修礼その



 前に、この「オラホだけかな」のNo.2「修礼」でも書いたが、卒業式・始業式などの儀式の際の開始と終了で行う「修礼」(しゅうれい)は、全国共通の言葉ではないらしい。それについて、いろいろなホームページの掲示板や、メール等で調べたりしたところ、次のようなことがわかった。

地域分布
 右の地図が、現在わかっている「修礼」という言葉が通用する地域の分布図である。

 まだ情報が不足なために確かな傾向をつかむことはできないが、どうやら「修礼」使用圏は、北海道・東北と関東の一部のようである。

 「修礼と言わない」地域では、「一同礼」と呼ぶのが一般的なようである。中には「典礼」とか「一同敬礼」「一統敬礼」という地域もあった。

※ なお、この分布図は情報が入り次第、随時更新予定


歴史的背景
 秋田県関係の教育資料しか手もとに
なかったので、資料不足かもしれない
が、次のようなことがわかった。

 明治の頃の秋田県教育界の大きな節
目は次の4つである。

○学制頒布(明治5年9月)
  ここで、学校が発足した。

○第一次教育令公布(明治12年)
  制度が整備される。

○教育勅語下布(明治23年10月)
  これにともない翌24年に小學校
 祝日大祭日儀式規程を文部省が制定
 秋田県でもこれを受けたかたちで県
 令を出している。右中央→参照
  しかし、ここでは修礼の表記なし

○小学校令改正(明治33年8月)
  これによって学校制度は一応整備
 されたことになる。これと一緒に、
 小学校令施行規則も出され、具体的
 な方法についての指導も徹底される

 秋田県の場合、明治33年に県令と
して、儀式の挙行順序が出され、その
第2条、第3条として、開校式と御真
影拝戴式の順序が示され、この中に初
めて「修禮(修礼)」という表記が登
場する。右端→参照
小学校祝日大祭日儀式の次第
   明治25年3月25日(県令全書)

○秋田縣令第18號
明治24年6月文部省令第4號小學校祝日
大祭日儀式規程第8條ニ依リ小學校祝日大
祭日ノ儀式ニ關スル次第左ノ通相定ム
        秋田縣知事 廣瀬進一

第1條 小學校祝日大祭日儀式規程第1條
    ノ儀式ヲ行フ次第左ノ如シ
 1 當日午前十時學校長教員及生徒其他
   市町村長學務委員等一同式場ニ参集
 2 學校長儀式ノ執行ヲ報ス
 3 唱歌(合唱中一同直立)
    但唱歌ヲ置カサル小學校ニ於テハ
    之ヲ省ク以下同シ
 4 儀式ヲ執行ス
    (勅語奉讀中一同最敬禮)
 5 唱歌(合唱中一同直立)
 6 學校長式ノ終ルヲ報ス
 7 退場

第2條 儀式規程第2條第3條ニ儀式ヲ行
    フ次第左ノ如シ
 (以下、省略)

小學校の儀式挙行順序
  明治33年2月9日(県令全書)

○秋田縣令第6號
小學校儀式挙行順序ヲ左ノ通相定メ明
治25年3月本縣令第18號ヲ廢止ス
    秋田縣知事 武田千代三郎

第1條 明治24年6月文部省令第4
    號ノ儀式ヲ挙行スル順序左ノ
    如シ
  ※ 左の第1條と同じ内容なので
    省略

第2條 小學校開校式擧行順序左ノ如
    シ
 1 着席
 2 修禮
 3 市町村長儀式ノ擧行ヲ告グ
 4 唱歌
 5 勅語奉讀(一同起立)
 6 式辭(詳細省略)
 7 唱歌
 8 市町村長儀式ノ終了ヲ告グ
 9 修禮
 10 退席

第3條 御眞影拝戴式擧行順序左ノ如
    シ
  ※ 以下、第2條と同じような内
    容。その中に修禮の表記あり


 これで一件落着かと思ったが、よく見てみると、秋田県で儀式挙行順序を改訂したのが、明治33年の2月。全国的に小学校令が改訂されたのが明治33年8月だから、秋田県の改訂は、小学校令改訂前ということになってしまう。

 もっと調べてみると、明治32年6月に、全国的に「視学官・視学・郡視学」を設置しているので、秋田県の明治33年2月の改訂は、県に新しく配置された視学などが独自に行ったものだということも考えられる。

 この時点で、修礼の誕生は、全国的な基準(文部省令等)によるものという線は柔くなる弱くなる。仮に、全国的に「修礼」という言葉が広まり、戦後の改革などで、その言葉の使用を禁じた地区があるというように考えた場合、それであれば、現在も修礼と言っている地域が、全国に散在するはずで、前に書いた全国分布の結果とは合わない。

 やはり、秋田県の教育界を指導する立場の人間(視学か?)が独自に儀式挙行順序を作成したと考えるのが自然ではないだろうか。北海道・東北や関東の一部で共通して修礼を使っているのは、近隣県の視学が、なんらかの方法で連絡を取り合ったとか、どこかの県のものを参考にして作ったとかいうのが原因かと思われる。


もとになった言葉は?

 では、「修礼」という言葉は、何をもとに作られたのだろうか?

 私に寄せられた情報や、辞書を調べた結果によると、次のようなものが考えられる。

○日本国語大辞典(小学館)によると

習礼(しゅうらい)
1.儀式の行われる前に、係りの役人などがその礼式を予行すること。大儀の練習をすること。→しゅらい
2.礼儀作法をならうこと。しゅうれい。
習礼(しゅらい)
仏語。法令の儀式作法を予習すること。それぞれの役分による衆僧の進退や梵唄(ぼんばい)などを練習すること。→しゅうらい
修礼(しゅらい)
儀式などの予行練習をすること。下稽古をすること。


○広辞苑(岩波書店)によると

習礼(しゅうらい)
大儀の前に、その礼式を予行練習すること。
修礼(しゅらい)
儀式などの下稽古。


 習礼、修礼どちらも似たような意味だが、ここらへんの言葉を転用するかたちで、儀式の際に使うようになったのではないだろうか。ただ、どちらにしてもリハーサルという意味なので、儀式の最初に行うのはうなづけるにしても、終わったあとにやるのは、どういったものだろうか。

 リハーサルだとすると、何のリハーサル?ということになるが、当時の儀式では、教育勅語の奉読や、御真影拝戴の際には最敬礼をすることになっていたようなので、その練習の意味もあったのかもしれない。ただ、終わったあとにもう一度やるのは、やはりおかしい。

 いずれにせよ、秋田県か、その近隣の県の、当時の教育界の指導的立場の人が、考え出したものが、東日本に広まり、スタンダードになっていったのではないかと考える。「修礼」という言葉自体は、作った人の勘違いか、もともとの「修礼」とは別の意味を持たせた、その人の造語であろう。

 とりあえず出した私の結論はこんなところだが、もっと奥の深い事実があるのかもしれない。この件に関しては、引き続き情報の提供をお願いしたい。



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