秋田県関係の教育資料しか手もとに なかったので、資料不足かもしれない が、次のようなことがわかった。 明治の頃の秋田県教育界の大きな節 目は次の4つである。 ○学制頒布(明治5年9月) ここで、学校が発足した。 ○第一次教育令公布(明治12年) 制度が整備される。 ○教育勅語下布(明治23年10月) これにともない翌24年に小學校 祝日大祭日儀式規程を文部省が制定 秋田県でもこれを受けたかたちで県 令を出している。右中央→参照 しかし、ここでは修礼の表記なし ○小学校令改正(明治33年8月) これによって学校制度は一応整備 されたことになる。これと一緒に、 小学校令施行規則も出され、具体的 な方法についての指導も徹底される 秋田県の場合、明治33年に県令と して、儀式の挙行順序が出され、その 第2条、第3条として、開校式と御真 影拝戴式の順序が示され、この中に初 めて「修禮(修礼)」という表記が登 場する。右端→参照 |
小学校祝日大祭日儀式の次第 明治25年3月25日(県令全書) ○秋田縣令第18號 明治24年6月文部省令第4號小學校祝日 大祭日儀式規程第8條ニ依リ小學校祝日大 祭日ノ儀式ニ關スル次第左ノ通相定ム 秋田縣知事 廣瀬進一 第1條 小學校祝日大祭日儀式規程第1條 ノ儀式ヲ行フ次第左ノ如シ 1 當日午前十時學校長教員及生徒其他 市町村長學務委員等一同式場ニ参集 2 學校長儀式ノ執行ヲ報ス 3 唱歌(合唱中一同直立) 但唱歌ヲ置カサル小學校ニ於テハ 之ヲ省ク以下同シ 4 儀式ヲ執行ス (勅語奉讀中一同最敬禮) 5 唱歌(合唱中一同直立) 6 學校長式ノ終ルヲ報ス 7 退場 第2條 儀式規程第2條第3條ニ儀式ヲ行 フ次第左ノ如シ (以下、省略) |
小學校の儀式挙行順序 明治33年2月9日(県令全書) ○秋田縣令第6號 小學校儀式挙行順序ヲ左ノ通相定メ明 治25年3月本縣令第18號ヲ廢止ス 秋田縣知事 武田千代三郎 第1條 明治24年6月文部省令第4 號ノ儀式ヲ挙行スル順序左ノ 如シ ※ 左の第1條と同じ内容なので 省略 第2條 小學校開校式擧行順序左ノ如 シ 1 着席 2 修禮 3 市町村長儀式ノ擧行ヲ告グ 4 唱歌 5 勅語奉讀(一同起立) 6 式辭(詳細省略) 7 唱歌 8 市町村長儀式ノ終了ヲ告グ 9 修禮 10 退席 第3條 御眞影拝戴式擧行順序左ノ如 シ ※ 以下、第2條と同じような内 容。その中に修禮の表記あり |
○広辞苑(岩波書店)によると
習礼、修礼どちらも似たような意味だが、ここらへんの言葉を転用するかたちで、儀式の際に使うようになったのではないだろうか。ただ、どちらにしてもリハーサルという意味なので、儀式の最初に行うのはうなづけるにしても、終わったあとにやるのは、どういったものだろうか。
リハーサルだとすると、何のリハーサル?ということになるが、当時の儀式では、教育勅語の奉読や、御真影拝戴の際には最敬礼をすることになっていたようなので、その練習の意味もあったのかもしれない。ただ、終わったあとにもう一度やるのは、やはりおかしい。
いずれにせよ、秋田県か、その近隣の県の、当時の教育界の指導的立場の人が、考え出したものが、東日本に広まり、スタンダードになっていったのではないかと考える。「修礼」という言葉自体は、作った人の勘違いか、もともとの「修礼」とは別の意味を持たせた、その人の造語であろう。
とりあえず出した私の結論はこんなところだが、もっと奥の深い事実があるのかもしれない。この件に関しては、引き続き情報の提供をお願いしたい。