スポーツ○○?



 体育の日、の地方紙の社説に「躍動する『スポーツ○○(県名が入る)』への道」と題する文章があった。
 文章の前段は、「年齢にかかわらず楽しく身体を動かしスポーツを楽しむ」とか「スポーツを通した活気ある地域づくり」などという文があり、「ふむふむ」と読んでいたが、中段になると「『スポーツ○○』再建のための柱と位置づけられるのは国体に向けた競技力強化と環境整備である」などと論調か変わり、最後は○年後の○○国体に向けて国体の総合成績(天皇杯順位)を上げていこうというようなまとめになっていた。
 あいかわらず頭の古い意見でがっかりした。まあ、それに関しては後半に書くことにして、まずは「オラホだけかな」に合った話題にしよう。
 この社説の筆者は「スポーツ○○の再建」などと張り切っているが、県外の方は「スポーツ○○」(うちの県です)などという言葉を過去に聞いたことがあるだろうか。昔、「スポーツ○○」という言葉が全国的に大流行したのであろうか。私にはそうは思えない。少なくても私が物心ついてからは、そんなことはないから、もしかしたら江戸時代の言葉かもしれない。
 自分たちだけが勝手に「スポーツ○○」などと言っているのだとしたら、「天才バカボン」と同じくらい笑える言葉である。
 いや、まてよ。天才バカボンはうちの県だけでなく全国に分布しているのかもしれない。「スポーツ△△」とか「運動王国××」などという言葉はあるものだろうか?。これについては全国からの情報を期待している。(新設の「千客万来ルーム」への書き込みでも、私へのメールでもけっこうです)
 さて、話題を国体についてにかえよう。国体廃止論・見直し論などが大きくとりあげられるようになってきた。私も廃止の方向には基本的に賛成である。本当の意味での国民スポーツ・生涯スポーツの祭典であればよいのだが、実際には勝利至上主義の集大成の場になっているのが現状である。開催県の成績を上げるための渡り鳥選手の問題や、10年後を見越しての小学校への特定種目の指導の導入などが公然と認められている。
 だいたい、人口も少なく、地元に大手の企業や大学もほとんどなく、若い人はどんどん都会に流出していくような県が、国体の総合成績で上位になるはずもない。なったとしたら、よほどの無理をしたと考えるのが普通であろう。
 そういった無理までしての「スポーツ○○の再建」だとしたら「?」である。「うんちく講座」でも述べているが、強い選手の育成を優先したスポーツ振興がスポーツ嫌いを増やしている原因である。
 もともとスポーツは遊びであり娯楽である。いつでも誰でも楽しくやれることが生涯スポーツの原点であり、それが国民の健康増進につながる。
 この地方紙の同じ面には、「文部省の調査によると10代の体力・運動能力が大幅低下。運動嫌いの実態も」という記事と、「クラブ活動(必修)を中高で廃止に(教育課程審議会が合意)」という記事が出ていた。少し流れを変えていかないとスポーツそのものが危機に瀕していくような気がしているのは私だけだろうか。


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