間はその四季の変化を楽しんでいる。
一年中、雪に埋もれる地域とか、あるいは常に猛暑の地域などは、よりよい生活環境を得るために、積極的に自然に働きかけるから、「攻めの姿勢」が育つのだろうが、秋田では深い雪の中でもやがて暖かな春がやって来ることを楽しみに、つらい除雪作業にも耐えることができる。そして迎える春は、雪のない地方の人には味わえない感動がある。
「待ちの姿勢が強い県民」と言われても、私たちはそれなりに四季折々の自然の変化を愛している。(つらい時期もあるが)
そういう生活をあえて変えなくてもいいと思っているし、上の環境キャンペーンのフレーズのように「ま、ま、そのまま、そのまま」という感じなのである。
今、変化の時代と言われるが、わが県でも市町村合併に向けての動きが活発になってきた。「市町村合併特例法」の期限が平成17年3月までということで、それに間に合わせるように急いでいるのだが、個人的にはそんなにあわてなくても「ま、ま、そのまま、そのまま」という気もする。
市町村合併は国が音頭をとって進めているわけだし、県もそれにあわせて様々なはたらきかけをしているのだが、日本全体としては大きな行財政改革となり、国の財政たてなおしのための有効策ではあっても、田舎に住む人間には「無理矢理合併させられる」という感じもする。
過疎化がどんどん進み(負け組なのでしょうがないかぁ)このままでは町村としての機能も果たせなくなるのはたしかなので、いずれは近隣の町村との合併もやむを得ないとは思うのだが、自分が生まれ育った「まち」がなくなってしまうというのは嬉しいものではない。
そういう心情も配慮して、地域の住民が十分に話し合いを深めた上で合併をすることには反対ではないのだが、そのためには時間がかかる。期限を定めて「ここまでのうちに合併しないと、遅れたところは大変なことになるぞ」というやり方には(私のように素直でない人間は)反発を感じてしまう。
外部からほとんど人がやって来ないような「負け組」の田舎でも、自分としてはそれなりに気に入ってそこで生きている。「日本一の田舎」でもいいような気がする。観光キャッチフレーズだけでなく「ま、ま、そのまま、そのまま秋田県」でもいいのではないだろうか(^^;)
実はこの文章、うんちく講座No.213「しあわせと学力」の内容と矛盾する。「しあわせと学力」の中で私は「秋田県を5つか6つの市に合併して‥‥」と述べているのである。本質的には合併に賛成な私が、ここで「今はそのままでいい」と思っているのは、「国の命令でなかば強制的に○○させられる」ということが好きじゃないせいだろう(^^;)
<02.06.14>
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