しんぺねぐとしょれるまち


 タイトルの「しんぺねぐとしょれるまち」を見て意味がわかる人はいるだろうか?

 実は私の住む町のことである。だいぶ前になるが、私の町の町長さんが町政運営のキャッチフレーズの一つとして掲げたもので「心配なく年寄れる町」つまり老人福祉に力を入れていくことを、この地方の方言で表現したものだ。

 内容そのものには、私ももちろん異論はない。全国にも誇れることである。しかし表現の仕方がなんとも格好悪い。

 どうして方言にする必要があるのだろうか。老人福祉の対象になる人たちが高齢なので「心配なく年寄れる町」という共通語の表現では理解できないとでも思ったのだろうか。だとしたら老人をバカにした話である。もちろんそんなつもりはないだろうから、方言で表現することで親しみやすさをねらったのであろう。

 でも、なんでも方言にすれば親しみやすくなるわけではない。そのためには二つの条件があると私は考える。一つは、ある程度は他の地区の人にも(語感などで)わかること。もう一つは、その言葉を公の場で使うときに嫌悪感や気恥ずかしさを感じないことである。

 残念ながら「しんぺねぐとしょれるまち」は、そのどちらからにもあてはまらないように思う。町民にしてみれば、あまり人前でしゃべってほしくないし、聞いた人も意味がわからないであろう。

 現在、秋田市で県内でも大手の出版社である「無明舎出版」を主催する「あんばいこう」氏が、若い頃にタウン誌のようなものを出していて、私は大学の後輩であったので少々お手伝いをさせてもらったことがある。そのタウン誌の名前が「んだんだ」であった。秋田弁で「そうです、そうです」という意味だが、これなどは格好のいい方の例であると思う。

 ある政治家の方が、若い頃はあざやかな共通語で話していて、いかにも切れ者という印象であったのに、立候補したとたん、みごとなズーズー弁で話すようになったという。公の席の挨拶でもきちっと訛っている。これも地域の(田舎の)住民に親しみをもたれるようにとの配慮なのかもしれないが、媚びているというよりも田舎者をなんだかバカにしているような気もする。

 反面、「日帰り高齢者生活福祉センター」を「デイサービスセンター」という名称にしたり、「公民館」を「コミュニティセンター」と呼んだりとカタカナ用語の濫用も見られる。

 地域のリーダーにもセンスある言語感覚を発揮して欲しいものだ。

 <付記> 99年3月で、町長さんが別の方にかわりました。


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